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第9話 芽吹いたもの

 夜のとばりが降りた頃、ルミナヴェルダに異変が起きた。

 書庫に収められていた書物の多くが、一斉に開き――その中の文章が、まるで何者かの力によって操られるかのように、同じ文章を浮かび上がらせていた。


「なにを、えらぶ?

 だれが、えらぶ?

 せかいは、だれのもの?」


 古語で書かれていたはずの神学論文にも、子供向けの聖典注釈にも、等しく現れていた。

 知の重みに応じて内容が変わることは無く、一様に。

「その問い」だけが記されていた。


 筆写を担当する聖詠者オラシエルたちは騒然となり、夜半にもかかわらず導師アルコンたちが次々と呼び出された。

 書庫は灯火で満たされ、まるで昼のように、喧騒と困惑がルミナヴェルダを揺るがしていた。

 しかし――夜が明け、再び書を開いたときには、全ての書は元通りの姿に戻っていた。


 ただし、完全にではなく――。

 幾つかの書に、これまで見たことが無い文言が追加されていた。

 それはあたかも印のように、刻まれていた。


「せかいは、こたえるか?」


 それを見た導師アルコンの一人は蒼白になり、震える声で封印を命じた。

 即座に聖都アルセリアの教会本部に報告が送られ、至聖導師イアサントの名義で、公式声明が発せられた。


「ルミナヴェルダの域に坐す聖文に、魔王の呪詛は及びたり。

 ことわりの言葉は侵され、神意は歪められん。

 魔王は、世界の選定の理そのものを、否定せんと欲すなり」


 発表と同時に、修道院の書庫は閉鎖。

 そして焚書ふんしょが開始される。

 だが流石に、ルミナヴェルダ全域に点在する神聖書をすべて燃やすことは適わなかった。

 学者たちの猛烈な抗議と反発に、ヴィヴァ教団でさえ焚書を強行はできなかったのだ。


 信徒たちは「神の言葉が失われた」と嘆き、魔王への恐怖と怒りを更に強めていく。

 一方で学問の徒たちは、貴重な文献を葬った暴挙に怒りを隠さなかった。

 魔王にも、そして焚書を行うヴィヴァ教団にも。


 彼らにとっては知の侵害こそが、最大の冒涜であった。


 エレクシア・ヴィアヴォルムの発行した瓦版ビラは、今日も飛ぶように売れている。


「魔王、理を侵す」

「修道院の言葉が喰われた」

「神の教えが危うい――選定制度に変化の兆しか」


 事実を塗り潰す言葉は、真実よりも早く街を駆け抜ける。

 魔王の悪名は、ますます高く、鮮烈に広がっていく。



 けれどもそのとき、アムルは既にそこにはいなかった。

 彼女は静かに、次の台座へと向かっていた。


「何が世界に届いているのか」を確かめるすべもなく。

――ただ信じて。




 だが、アムルは止まらない。

 どれだけ誤解されようと、誰に責められようと、構わない。

 アムルの目的はただひとつ。


 この世界の仕組みから、パンドラを取り戻すこと。


 道はなお険しく、遠い。

 けれどもその足取りに迷いは、ない。




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