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第10話 束の間の交錯

 聖なる台座ヴィヴァルターロを前にして――

 アムルとロイクは、ついに出会いの瞬間を迎えた。


 周囲で緊張が高まる中、ロイクは静かに腰の剣に手を掛けていた。


「あれが、魔王……あれが、」


(アムル・オリオール……。ただの女の子じゃないか)


 亜麻色の髪を揺らし、紫水晶の眸を強く輝かせ。

 魔王はそこに立っていた。

 白衣者カンドレルの衣装で周囲をあざむいたらしい。

 狡猾こうかつな相手だ。見た目で判断すれば痛い目を見る。


 ロイクは聖剣の柄に手を掛けた。

 だが、聖剣はまだ、応じない。


(まだなのか。今じゃ、ないのか)


 ロイクは聖剣に問い掛ける。

 お前が敵をほふるのは、今では無いのか。

 それともやはり、のか。


(何のために、俺を選んだ? 何をさせるため、ここに導いた?)


 聖剣は応えない。

 視線の先では魔王と世界との対話が行われていた。


 まるで、神話だ。


 これは、戦いなのかもしれない。

 存在を掛けた、魔王と、世界との聖戦。



 魔王は――アムルは、唇に薄く笑みをいた。

 整った顔が、少し、上を向いた。

 その眼差しに宿るのは、強い意志だ。


「わたしが、それに、あたうのなら」


 それは、神々しいとすら思える、気高く、尊い響き。

 ロイクは――間違いなくアムルに見蕩れていた。


 そして、「声」は、静かに響いた。


 ――天秤は釣り合った。交換は成立する。


 アムルは、ほっとしたように微笑んだ。

 人離れした表情から、ひとりの少女の表情に、なった。


 そして。

 アムルの掲げた林檎が、目も眩むような光を発して……。




 誰もが目をかれまいと瞼を閉じた。


 視線がそこから外された。

 視界は白に塗り潰されて。


 そして、目を開けたときに。

 そこにアムルの姿は無かった。


 代わりに立っていたのは金髪の少女。

 白い法衣ローブを纏い、花冠のような飾りをつけて。

 睫毛を伏せて、まるで眠っているかのように。


「――パンドラ・ベルティエ!」


 誰かが叫んだ。

 それは、この前に召されたはずの選ばれし献身者セリアンの名だ。


 ゆっくりと、崩れ落ちる身体を、ロイクは間一髪で抱き留めた。




「魔王は、あんたを取り戻したかったんだな」


 ロイクの腕の中、パンドラは目を覚まし、瞬いた。


「あなた、誰? わたし、どうしたの? ここは……どこ?」


 状況が掴めず混乱するパンドラを保護し、白衣者カンドレルが医務室へと連れて行く。

 ロイクはがりがりと頭を搔いた。


「結局、魔王ってなんだったんだよ」

 ――願う者。求める者。問い掛ける人デマンダーの資質を持つ者でした。


 聖剣が応えた。

 ロイクは目が飛び出しそうなほどに驚いたが、その声は、他の誰にも聴こえてはいないらしい。


問い掛ける人デマンダーってのは?)

 ――原初は生命の大樹ヴィヴァルボルに問い掛ける存在でした。文字通り。


(何を?)


 聖剣は静かに語り始めた。



 原初の問いは、世界への問い掛け。

 生命の大樹ヴィヴァルボルに対して人の魂が発した

 根源的な問い掛け――すなわち、

「世界はいかに在るべきか」という本質的な対話の試みです。


 この問いは、ただの願望成就や利得のための祈りではなく、

 世界のことわりと均衡を見出すための魂の対話でした。


 問い掛ける人デマンダーたちは、その問いによって、

 世界の痛みや歪みに耳を傾け、

 その均衡を再び編み直す道を探り、

 人と世界が共に生きる在り方を模索していたのです。


 それは、利己的な「叶えてほしい願い」ではなく、

「私たちはどう在るべきか」

「この世界に、どんな意味を見出せるのか」

「痛みにどう向き合い、癒していけるのか」


 ――といった、共生と理解のための問いでした。


 この原初の問いはやがて忘れられ、

 献身の儀デヴォタリアが形式化し、

 教団の支配道具となることで、

「対話」は「服従」へと変質してしまったのです。


 ロイクは暫し沈黙した。


(俺、なんかすげえこと聞かされてねえ?)

 ――世界の秘話ですね。


 聖剣は淡々と告げた。


 ――今やの少女を覚えて居る者は、あなた以外に居りません。


 ロイクは顔色を変えた。

 血の気が一気に引いた気がする。

 自分の鼓動が、耳のすぐ横でけたたましく鳴っている。


「どういうことだ?」

 ――アムルはパンドラを取り戻すために、対価を差し出しました。


 想い、願い、記憶、感情――魂すべてを。

 パンドラはもはやアムルを記憶していません。

 そして同様に、アムルの存在はすべての人の記憶から消えました。

 魔王が誰であったか、覚えて居る者はもう居ません。


 ――あなたを除いて。



 頭を鉄の塊で殴られたような気がした。


 心が騒めく。

 胸の奥、何かが欠けたまま響くように痛む。

 名もなき喪失感――けれど、確かにそれは「誰か」を喪った感覚だった。


(アムル……)


 その名を口にすれば、世界は沈黙で応えた。

 誰も知らず、誰も覚えていない。

 けれど、自分だけが覚えている。


 彼女の声。彼女の眸。

 彼女が捧げた、たったひとつの祈り。


(なぜ……俺だけが、忘れられなかった?)


 理解は追いつかない。

 だが、否応なく迫るものがある。

 この記憶を抱くこと――それは、罰なのか、それとも使命なのか。


 風が吹き抜けた。

 世界は静かで、あまりにも無関心だった。


 けれど、彼女は確かにいた。

 そして、すべてを差し出して、何かを守ろうとした。


 その事実を、たった一人でも抱き続けることに、どんな意味があるのだろう。


 それでも。

 ロイクは目を閉じ、静かに息を吐いた。


「……俺は、忘れない。

 誰も覚えていなくても、あんたがいたことは――」


 そう呟いた瞬間、遠く、風に溶けるようにして、あの歌がまた聴こえた気がした。

 それは、優しくて、寂しくて、切なくて。

 誰かを想い続ける、魂の声――。




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