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第七章 彼女の消えた後に

第1話 還された者

 一面の、白。

 パンドラが目を覚ましたとき、最初に目に映ったのは白い天井だった。

 身を起こせば、軽い眩暈めまいと頭痛にさいなまれる。


「……わたし、どうしたんだったかしら」


 どうにも記憶が曖昧だった。

 献身の儀デヴォタリアを、滞りなく終えた、ような気がするのだが……。


(ここ、どこかしら。天界レミナリアのはずは無いし)


 パンドラは身を起こして、周りを見回した。

 どうやらカーテンを巡らせた寝台ベッドに横たえられていたようだ。医務室だろうか。

 ということは、ここは大聖堂。すなわち、現界ミディアルド


 さっと帳が開かれた。

 白衣者カンドレルの女性――そう、確か、名をエメ――が現れる。


選ばれし献身者セリアンパンドラ! 目を覚まされたのですね。

 ああ、いえ、もうね。何とお呼びしたらよいのか……

 とにかく、医師を呼んで参ります」


 パンドラは目を瞬いた。

 セリアンでは無い、というのは、どういう意味なのだろう。

 こめかみの辺りで脈打つように鈍痛がする。


(なにかしら、この違和感――)


 パンドラは何か、途方もない喪失感を感じていた。

 胸にぽっかりと穴が開いたようだった。




帰還せし献身者エルセリオン、もはやあなたは霊的昇華を遂げし存在。

 神に準じる御方となられました。これよりは聖女としてお過ごしください」


 至聖導師グランダルコンイアサントは丁重に礼をとり、パンドラにひざまずいた。


 彼の口から幾つかの言葉が続いたが、混乱したパンドラの耳には入らなかった。


 どうやら生命の大樹ヴィヴァルボルに召されたパンドラは、現界ミディアルドへ還元されたらしい。

 史上稀に見る奇跡、であるらしい。ここ数百年のためしは無いと云う。


 奇跡を成した存在としてあがたてまつられ、パンドラは戸惑いを隠せなかった。

 体調が整い次第、儀式を経て、パンドラのための神殿を設けるそうだ。




「聖女パンドラ。勇者が面会を希望しておられますが、如何いかが致しましょう」

「勇者――?」


 白衣者カンドレルエメは少し表情を和らげた。


「覚えてはいらっしゃいませんか? 魔王を討伐し、聖女パンドラをお救いくださった勇者ロイクを」


 覚えていない。そして「魔王」とは何なのか。それすらも思い出せなかった。

 だが、酷く胸が騒いだ。


「会わせて、ください」


 煤竹色の髪を束ねた青年に、パンドラは見覚えがあった。

 ――ああ、抱き留めてくれた人だ。


「ええと、初めまして。ロイク・ブロサール、です」

「初めまして。パンドラ・ベルティエです。あの、助けてくださった方、ですよね?」


 ロイクは群青色の目を細め、苦い顔をした。


「助けたって言うか、俺はあんたが倒れるのを抱き留めただけだから」

「でも、お礼申し上げます」


 パンドラは丁寧に会釈し、ロイクを見据えた。


「何か、わたしにご用があられるとか」

「あー、ええと、うん。そうなんだ……です」


「敬語でなくて、構いませんよ」

「……そうか、じゃあ、遠慮なく」


 ロイクは率直に切り出した。


「アムルを覚えているか」


 その名を聞いたとき、パンドラの胸がひとつ、高鳴った。

 けれど、聞き覚えの無い名だった。


「……アムル。――いいえ、ごめんなさい。知りません」


 そのはずだ。

 なのに、胸がざわめき、痛みを感じた。


 気付けばパンドラはぼろぼろと涙を流していた。

 自分でも意味がわからない。


「あら――、どうしたのかしら、わたし」


 胸の奥がぽっかりと空洞になっていて、冷たい風が吹き抜けるようだった。

 涙が止まらない。

 ロイクが手巾ハンカチを差し出す。

 パンドラは受け取り、顔を押さえた。


「アムルは、魔王となって、大樹からあんたを取り戻した、女の子の名前だよ」


 ロイクは淡々と語る。


「俺は、アムルが何よりもあんたを想ってたことを、知ってる。

 ――会ったのは一瞬だけだけど」


 ロイクは顔を歪め、パンドラは目を伏せた。


「何か、大事なことを忘れている。そんな気がするの。

 でも、それが何かわからない」


「等価交換、だそうだ。聖剣、あ、この剣なんだけど、が言うには、

 世界を維持するために、あんたの魂が必要で。

 その、あんたを還して貰うために、アムルが全部を渡したんだってさ」


「全部って……」


「魂とか、記憶とか、記録とか、全部。

 だからアムルを覚えてる奴はこの世界に、居ない。

 ――俺以外はな」






 至聖導師グランダルコンイアサントは不機嫌だった。

 よりにもよって帰還者とは。聖女など数百年現れてはいない存在だ。


 魔王がというのに、またも問題事が降って来ようとは。


「――秩序が乱される」


 イアサントの目指す完璧な秩序のために、不要な存在があまりにも多い。

 指先で机を苛立たしげに叩きながら、イアサントは目をすがめた。


「さて、どうしたものか」



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