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第5話 世界への呪詛

 パンドラが献身の儀デヴォタリアを成し遂げた。

 生命の大樹ヴィヴァルボルは何事も無かったかのように静かに佇んでいる。


「世界は存続する」


 イアサントは淡々と宣言し、アムルを見た。

 お前はどうする、とでも言いたげな視線。


 身体の内側で、薄いガラスが割れるような音がした気がした。


「……ぁ、あ、あ」


 アムルが目を閉じる。

 耳を塞ぐ。

 身体を折り曲げ、俯いて。


「ぅあああああああああああああああああ!!」


 それは、魂からの慟哭。


 無防備な背中に斬りかかった神徒レオナールは見えない力に弾き飛ばされる。

 アムルの周りを、神語を裏返したような文字列が、帯のように取り囲んだ。


 くるくると回るそれは、禍々しい何かであることしかわからない。

 その場の誰も見たことの無いものだった。


「――呪われよ」


 アムルが低く呻いた。

 涙に濡れた頬をぬぐいもせず、亜麻色の髪を振り乱したまま。

 眸だけが紫炎のように燃え盛っている。


 学び舎ヴィラリアの制服は至聖導師グランダルコンの血を吸って、黒に染まって。


「呪われよ、イアサント。

 呪われよ、生命の大樹ヴィヴァルボル

 わたしは世界おまえたちを許さない!」


 アムルはゆっくりと宙に浮いた。

 何の詠唱も、何の術式も行使せず。


 ただ、呪われた力マレフォルティアがアムルを包み込んでいた。


「撃ち落とせ」


 イアサントは導師アルコンとして淡々と命令を発し、神徒レオナールが従う。

 幾つもの光の筋がアムルを襲い、けれど、見えない壁に阻まれたように、弾けて消えた。


 アムルは天高く舞い上がり、一度だけ、聖なる台座ヴィヴァルターロを見下ろした。


 そして。

 何処かへ飛び去った。




 露台バルコニーの上の黒い炎はアムルと共に去り、ようやく大聖堂広場に集まった人々にも上の様子が見えるようになった。


 イアサントは的確に指示を飛ばし、呆然と座り込んだままの者をも容赦なく走らせた。

 やっと駆け付けてきた王国の騎士に、手短に状況を説明。

 至聖導師グランダルコンの死と、魔王の誕生とを告げた。


「だが、献身の儀デヴォタリアは成された。世界は存続しましょう。

 魔王討伐は必要でしょうがな」


おっしゃる通り。では導師アルコンイアサント、わたくしめはこれより王都へ急使を派遣します」


 鷹揚に頷くイアサントに、白衣者カンドレルが鋭い視線を投げた。

 最後までパンドラを支えていた女性だ。


「何か文句があるのなら聞こう」


 白衣者は一礼し、けれど憎しみさえ感じる目をイアサントへと向けた。


「至聖導師さま刺殺の件はしっかりと報告させて頂きます。相応の覚悟をお持ちください」


「構わん」


 イアサントの返答は淡々としたもので。

 白衣者は眉根を寄せる。


 勝算があるのだろう。

 根回しは済んでいるということか。


 白衣者は憤りを滲ませながらも、静かにその場を離れて行った。

 それが今できる、唯一の抗議でもあった。


 イアサントは、その存在をすぐに忘れ去ったかのように背を向ける。

 彼の視線の先には、今や空っぽの聖なる台座ヴィヴァルターロ生命の大樹ヴィヴァルボルの揺らがぬ姿があった。


 世界は救われた。

 辛うじて、今は。


 黒き炎も、叫びも、慟哭も。この露台バルコニーに焼き付いている。

 ところどころ剥がれたタイルや、欠けた手摺りに、くっきりと。


 それでも生命の大樹ヴィヴァルボルは静かに、何も知らぬげに、そこに在った。

 パンドラを呑み込み、アムルの呪詛を受け、それでも。



 まるで何も起きなかったかのように。



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