目次
ブックマーク
応援する
1
コメント
シェア
通報

第2話 最初の違和感

 ロイクはシナヴェル砂漠に居た。

 長い旅路であった。

 道中さまざまなことがあった。

 人助けに、討伐の手伝い、大歓迎の宴……本当に色々あった。


 そして今ようやく、当初の目的だった南方に辿り着いた。


 水神サリアニスの嘆きの地。

 かつてこの地には七つの泉が湧き出していたという。

 しかし、人の傲慢と裏切りが、サリアニスを深く傷付け、水神は、涙を流しながら、すべての水を地の底へ沈めた。

 今も風が吹く夜は、サリアニスの泣き声が聞こえるという曰く付きの砂漠だ。


 ここで数か月前、天をかんばかりの火柱が上がったという。

 近くの村からもよく見え、夜が昼になるほどの明るさに、世界の終わりかと、怯える者も多かったそうだ。


 更に、エレクシア・ヴィアヴォルムよりの瓦版ビラが出回った。



 魔王襲来。


 狙われたのは、嘆きの地――シナヴェル砂漠に置かれた神殿であった。

 燃え上がる炎が夜空を赤く染め、祈りの地は業火によって灰燼に帰した。

 聖域守護の結界は無惨にも破られ、魔王はその奥に鎮座していた水神サリアニスの神像を――冒涜し、蹂躙し、踏みにじった。

 彼の地は、今や悲嘆の嗚咽と血の気配に包まれている。

 魔王は闇夜の混乱の中、悠然と姿を消したという。

 残されたのは、焼け焦げた神殿跡と、数多の命を奪われた信徒たちの遺骸。

 その被害は極めて甚大であり、民心にも深い傷を残した。

 我ら、エレクシア・ヴィアヴォルムは、この蛮行を断じて看過せぬ。

 盟友ユグド=ミレニオとの連携を強化し、魔王討伐の準備を加速させる。

 これはただの報復ではない。

 神聖の回復であり、人々の誇りと祈りを取り戻すための戦いである。



 なんとも物々しい文面。

 恐怖を煽るかのような文句に、村々は怯え切っていた。


 そんな中、この地に勇者が調査に訪れたと聞き、村人たちは諸手を挙げて歓迎した。


 そして、あの日以来、砂嵐がただの一度もないのだということも教えてくれた。


「だから、却って不気味だよ」


 ロイクの案内を務めた少年、クルスは小首を傾げた。


「火柱が上がったのは、たぶんこの辺なんだけど……」


 彼は辺りを見回す。

 何の変哲もない、砂漠。

 風が静かに模様を刻んでいく、穏やかな景色。


「この辺に神殿があったとか、知らなかったからびっくりした。

 それに、みんな、魔王に殺されちゃったって……」


 ぶるりと肩を震わせたクルスは、けれど、首を傾げてみせた。


「でも……何だか、空気が綺麗な気がするよね」

「うん。俺もそう思う」


 ロイクは頷いた。


「殺戮が行われた場所にしては、怨念が無い。

 淀んだ空気や、腐臭とか、そういうものがあるはずなんだけどな」


 砂漠だからというわけでは無いだろう。

 瓦礫ひとつ、亡骸ひとつ、見つからないのはおかしい。

 亡骸を喰らいに来るであろう獣の気配すら、無い。


「行き倒れたと思われる動物の骨は、見掛けたのにな。

 人がいっぱい殺されたって割りには、なんか――。

 清められたって方が、しっくりくる」


 砂が掃き清めたのだろうか。

 風が運び去ったのだろうか。

 少し掘り返してみれば、何か出てくるかもしれないが……。


 思案するロイクの横で、クルスはきょろきょろと辺りを見回した。


「ねえ、勇者さん。なんか、水の音しない?」

「砂漠で水音もなにも……いや、するな」


 それは確かに水音だった。

 二人は首を捻りつつ、音のする方へ向かい――立ちすくむ。


 そこに有ったのは紛れもなく、泉。


 ロイクは眉を寄せた。


「サリアニスが、すべての泉を地の底深く、沈めたんだよな?」


 クルスも自身無さげに頷く。


「そう。おかげで全然オアシスとかもない……はずなんだけど」


 言葉尻はすぼんで消える。不可解だった。


 泉に手を伸ばしたロイクは、それが幻でないとすぐに理解した。

 冷たく、澄んで、心地よい水――まぎれもなく、清水だった。


「ミルタルガの花が咲いてるから、きれいな水なのは間違いない」

「ミルタルガ?」


 ロイクは水面を指差した。


「あの白くて小さい花。清流にしか咲かないんだ。

 ついでに葉や茎は食べると美味いぞ」

「勇者さんよく知ってるね」


「俺の村の辺りじゃ割と見掛けるからな」


 ロイクは水面を見つめた。

 透き通るほどに澄んだ水。風に揺れるミルタルガの群生。


 耳に届くのは水音だけ。

 サリアニスの嘆く声も、砂嵐も、そこにはない。


(劫火に焼かれた地が、これか……?)


 ロイクは眉をひそめた。

 どうにも腑に落ちない。


 魔王が浄化などするはずがない。

 呪われし力マレフォルティアを宿し、人を傷付け、ことわりを侵す。

 それが魔王。


 世界の敵である。



この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?