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第6話 時空の流れ

 ロイクは扉を開けて、パンドラを招き入れる。


「どうしたんだ。こんな遅くに」

「これを、渡そうと思って」


 パンドラが差し出したのは、小さなブローチだった。

 銀色の、少しいびつな三日月に、花の模様が刻んである。


 ――これは、強い記憶の残響です。


 聖剣が震えた。

 微かに旋律めいた音が響く。

 共鳴。


「大切なものなの。でも――特別な意味をの。何故これが大切なのか、何故、懐かしい気持ちになるのか……わからないの。でも」


 パンドラはロイクを真っ直ぐに見つめた。

 エメラルド色の眸がロイクを射抜く。


「あなたに必要だと、思ったの」


 理由もわからないのに、パンドラは確信していた。

 きっとこれが、鍵となる。


「――俺がのが、わかったのか」


 パンドラは頷いた。

 生命の大樹ヴィヴァルボルに呑まれ、けれど帰還した者。

 世界と一つになったことがある存在。

 それ故に、わかることがある。


「きっと、道を示してくれるから」

「ありがとう」


 ロイクはブローチを受け取ると、襟元に留める。


「借りていく。いつか、返す」

「……ええ。待ってる」




 聖なる台座ヴィヴァルターロまで、二人、並んで歩いた。

 言葉は交わさなかった。


 春とは言え、夜の露台バルコニーは少し寒い。

 帰るように促したが、パンドラは見届けるのだと動かなかった。

 ロイクは軽く溜息を吐くと、台座に、生命の大樹ヴィヴァルボルに向き直る。



(時空は川のように流れている)

(分岐は支流。俺は、そこに飛び込むだけだ)


 何度も繰り返し思い描いては見るものの、何分初めての経験だ。

 勝手がわかるはずもない。


(遡った先が、彼女のいた世界に届くと信じて――)

 ――行きましょうか。


 ロイクは聖剣を抜いた。

 光を集めて固めたような刀身が、光そのもののように輝いた。

 ロイクの襟元のブローチが、聖剣に共鳴し、微かに旋律を奏でた。


 パンドラが見守る先、聖なる台座が分裂したように見えた。

 ふたつ、みっつ、いや……やはりひとつ。

 ぶれている。


 水の音が聞こえる。

 こぽこぽと、湧き出るような音だ。

 始めこそ、さらさらとした小さなせせらぎだったが、だんだんと激しくなっていく。

 ざあざあと絶え間ない水音が満ちて来る。

 そしてごうごうと激しく、重く。


「……すげえ音してませんか、聖剣さん」

 ――時空の流れは川のようなもの。可愛い小川ではありえません。


「…………そっすね」

 ――はい。気合を入れてください。途中で気を逸らせば、どこへ流れ着くともわかりません。あるいはそのまま藻屑となり、消えてしまうかもしれません。


「文字通り水の泡、か」

 ――はい。その通りです。


 パンドラが心配そうな表情でロイクを見た。

 ロイクは微妙に不安そうな顔でパンドラに頷く。


「……まあ、行ってくる」

「気を付けて」


 そしてロイクは、外套を翻し、抜き放った聖剣を右手に。

 聖なる台座ヴィヴァルターロから、のだった。


 遥か時空の彼方へ。

 アムルが魔王となる前の、ときへ。




 ロイクは激流に呑まれ、回転しながら押し流されていた。

 上も下もわからず、視界は泡と水と影が、ぐるぐると渦を巻いている。


 ――気合を入れなさい。辿り着くのです。


 聖剣の言葉に応答する余裕もないほどに。

 ロイクは時空の川の流れに、木の葉のように翻弄されていた。


 ――思い描くのです。共鳴を聞きなさい。貴方を待つ者の所へ、導く音が聴こえるはずです。

(この轟音の中、無茶言うな!)


 内心叫びながらも、ロイクは右手の聖剣をしっかりと握り締め、振るう。

 少しだけ、川の流れが緩くなったような気がした。


 ロイクは水の中に居た。


 一面の青だ。

 近くは透き通った水色から、遠くは真夜中のような深い青まで。

 手足に絡みつく水は、重い。


 気を抜けばすぐにも流されてしまうだろう。


 ロイクは目を閉じ、意識を集中させた。

 襟元のブローチが鈴のような音を鳴らしている。

 その時。

 優しい歌が、聞こえたような気がした。


(――アムル)


 ロイクは流れに逆らって、泳ぎ出した。

 阻む水の壁を聖剣で切り裂きながら、遡っていく。


(今、行くから)



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