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第3話 根の台座

 記憶と根源を司る根の台座アルボランティス

 ユグド=ミレニオの西、セリダルカ国にそれは在る。


 世界では古代語や古代文字とされる言語が主流の、筆記文化と記録主義の国である。

 他国との外交は極めて慎重で、の国で真理に近付き過ぎた者は帰ってはこないという伝承すらある。

 首都イゼラニアの奥深く、霊域とされる場所に、根の台座アルボランティスはひっそりと隠されるようにまつられていた。


 古代に築かれ、今では入ることすら禁じられた場所。

 地下聖堂。

 それは生命の大樹ヴィヴァルボルの根に守られて。


 根の台座アルボランティスはアムルを待っていた。

 見た目は結晶体――多数の柱状化した水晶が集合したような形で。厳めしくも美しい、不思議な雰囲気を醸し出している。


 ――扉は、問う者にしか開かれぬ。


 静寂を震わせて、振動が伝わって来る。

 台座より漏れ出す深く低い声は、心の内を鷲掴みにするような響きを持っていた。


 アムルは一歩、前に出た。


 ――お前は「誰」か。


 名はやがて忘れられよう。姿も声も、やがて大樹へと還ろう。

 それでもおまえは「誰」か。

 名乗らずとも、記憶が消えようとも。

 ここに在るという証を、有するか。


 アムルの中に、台座が手を伸ばしてきたのを感じた。

 絡みつくそれに、薄皮を剥ぐように、記憶の断片が剥されてく。


 アムルは核を侵されることの無いよう、しっかりと心を持った。


 花弁を一枚一枚剝いでいくような感覚が続く。

 その先に固く閉じた蕾が見えた。

 それはきっと自我という最後の拠り所だ。


(わたしはアムル)


 生命の大樹ヴィヴァルボルにパンドラの返還を求める者。

 今は魔王と呼ばれる者。

 わたしは今や人ではないのかもしれない。

 現界ミディアルドに浮遊する世界霊魂アニメスフェーロの形作った「何か」なのかもしれない。


 台座は蕾に触れ、容赦なく暴き立てる。


 ――なぜ「問う」のか。


 祈りは願いか。願いは欲望か。欲望は呪いか。

 おまえが今、根に触れたその理由を答えよ。

 それは「知りたい」という欲か。

「救いたい」という祈りか。


 問う者の資格は、その問いの純度にある。


 台座は過去の問い掛ける人デマンダーたちの「偽り」を映し出した。

 彼らの問いには欲望が混じっていた。

 それ故にことわりが歪み、世界を変えてしまった


 おまえの問いは、それとどう異なるのか。


(変わらないかもしれない)


 アムルは嘘偽りのない心を差し出した。

 わからない、と。


 すべて。

 欲望も祈りも、愛しさも寂しさも、呪いも叫びも。

 何もかも。

 混ざり合ったもの。混沌。

 どれかひとつとは答えられない。


 けれど。


 パンドラを想う気持ちに偽りはない。

 彼女がもう一度笑ってくれるなら。

 幸せに生きて行けるなら。


(なんだってする)


 ――すべてを失っても、なお「望む」か。


 おまえの記憶は削がれよう。

 声も、顔も、名前さえも。

 パンドラを想うその心だけが、ここに残る。

 それでも進むか。それでも「還る」と信じるか。


(進む。引かない。パンドラは還ってくる)


 だって。

 パンドラはいつだってまっすぐで、強くて、慈愛に溢れていて。

 少し意地っ張りで、少し誇らしげな、笑顔で。

 いつだって。

 アムルの前を歩いていた。


(振り返って、手を差し伸べて、笑ってくれた)


 だから、今度は、わたしが。

 あなたに手を差し伸べる番だ。



 アムルはまっすぐに手を差し出した。

 根の台座アルボランティスに向かって。



 差し出せるものなら、すべて。

 わたしができることなら、すべて。



 そして。

 台座は瞬いたように見えた。


 祝福のように、何かの旋律が鳴り響く。

 いや、鳴り響くというよりは、流れてくるというような。

 小川の始まりの場所から、せせらぎに至るまでのような。

 柔らかく懐かしい、軽やかな音だった。


「声」に似つかわしくないな、と何となく思った。


 その呟きは届いたのか届かなかったのか。

「声」の調子に変化はなかった。

 深く、低く、重々しい。



 ――おまえの魂に偽りなくば、門は開かれる



 ぽん、と軽い音を立てて。


 空間から弾き出されるような衝撃と共に。

 アムルはいつの間にか地上へと戻されていた。


 身体にも、記憶にも、変わったところはない。


 いや、変化に気付けないだけかもしれない。

 もう忘れてしまって、思い出せないことすらわからないのかもしれない。

 けれど。


(わたしはアムル。パンドラを取り戻すために、ここに居る)


 それだけわかっているなら、十分だ。

 そして、それが一番大切なこと。


 アムルは立ち上がった。

 そして、その場を後にした。


 次の台座を求めて。



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