黄昏時。
昼と夜の境界が滲み、世界の輪郭がやわらかくほどけてゆく。
空は、茜から朱、そして群青へと、ゆるやかにその衣を重ねていた。
太陽は地平線に身を横たえ、最後の光で世界を染め上げながら、静かに姿を消し始めている。
眩しく鮮烈な黄色が、瞼の裏に焼きついた。
木々は風にそよぎ、長く伸びた影を地に引いて。
鳥たちは鳴き交わしながら巣へと帰っていく。
一日の終わりを、森が、空が、生き物たちが、静かに告げていた。
パンドラは大きく息を吸い込み、吐き出す。
その息には言葉にはできない、名前のない重みがこもっていた。
この場所。大聖堂の裏庭。
唯一、自分を
「……アムル。居るんでしょう?」
ぽつりと、風に紛れるように呟く。
ほんの少しの間があって、茂みの向こうに、気配が揺れた。
それは、あまりに頼りない気配。
けれど、パンドラにはすぐにわかった。
この時間にここへ来る子は、ひとりしかいない。
振り返って、パンドラは微笑む。
最後の陽光がゆらゆらと揺らめく中、アムルが姿を現す。
僅かに逡巡があったように感じる。
その輪郭は、滲むように、
アムルは手を上げることもなく、ただ立っていた。
眩しそうに目を細めたまま、パンドラを見つめる。
太陽を背に立つパンドラの顔は影になり、表情まではアムルには見えないはずだった。
──見えなければいいと、パンドラは思っていた。
「……また、来ちゃった」
小さな声。風にかき消されてしまいそうなほど。
「叱られるわよ。今度こそ、バレちゃうかも」
パンドラは柔らかく笑って応じる。
それは咎めるのではなく、やさしい警告。
アムルは目を伏せて、小さく頷く。
「うん。でも……会いたかったから」
ふたりの間に、音のない時間が流れる。
張り詰めるような緊張感ではなく。
けれどどこか
アムルは目を瞬いた。
涙が零れそうだったのを、無理矢理に押し込める。
(泣いちゃだめ)
きっと、泣きたいのはパンドラの方だから。
陽が完全に沈んだ。
最後のきらめきだけを残して、世界は闇の深みへと傾いていく。
まるで空気そのものが、夜に飲まれていくようだった。
大聖堂の高窓に灯がともる。
ひとつ、またひとつ、穏やかな光が闇を照らしていく。
その光に照らされ、パンドラの輪郭が淡く浮かび上がった。
白い法衣が、彼女の存在を聖域の一部のように見せていた。
そして──彼女は微笑んだ。
「嬉しいわ、アムル」
その笑みは、美しかった。
どこまでも穏やかで、優しく、澄んでいて。
完璧だった。
けれど──それは、あまりにも完璧すぎた。
教本の中に描かれた
聖なるものの浮かべる表情。
生なるものの、浮かべ得ない表情。
(……ほんとに?)
アムルはそう呟きそうになって、唇を噛む。
声にはできなかった。
問い掛ければ、何かが壊れてしまう気がした。
視線を外さず、睨み付けるようにパンドラを見つめながらも、アムルの顔は今にも泣き出しそうに歪んでいた。
(それで、いいの?)
問い掛けたくて。
けれど、その言葉は喉の奥で凍りつき、出てこなかった。
パンドラは、微笑を崩さない。
その表情の奥に、何を隠しているのか、それとも彼女の心そのままなのか。
誰にもわからない。
アムルは、ほんの少しだけ視線を落とし、それでも、せめて名前だけでも、と願うように呟いた。
「……パンドラ」
それは祈りに似ていた。
けれどパンドラは、その名を受け止めるように、ただ静かに微笑を湛えて。
応えなかった。
そして。
夜の