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第10話 等価交換

 聖なる台座ヴィヴァルターロは以前と変わらずそこに在った。


 かつて――

 至聖導師の血に染まり、パンドラが身を捧げた場所。


 それほど前のことではないはずなのに、なぜだろう。

 ひどく昔のように思える。


 アムルは目を細め、静かに息を吸う。


 そして、一歩。ゆっくりと歩き出す。

 聖なる台座ヴィヴァルターロへ向かって。まっすぐに。


 びっしりと。

 武装した者たちがひしめいていた。

 騎士も、神徒レオナールも。

 ちらほらと見える導師アルコン聖詠者オラシエル白衣者カンドレルも。

 数多の者が守りを固めていた。


 けれど。

 誰も、アムルに目を止めはしない。


 まるで、彼女の存在だけが、この世界に認識されていないかのように。


 台座の隣に居る青年。一人だけひどく場違いな服装だ。

 あれが勇者だろうか。


 アムルにはそれすらも、どうでもよかった。

 ゆっくりと、聖なる台座ヴィヴァルターロへ近付いた。

 帰るべき場所に、戻るように。


「アムル・オリオール……!」


 名を呼んだのは、聖詠者フィリベール。

 学び舎で教えを受けた、見知った顔。


 アムルはそっと一礼した。

 フィリベールは慌てふためき、隣にいた神徒レオナールに何事かを告げた。


 彼と、目が合う。

 神徒の目が零れ落ちそうなほど見開かれて、戦慄わななく。

 アムルは少し眉を寄せた。


(わたしを知ってる……? ああ、パンドラを守っていた、神徒)


 だが、名前も顔も、覚えてはいない。


「魔王だ!」


 恐怖し、忌避する声が、空気を切り裂いた。

 場が驚動どよめく。


 恐怖に顔を歪めた者が居た。

 震えながらも睨み付ける者が居た。


 武装した、大勢の人がアムルに視線を集中させる。

 神徒、王国騎士、そして、勇者。


 一歩、前へ踏み出せば、切っ先は一斉にアムルへと向いた。


 もう一歩。

 アムルは前に進み出る。


「動くな!」


 叫んだ神徒レオナールに従ったわけでは無く。

 けれどアムルは歩みを止めた。

 顔を上げて、堂々と。


 やましいことなど何一つない。


 世界に証してみせる。

 聖なる台座ヴィヴァルターロよ、生命の大樹ヴィヴァルボルよ。

 聞くがいい。


 世界を廻り、台座を廻り、再びここへ。

 わたしはこうして戻って来た。


 世界あなたに問い掛けるために。


「これが、わたしの問いであり、願いであり、祈りである」


 勇者と目が合った。

 何か言いたげな視線だったが、今は構っている暇など無い。


 アムルは真白な外套から林檎を取り出す。


 今や黄金に光り輝くその林檎――

 生命の大樹ヴィヴァルボルの果実を、アムルはそっと掲げた。


「返して。それだけが願い。そのためなら何も要らない」


 その声は小さく、しかし世界のあらゆる場所へ届いた。

 枯れた大地が震え、鳥たちが空へと舞い上がり、かつて大樹に呑まれた者たちの記憶が、風となってさざめいた。


 ――返さば世界は保たれぬ。


 誰かが叫んだのではない。

 それは世界そのものの声だった。


 応えたのは大樹か、台座か。

 あるいはことわりの根源か。


 アムルにはどちらでもよかった。

 応えてくれさえすれば、どちらでも。


「わたしは世界のことわりに異議がある。

 何故、世界は犠牲がなければ成り立たないの?

 誰かの犠牲でどうにか保たれてる世界なんて、要らない」


 ざわめき、うごめく人々を、「声」が圧倒的な存在感を以て、封じ込める。

 威圧、圧迫。あるいは、畏敬。


 ――なれば、返せし者の生きる場所も無し。


 返答にアムルは苦笑した。


「それは、困るな」


 パンドラが生きる場所がなくなるのは、困る。

 それがこんな、理不尽な世界であっても。


 ――等価交換を。


「声」は言った。


 ――需要と供給が合致することが、条件である。


 アムルは選ばれし献身者セリアンではない。

 パンドラの代わりにはならないかもしれない。

 足りないと言われたらどうしよう。

 そんな不安を押し殺し、応えた。


「わたしが、それに、あたうのなら」


 アムルの声は微かに震えていたように聞こえる。

 その言葉に対し、「声」は圧倒的に、響く。

 朗々と。


 ――天秤は釣り合った。交換は成立する。


 アムルは、ほっとしたように微笑んだ。

 人離れした表情から、ひとりの少女の表情に、なった。


 そして。

 アムルの掲げた林檎が、目も眩むような光を発した。



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