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第2話 名の消えた人

 ロイクは聖剣を傍らに、パンドラにこれまでの概要を説明していた。

 聖剣の言葉が聴こえるのはロイクだけかと思っていたのだが、どうやらパンドラにも聴こえているようだ。

 彼女は目に見えて戸惑っていたのだが、ロイクも聖剣も、気にも留めなかった。

 おそらく、生命の大樹ヴィヴァルボルに一度ことが、霊的感応を強めているのだろう、とロイクは推測する。

 それにしても、パンドラはどうにも違和感が拭えなかった。

 聖女に勇者に、喋る聖剣だなんて。まるで古いお伽話のようではないか。


「かつての問い掛ける人デマンダーはもはや存在しませんでした。

 ですが、アムルは魔王となり、それにあたう力を手に入れました。」


 聖剣は滔々とうとうと語り出す。

 原初の時代、世界と人とが言葉を交わしていた頃のことを。


 原初の問い。

 それは「世界は如何に在るべきか」という本質的な対話であり、生命の大樹ヴィヴァルボルに対して人の魂が投げ掛けた、世界のことわりとの共生を探る試みであった。

 この問いは願望や利得のための祈りではなく、世界の痛みや歪みに向き合い、人と世界が共に歩む在り方を模索するためのものだった。

 しかし、次代が下るにつれ、その問いは忘れられ、献身の儀デヴォタリアは形骸化。教団の権威を支える「支配の道具」へと変質してしまった。


「……お前、声出せるんじゃないか」


「頭の中に語り掛ける方が楽ですが、今は声の方が不都合無く伝えられると判断しました。あれは一人か全員か、という雑なくくりしかできませんので」


 ロイクが唖然あぜんと口を開ける。


「続けます。

 アムルはパンドラを取り戻すために、対価を差し出しました。

 想い、願い、記憶、感情――魂のすべてを。

 結果として、パンドラはもはやアムルを記憶していません。

 そして同様に、他の全ての人々もアムルを忘却しました。

 魔王が誰であったのかを、覚えて居る者も、もういないのです」


「――何で俺だけ覚えてるんだよ」

「貴方は勇者ですから」


「意味わからん」

「適格者だったからです」


「ますますわからん」


 ロイクと聖剣の遣り取りを聞きながら、パンドラが躊躇いがちに声を発した。


「その、アムル、は、何故、わたしを取り戻そうとしたの?

 選ばれし献身者セリアンは、生命の大樹ヴィヴァルボルに身を捧げるのが役目なのに」


 ヴィヴァ教団に属する者で、選ばれし献身者セリアンの役目を知らぬ者は存在しない。

 それが如何に名誉なことで、尊ばれる役目なのか、知らない者など居ないはずだ。

 寧ろ、その「誇り」を疑うことすら、冒涜とされていた。


 聖剣は告げる。


「アムルは、その世界の在り方に、異を唱える者でした。

 犠牲なくして成り立たない世界など、要らないと考えました。

 アムルは、選ばれし献身者セリアンと見なしたのです」


 それは祈りではなく供物である。奉仕ではなく――生贄である、と。


「ですが、そのアムルも、世界を書き換えるには

 だから交換したのです。あなたと、自分自身とを」


「アムルは、なんで……」

「あんたが大切だったからだよ。俺でもわかる」


 止まったはずの涙が、またぼろぼろと零れ出す。

 今度はもう、堰を切ったように。滝のように。

 滂沱ぼうだの涙とはこのことか。などとロイクは思う。


「そんなにたいせつなひとを、わたし、おぼえてないなんて……!」


「それが対価だったからだろ。あんたの所為じゃない。

 アムルが望んで、アムルが支払った。そんだけだ」


 苦々し気に顔を歪め、ロイクは吐き捨てるように言った。


「全部ひとりで抱えて行きやがって。

 まったく、あいつだけが貧乏クジじゃないか」


 パンドラは泣きじゃくりながら、訊いた。


「どうして、あなたも、泣きそうなの……?」


「あの女には、言ってやりたいことが、いっぱいあったんだ。

 なのに、俺には目もくれず、通り過ぎて行きやがった」


 腹立たしい。

 悔しくて、胸が痛い。


「……あなた、アムルを好きだったの?」

「ちがっ――」


 ロイクは否定し掛け、だが、そのまま押し黙った。

 どうなのだろう。

 本当に違うと言い切れるだろうか。

 そもそも、会ったと言っても一瞬だ。どんな人間かも知らない。

 そう言おうとして、ふと、気が付いた。


 知っていた。

 ロイクはアムルがどんな人間だったのか、断片的にではあるが、確かに知っている。

 世界に残ったアムルの祈りを、その声を。その欠片を、痕跡を。

 ロイクはずっと追い続けてきたのだ。


 優しくて、寂しくて、切なくて。

 ただひたすらに、パンドラを想い続ける、魂の声を。



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