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第4話 問いの在処

 ロイクが図書塔に足を運ぶのは、もはや日課になっていた。

 静けさの中で書物をひも解いていると、心が僅かに落ち着く。

 この場所では、生徒たちの話し声が壁越しに届き、時間が穏やかに流れている。


「勇者さん、今日もですか?」

「もう、住んでるって噂ですよ?」


 すれ違いざまに囁かれる声も、今では慣れた。

 ロイクは軽く手を振って返す。


 生徒たちと当たり障りのない会話をし、学び舎の雰囲気を把握する。

 そして、不自然にならない程度に、アムルとパンドラと交流を図る。

 何かの予兆を、見逃すことのないように。


 アムルの無邪気な笑い声が響くたび、胸の奥がざわついた。

 そこには、かつての「魔王」の影は微塵みじんもなかった。


 パンドラもまた、何も知らぬまま、穏やかな日々を過ごしている。

 けれど、二人の視線が偶然重なるたびに、何かが――わずかに、揺れている気がした。


(そういえば、至聖導師グランダルコンはどうなってるんだろう)


 ふと、ロイクの思考が過去へと手を伸ばす。

 かつての時空では、魔王アムル覚醒のきっかけともなった至聖導師グランダルコン刺殺事件。

 そしてその後に起きた、導師イアサントによる断罪劇――

 ロイクはシュゼットから聞いた話を思い出す。


(……シュゼットも、今はどうなってる?)


 彼女の存在は、あの時空で重要な証人だった。

 今、この世界で彼女がどう在るのか。

 エレクシア・ヴィアヴォルム――ヴィヴァ教団と、もしや事を構えるとなった時に、状況が把握できていないのは、戦略的にまずいだろう。


 ――大聖堂へ向かいますか?


 聖剣が促すように囁いた。

 ロイクは読んでいた本を棚に戻すと、腰を上げた。


(そうだな。様子を見に行ってみるとするか)




 聖剣の勇者、として、ロイクの大聖堂への訪問は歓迎された。

 館内の自由な閲覧、図書室の使用も許可され、ロイクは少しの罪悪感を覚える。


(敵対するかもしれないのに、悪いな! ホントすまん!)

 ――止めますか?


(いいや、行く)

 ――無駄な葛藤でしたね。


(うるせえ)


 ロイクは大聖堂の中を歩きながら、至聖導師の名を確認した。

 その名を「ピエリック」。

 かつての時空で暗殺されたはずの至聖導師が、ここでは生きている――


 そして、彼女の姿もあった。

 書簡を抱えて、まっすぐな足取りで廊下を進むシュゼット。

 その姿は変わらず真面目で、芯の通った様子だった。

 ロイクは咄嗟に視線を逸らす。

 目が合えば、過去の記憶が押し寄せてしまいそうだった。


「……あの、シュゼットさんという方をご存知ありませんか?」


 精一杯の演技だった。

 過去を知らない彼女は、ただ不思議そうに首をかしげるだけ。

 同姓同名の知人を探していた――ということにして、やり過ごした。


(至聖導師ピエリックは健在。魔王アムルと出会わなかったから――)


 あの連鎖は、断ち切られている。

 だが、導師アルコンイアサントの名は今も存在していた。


(……もし、あの悲劇を回避できるなら)


 その可能性に胸が震えた。

 けれど、それは同時に「誰かの運命を変える」ということでもある。

 そしてそれが、必ずしも幸福をもたらすとは限らない。


 ――この時空の未来は、まだ定まってはいません。


 聖剣の声は静かだった。

 けれど、その言葉には、確かな警告があった。


(選ぶのは、俺たちなんだな)

 ――はい。過去を知る者には、その選択に責任が伴います。


(だったら、今度は守る。誰も失わせない)


 その誓いが、ロイクの胸に刻まれる。


(でも、アムルに関係ないことで、ピエリックが倒れる可能性もあるんだろ?)

 ――その通りです。

 個々の魂の本質は、変わりません。たとえ別の世界であっても、似た選択をとることがあります。


(魂の本質、か……)


 ロイクは聖剣の柄を強く握りしめた。

 その手の中で、聖剣が微かに震えていた。


 ――記憶を失っても、何度でも同じ道を選ぶ者がいます。

 ですが、それを者も、また確かに存在する。


「だからこそ、問い掛けるんだな」

 ――ええ。貴方の問いは、運命へのです。


 その言葉を胸に、ロイクは顔を上げた。

 この世界を見据える眸に、確かな意志が宿っていた。



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