目次
ブックマーク
応援する
1
コメント
シェア
通報

第3話 記憶はなくとも

 学び舎ヴィラリア

 ロイクは日課のように、木陰のベンチに腰を下ろしていた。

 図書塔に通い詰める毎日の中で、この時間だけは特別だった。

 穏やかな風。静かな陽光。

 中庭に咲く薄紅の花が揺れ、小鳥のさえずりが遠くから響いていた。


 ロイクにとって、これは「休息」ではなかった。

 アムルとパンドラ。

 二人の姿を、確かめるための時間だった。


「勇者さん、ここに居たんですね」


 やわらかい声に、顔を上げる。

 金の髪が風に揺れ、陽の光を弾いている。

 パンドラだった。


「ちょっと、休憩だ。たまには陽の光も浴びないと、カビが生えるからな」


 軽口を叩くロイクに、パンドラはくすくすと笑う。

 その笑い声は、どこか懐かしく響いた。


 パンドラは隣に腰を下ろす。

 近過ぎず、遠過ぎず――ちょうど良い距離。

 焼き菓子の包みを膝に置き、ひとつ差し出した。


「おひとつ、如何いかがですか?」

「じゃあ、ありがたく」


 ロイクが菓子を受け取り、軽く頭を下げると、パンドラは少し嬉しそうに目を細めた。


「甘いもの、嫌いじゃないといいんですけど」

「結構好きだよ、甘いの」


「よかった。アムルもこれ、好きなんですよ」


 ロイクは短く「うん」と返す。

 パンドラが空を見上げ、小さく「きれい」と呟く。

 その姿は、まるで祈るようだった。


「こうして並んでると、少し、不思議な感じがします」

「そうか?」


「ええ……何だか、勇者さんとは初めましてって感じがしなくて」

「――それは、こっちの台詞だよ」


 ロイクは苦笑した。

 彼女の中に記憶はない。

 それでも、確かに「ここ」へと導いてくれた人だった。

 襟元のブローチに、そっと手を当てる。

 銀色の、歪んだ三日月。

 あの日、彼女が手渡してくれた「縁」の証。


(いつか返す。必ず、それができる未来を――掴み取る)


「今日はアムルと一緒じゃないのか?」

「わたしたち、そんなに四六時中一緒にいるわけじゃ……ない、わけでもない……かもしれないですけど」


 少し照れたように、パンドラが首をかしげる。


「いつも一緒にいるよ。俺が見かける時は大抵そうだ」


 その言葉に、パンドラは苦笑したあと、きっぱりと口にする。


「親友なんです」

「うん」


 空を見つめたまま、パンドラは言葉を続けた。


「不思議なんですけどね……何があっても、アムルを守らなきゃって、そう思うんです」


 その言葉に、ロイクの胸がざわつく。

 彼女は、知らない。

 けれど――魂が、覚えている。


「――アムルも、そう思ってるよ。たぶんな」


 過去の記憶が胸をかすめる。

 光に包まれて消えた姿を。

 それを見送ることしかできなかった自分を。


(この距離のままでいい。守るだけでいい。それでいいんだ――)


 そんな風に、自分を誤魔化すしかなかった。


 中庭の向こう、亜麻色の髪が風に揺れる。

 アムルがこちらを見つけ、大きく手を振った。

 屈託のない笑顔。無垢な仕草。

 その姿に、ロイクは知らず目を細め、手を振り返した。


(守るよ。あんたたち、二人とも。絶対に――)


 その胸の中に芽吹いた想いは、まだ「問い」にはならない。

 けれど確かに、それは祈りへと繋がっていた。



この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?