理力の火の
その灯の揺れる光が、古びた文書の山に不規則な影を落としていた。
ロイクの前に座る女性――
追放同然に辺境へと左遷されていた。しかし、何故か突然聖都へと呼び戻された。
かつて、アムルが居た世界で、ロイクに魔王誕生の真実を語った人物である。
前至聖導師の死は、魔王によるものと
だが、彼女までもが忘れている。
「貴方は、覚えているのですか」
大聖堂地下にある文書局。
書棚が、まるで詰め込まれるように配置されている。
古びた記録の黴臭い感じと、真新しいインクの匂いのする文書とが積み重なる。
その薄暗く閉ざされた空間で、シュゼットは眉を
「魔王……その存在を、名を、姿を。貴方の記憶に
ロイクは静かに頷いた。
「私の記憶には、どうしても
シュゼットの記憶は、白く塗り直されていた。
「世界を維持し、支えたのは
公式文書を手にしながら、シュゼットは釈然としない表情で
そこにあるのは、ただの歴史の形式に過ぎなかった。
「――ですが、それは本当に正しいのでしょうか? 繋がりが、何かおかしいのです。魔王が現れたのがいつで、討たれたのがいつなのか、どうしても齟齬が発生する。なのに、記録上は何一つ
ロイクは、腰に
(世界が、アムルを――
――その通りです。
ロイクにしか聞こえない声で、聖剣が応えた。
(誰が消したんだ? 大樹か? 神か? それとも別の……何かか)
――答えられません。
聖剣は静かにひとつ、鳴動した。
(知らないってことか?)
――いいえ。
聖剣は静かに淡々と、続けた。
――私はその問いに答えられるように
ロイクの呼吸が一瞬、乱れた。
その冷たさに、心の奥が凍り付くように思えた。
聖剣の応えは、真実以上に無慈悲であった。
ロイクは沈黙し、長く息を吸い、吐いた。
心を落ち着ける必要があった。
(――それでも)
ロイクは聖剣の柄を強く握り、問い掛ける。
ただの人間であっても。
世界を書き換えた存在について、知る権利さえ無くても。
それでも。
(
聖剣の返答は淡々としたものだった。
――その通りです。
――貴方は、適格者ですから。
ロイクは、明後日には
何しろ、魔王を倒した勇者なのだから。
(その前に、決行する)
時空跳躍。
アムルが魔王となる前の時空に、跳ぶ。
分岐点の前からなら、やり直せるはずだ。
――良い判断です。
(そこから辿れるってことか?)
――水流を遡ることを想像してください。それが一番近い感覚かと思われます。
(なるほど)
――目印があれば、もっと良かったのですが。
(目印?)
――アムルの身に付けていたものや、大切にしていた記憶、想い。そのようなものです。
ロイクは
(あるわけがない)
――ですね。貴方の強い意志のみが、
(……時空跳躍って気合でどうにかなるのか?)
――何事も気合です。想いこそが世界を形作っているのです。
ロイクは目を閉じ、深く息を吸った。
心の奥底に沈んでいた「願い」が、音もなく浮かび上がる。
(もう一度、会うんだ。そして、やり直す)
光の中に消えた少女。
(――あんたが、魔王になる前に)
聖剣がわずかに振動した。
その刃の中に、誰かの祈りが残響している気がした。
――プレケリア。
それは願いの歌、想いの記録。
問い掛ける者がいる限り、世界はそれに応える。
「行くか」
ロイクは旅装束を纏った。
長靴の紐を締め、聖剣を腰に
丁度、その瞬間。
部屋の扉が叩かれた。
「わたし、パンドラです。少しいい?」