魔王襲来。
狙われたのは、嘆きの地――シナヴェル砂漠に置かれた神殿であった。
燃え上がる炎が夜空を赤く染め、祈りの地は業火によって灰燼に帰した。
聖域守護の結界は無惨にも破られ、魔王はその奥に鎮座していた水神サリアニスの神像を――冒涜し、蹂躙し、踏みにじった。
彼の地は、今や悲嘆の嗚咽と血の気配に包まれている。
魔王は闇夜の混乱の中、悠然と姿を消したという。
残されたのは、焼け焦げた神殿跡と、数多の命を奪われた信徒たちの遺骸。
その被害は極めて甚大であり、民心にも深い傷を残した。
我ら、エレクシア・ヴィアヴォルムは、この蛮行を断じて看過せぬ。
盟友ユグド=ミレニオとの連携を強化し、魔王討伐の準備を加速させる。
これはただの報復ではない。
神聖の回復であり、人々の誇りと祈りを取り戻すための戦いである。
その一件を伝える
だが、実際のところ――
ましてや襲撃による被害など、全く確認されていない。
にもかかわらず、
ヴィヴァ教団は秩序の守護者としての立場を誇示し、己の正当性を高らかに謳い上げた。
至聖導師の名のもとに――。
神に等しき権威の言葉を、人々が疑うことはなかった。
かつての
だが、その座は与えられたものではない。
掴み取ったのだ。
手を血に染め、影の中を這いずって。
――前至聖導師を断罪し、その身を自らの手で刺し貫いた日。
それは表向きには“教義に反した導師への正しき断罪”として記録された。
「異端は排除せねばならぬ。
それは
イアサントは一切の躊躇なく刃を振るい、鮮血に染まった手で宣言したのだ。
「真の秩序のために」と。
聖都アルセリア。その心臓部でさえ、陰謀と策略が渦巻く。
イアサントは、それを知り抜いていた。
いや、むしろ――誰よりもそれを
表向きは教義に忠実な導師。
しかし実際の彼は、
イアサントは果実を回す指を止め、微かに笑った。
林檎――それは知恵と堕落、そして選択の象徴。
アムルが魔王として舞台に上がったことも、計算の内だ。
すべては、この世界を「正しき秩序」に導くため。
「動き出したか、小娘」
その声に含まれるのは、軽蔑でも怒りでもない。
ある種の期待と、娯楽に似た興味だった。
自らの計画の駒が、想定を超えて独自の動きを見せる瞬間。
それをイアサントは、心底愉しんでいた。
アムルには、魔王としてもうひと働きしてもらう。
反逆の象徴として、憎悪の的として――教団の正義を際立たせるために。
そして、その果てに導かれる結末すら、彼の掌の中にあると信じていた。
世界のために。ヴィヴァ教団のために。
そして、何よりも――イアサント自身のために。
「見事に踊って見せるがいい」
林檎を放り上げ、空中で受け止める。
その掌に落ちた冷たい果実は、まるでこれから訪れる運命そのもののようだった。
アムルはそれを知ることもなく――
ただ愚直に、次の台座を目指していた。
次の目的地は、学問都市ルミナヴェルダの街外れ。
そこにはひっそりと佇む小さな修道院がある。
知と探求を司る
そう
というよりは、台座の意思が脳裏に割り込んで来たのだ。
しかもご丁寧に、地図に印までも焼き付けてくれた。
至れり尽くせりである。
「お礼を言うべきなのかしら」
世界の憎悪を一身に背負うこととなった少女アムル。
それでも怯むことなく、立ち止まることなく。
ただ、親友を取り戻すために。
ひとり、前へと進んでいた。