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第10話 祝福の光と影

 聖都アルセリア。

 朝の光が街を黄金色に染めていく。


 大聖堂の鐘が鳴り響き、祝祭の始まりが告げられた。


 それは選ばれし献身者セリアン聖なる台座ヴィヴァルターロに身を委ねる儀式。

 献身の儀デヴォタリア


 白衣者カンドレルたちが、大聖堂の塔から白い花を撒いた。

 それは夢のように美しい光景だった。


 空から白い花弁が舞い散る聖堂前広場には、多くの信徒と参列者が集う。


 パンドラは選ばれし献身者セリアンの正装に身を包み、神々しくさえ見える微笑を浮かべ、聖なる台座ヴィヴァルターロの前に立っていた。


 至聖導師グランダルコンが宣言し、パンドラが宣誓する。



 あまねく黎明のときに至りて

 我が心 ほむらの如く空へ昇らん

 星々もまた 沈黙をこうべを垂れ

 天界レミナリアよ まことの願い聞き給え



 何度も練習した祈りの言葉。

 仕草。手順。


 パンドラはもう、間違えない。



 高く遠く響くその声は、遠くから見守るアムルにも届いていた。

 少しも滞ることなく、清流のように、躊躇ためらいの無い宣誓に聴こえる。

 でも……。


(それは、パンドラの「本当の声」じゃない)


 完璧な祈り。

 けれどアムルには舞台の上で、演じられている芝居にみえた。


 完璧で、美しいのに、空虚。

 心がどこにもない。


 押し込めて、閉じ込めて。

 誰にも気づかれないように、しまい込んでしまったのだろうか。


 あの夜から、パンドラは、微笑を崩さない。

 その表情の奥に、何を隠しているのか、それとも彼女の心そのままなのか。

 誰にもわからないまま、今日が来た。

 来てしまった。


 パンドラを失いたくない。


 パンドラが本心から選ばれし献身者セリアンでありたいと願うなら、それを受け入れようと思っていた。

 でも、できなかった。


 どうしても、パンドラの本音がわからなかった。


(わからないよ、パンドラ)


 本当はどうしたいの?

 あなたの本当の望みは、何?


 パンドラは答えなかった。

 答えられなかったのかもしれない。


 わからないまま、ただ黙って見送るなんて。

 そんなことできない。したくない。


 けれど――


 この世界に。神に。

 生命の大樹ヴィヴァルボルの意志に、抗ってまで願うのは、ことだ。


 彼女を救いたいと願うこの気持ちは、ただの傲慢なのかもしれない。

 破滅を招くものかもしれない。


 自分が信じていたもの。正しいと思っていたこと。

 守りたかったもの――それが誰かを傷つけ、追い詰めていたのだとしたら。


 この気持ちはパンドラを傷付けるだけのものなのではないか。

 アムルの中で、ぐちゃぐちゃの感情が暴れ回っている。


 世界は「祝福」と呼ぶ。

 けれど、それは「檻」なのではないか?


 あの夜、アムルの中で確かに芽吹いたものがある。

 祝福の光が強く輝けば輝くほど、その影はより強く、より深く、心に落ちる。


 光が強いほど、影は濃く……。


(わたしに、世界に抗う覚悟はある……?)


 祈りの声が、空へと消えていく。

 花々が舞う。

 鐘が鳴る。


 世界が祝福を歌うその只中。

 時は、満ちた。


 パンドラは聖なる台座ヴィヴァルターロに一歩、踏み出した。



「パンドラ!!」


 アムルは叫ぶ。

 腹の底から力一杯。

 こんなにも大きな声を出したことは無かった。


 周囲の人々が驚いてアムルを振り返る。

 そして。


 大聖堂の露台バルコニーの上、聖なる台座ヴィヴァルターロに片足を掛けた状態で。

 パンドラが振り返った。


 平衡バランスを崩した彼女を、控えていた白衣者カンドレルが慌てて支える。


「……アムル」


 小さな、小さな呟きがアムルに届くはずも無い。

 けれどアムルの耳にははっきりと聴こえていた。


 こんな遠くから、パンドラの表情が見えるはずも無い。

 そんなことはもう、どうでもよかった。


 アムルはふわりと露台の上へと舞い上がった。

 まるでその背に翼があるかのように。




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