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第7話 真夜中の庭で

 十日が経った。

 パンドラとはまだ、会えていない。


 ただ、彼女が清めの間クラルハーロを出たことは伝え聞いていた。

 パンドラが、また部屋に籠もる前に、会いたい。

 話がしたい。


 けれどもそんな機会はなかなか来なくて。


 アムルは溜め息を吐くと寝台ベッドを抜け出した。

 このところまともに眠れていない。



 深夜。

 誰もが寝静まっている。

 足音ひとつしない。


 聴こえるのは夜に活動する鳥たちの声だけだ。

 少し不気味に響くそれは、けれど不快では無かった。


 アムルは灯を持たずに部屋を出た。

 決して夜目が利く方では無いけれど、誰かに見咎められるのは嫌だったのだ。


 窓越しの月明りだけが、ぼんやりと廊下を照らしている。

 美しいけれど、どこか寂しい。


 裏庭への扉を押すと、ぎい、と思ったよりも大きな音がした。

 少しだけ首を竦めて。

 アムルは裏庭へ滑り出た。


 夜風が頬を撫でていく。

 心地良いけれど、少しだけ寒くて。

 アムルは肩を震わせた。


(上着を持って来ればよかった)


 仰ぎ見れば屋根の向こう、生命の大樹ヴィヴァルボルそびえ立つ。

 聖都アルセリアに居る限り、大樹の姿を目にしない日は無い。


 薄緑色の光をまとって。

 大樹は今日も輝いている。


(素晴らしいこと。美しいとも思う。でも……)


 同時にどこか忌々しくも感じてしまう。

 そんなことを考える己が嫌だ。



功徳メリティを積むのです。

 迷って、悩んで。そして進みなさい。

 いずれ、わかる時が来るかもしれません」



 聖なる台座ヴィヴァルターロの前で出会った導師アルコンの言葉を思い出す。


(わからなかったら)


「人は未熟な存在です。

 ですがあなたは学び舎ヴィラリアの子。

 いつか正しい答えに辿り着けるはずです」


(正しくない答を選んだら)


絶望の淵ヴェルガロスに堕ちます」


(それすら許されぬほどの罪を犯したなら)

嘆きの地ドルマヴェスにて永遠に苦しみ続ける)


 救いは無い。




 アムルは生命の大樹ヴィヴァルボルを見上げ、祈る。



(どうか、パンドラが、パンドラの望むように生きられますように)



 ふわり、と温もりがアムルの肩を抱く。


「風邪を引くわよ」


 肩からショールを掛けて、そのまま抱き締めてくれたのはパンドラだった。

 驚いて声も出ないアムルに、パンドラは悪戯っぽく笑って見せた。


「久し振りね。もうずっと、会っていなかったみたいな気がする」


 頬を寄せ合うほど近く。

 冷え切った身体に温もりが染み渡るようで。

 アムルはうっかり泣くところだった。


「パンドラ……会いたかった」

「わたしも。会いたかった、アムル」


 鼻の奥がつんと痛い。

 けれどアムルは涙を堪えて笑って見せた。


「パンドラ、パンドラ。わたし、あなたに会いたかった」

「それはもう聞いたわ、アムル」


「そうね。そうだわ。言いたいことと聞きたいことがありすぎて、どうしよう」

「思った順に言ってごらんなさいよ」


 パンドラはやはりパンドラだった。

 強くて優しくて、聡明で。


「意味がわからなくても、何回か並べ替えたら、その内しっくりくるかもしれないわ」


 アムルは笑ってしまう。


「あのね、会いたかったの。会えなくて寂しかったの」

「わたしもよ。それで?」


「何をしていたの?ああ、儀式の準備よね。それはわかってる。そうじゃなくて……」

「うん。その調子。続けて」


「わたし、あなたに聞かなくちゃ、いけないと思ったの」

「ええ。何を?」


 アムルは目を閉じて、息を吸い、ゆっくりと吐いた。

 真剣な様子にパンドラも、神妙な表情で言葉を待つ。


 目を開けて、パンドラのエメラルドのような双眸を見つめて。

 その奥に自分の顔が映るのを見据えて。

 アムルは問う。



「あのね、あなたは、選ばれし献身者セリアンになりたい?」



 パンドラの咽喉が、ひゅっと鳴った。

 アムルは静かに答えを待つ。


 パンドラは何度か逡巡しゅんじゅんし、言葉を選んだ。


「あのね、言葉にするのは、難しくて……」

「うん」


「何度か言い換えるかもしれないけど、聞いて」

「うん」


 パンドラは鼻の頭に皺を寄せて、難しい表情をした。


「迷って、いる……んだと思う。たぶん、まだ」

「迷ってる」


「うん。そう。気持ちが、追い付いていないの」


 パンドラは少し視線を揺らしながら、考える。

 少しの違和感も見逃さないように、アムルはパンドラを見つめた。


導師アルコンブノワがおっしゃったわ。子供はまだ、未熟な魂だから、とても迷うのですって。ゆっくりと時間をかけて、清めの間クラルハーロで精進潔斎して。馴染ませることが、必要なのですって」


 アムルは詰めていた息を、ゆっくりと吐き出した。


「あなたは、」

「うん」


選ばれし献身者セリアンになりたいのか、なりたくないのか、今はまだわからないのね……?」


 パンドラは顔を傾けて、アムルの額に額をこつんとぶつけた。


「そう。わからない……。たぶん。

 ええと、でも、誇らしい気持ちもあって。

 とても……なんだろう……揺れている?」


 不安げな色がパンドラの顔を掠めて。

 アムルはパンドラをぎゅっと抱き締めた。

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