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第3話 歌う村人

 ロイクは旅を続けていた。

 人助けをしながら、路銀のために討伐依頼などをこなしつつ、怪異の噂を追って。

 西へ東へ、北へ南へ――。

 時には、商隊キャラバンの護衛なども請け負った。

 街から街へ、山から谷へ、国境を越えて。世界を廻る。


 けれど。

 魔王に破壊された街も、神殿も、どこにもない。

 焼け跡も、瓦礫も、墓標もない。


 あるのは「何か」が在ったという微かな痕跡だけが残っていた。


 空気の密度、ぴりりと肌に感じる、ことわりの乱れ。

 存在しないはずの「被害」を記した瓦版ビラ


 確かに語られているのに、現実には何ひとつ残っていない。


「腑に落ちない。しっくりこない」


 どうにも釈然としない気持ちが、腹の奥に重く沈んでいた。

 それはただの勘や違和感ではなく、もっと深い。

 本能的な不安と、真実に触れられない苛立ちの混ざり合った、おりのようなものだった。


 聖剣が、時折共鳴する。

 微かに低く、まるで迷子の祈りを探しているように、静かに鳴る。

 ロイクは、その響きに耳を傾けた。


 そんなある日。

 とある村で、子供たちが歌う、不思議な歌に出会う。



「いちどだけ こたえたこえ

 ふたつめは こたえずきえた

 みっつめは ねむったまま

 よっつめは いのったけれど

 いつつめは わすれたまま

 ひとつ こたえを おぼえてる?」


「風が歌ってくれたんだよ」


 そう言った少年の瞳は、どこか遠くを見つめていた。


 ロイクの胸の奥で、その言葉が静かに反響する。

 聖剣は静かに共鳴を続けていた。

 歌に反応している。


 応えるのは誰だ。

 答を覚えているのは、誰だ。


 聖剣が、また、鳴いた。

 聴こえてきたのは、風に乗る歌だった。


 どこからだろう。


「よぞらにひびく わがうたは

 きみなきせかいに きみおもう


 こころにのこりし きみのえみ

 とどかぬおもい かぜにとけ


 さがしても とどかずとも

 きみおもう こころはかわらず」


 吟遊詩人の声にしては柔らかく、儚げで、どこか人ではないもののようにも感じた。

 ロイクは耳を澄ませた。

 そして、不意に聖剣が淡い光を放つ。

 まるで、歌に寄り添ったかのように。

 旋律を重ねるように、調和ハーモニーを奏で始めた。


(こいつ……剣じゃなくて、楽器なのかも)


 ばかばかしいことを思いながらも、ロイクはその歌に身を委ねた。

 歌は、なおも続いた。


「つきよにささぐ わがいのり

 きえしことばを たどりゆく


 こころにのこる ぬくもりを

 よみがえらせて そらにねがう


 かこをしりて いまをゆるし

 きみをまつや われはかわらず」


 どこかで誰かが泣いていないといい。

 その歌が、届いていればいい。

 優しくて、けれど寂しさを孕んだその旋律に、ロイクはただ、静かに耳を傾けていた。




 村の子供たち。

 輪になって、踊って、歌っていた。


 楽しそうに遊んでいる内に、ボールがひとつ、ロイクの足許に転がって来た。

 ロイクが拾い上げて渡すと、子供たちが礼を言う。


「なあ、その歌、誰に教わったんだ?」


 子供たちはくすくすと笑い合い、ロイクの周りに集まった。

 勇者はここでも人気者だ。


「あのね、風が教えてくれたのよ」

「風が歌ってくれるのよ」


 ロイクは眉を寄せた。

 またしても「風」だった。


「他に歌っている人は?」


 子供は目を瞬いて、くすくすと笑い出す。

 周りの子も、みんなだ。


「みんな、知ってるわ。子供はみんな、歌えるわ」

「大人は知らない人もいるかも」

「おばあちゃんは聞いたって」


「そっか、ありがとさん」


 ロイクは村の長老を訪ねてみた。

 この歌が古くから伝わるものなのか、それとも、急に流行りだしたものなのか。

 あるいは似た歌が、あるのかどうか。

 長老は首をひねった。


「さて、いつから誰が歌いだしたのか……。

 ただ、子供たちは皆、歌えるようですな。

 不気味な気もしますが、悪意は感じませんし、

 禁止するほどのこともないかと、放ってあります」


 隣村に伝承に詳しい学者が居るということで、紹介状をもらい、ロイクはそちらを訪ねた。




 学舎は眼鏡を押し上げ、語り出す。


「過去、プレケリアと呼ばれる旋律群がありました。

 現在は封印されていますが、多くは歌でした。

 祈りであり、願いであり、そして、叫びでもあります」


「叫び……?」


 ロイクは眉を寄せた。

 よくわからない。


「失われた祈りや讃美の総称であるとも、

 封印された知恵や力であるとも、

 精神世界との橋渡しであるとも伝えられます」


 ロイクはますますわからなくなった。

 困惑した表情を隠さないロイクに、学者は少し考えて、言葉を紡ぐ。


「つまり、プレケリアとは単なる旋律ではなく、

 人間の本質的な感情や信仰を音に乗せて、

 具現化した存在であるのではないでしょうか」


 ロイクは考えに考えて、言葉を選んだ。


「良い感情、だけじゃなく。怒りとか、悲しいとか、そういう感情も?」

「はい。プレケリアだと思われます」


「人を呪うほどの恨みも、痛みも?」


 迷いながら口にしたロイクに、学舎は静かに頷いてみせた。


「はい。人間の本質的な感情でありますからな。

 だからこそ、時に呪いともなる。

 故に、禁じられ、封印されたのではないでしょうか」


 プレケリア。感情、願い、想い、祈り。

 呪われし力マレフォルティア。呪い、怒り、恨み、嘆き。

 そして痛み。


 人間の本質的な感情とは何だろう。

 喜び、怒り、悲しみ、恐れ、驚き、嫌悪、そして愛。


 誰しもが持ち、共感し、時に生きる意味とさえなるもの。

 それが具現化した旋律。

 それが――プレケリア。


 ロイクが旅の途中で耳にしたのは、どれも優しく、どこか寂しく、痛みを孕んだ歌ばかりだった。


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