夜が明けきらぬ図書塔の奥で、ロイクは机に突っ伏していた。
目の下には薄く
何度も、何度も試みた。
プレケリアを、自らの言葉として紡ごうと。
だが、どうしても形にならない。
(想いはあるのに……)
祈りは、ただの言葉ではない。
魂を震わせるものでなければ、響きはしない。
聖剣は茶々を入れるのに飽きたのか、沈黙している。
眠っているのかもしれない。
聖剣が眠るのかどうかは、知らないけれど。
ロイクは静かに目を閉じ、深く息を吐いた。
夜が明ける。
始まりの朝が、また来る。
中庭へ向かう回廊の途中、誰かとすれ違いかけて、ロイクは足を止めた。
「あっ」
アムルだった。
亜麻色の髪が朝日に透け、寝起きの面差しを残したアムルが、立ち止まった。
目元が少し腫れているように見えた。泣いていたのだろうか。
ロイクも、ぼんやりと立ち尽くしたまま、言葉を見つけられない。
そんな不思議な沈黙の中で、アムルがぽつりと呟いた。
「……会いたかった」
その声は、まるで夢の続きをなぞるように、どこか遠くを見つめていた。
ロイクの目が大きく見開かれる。
だがすぐに、アムルは顔を背け、ぶんぶんと首を振る。
「ち、違うの。間違え、てはいないんだけど、あの、変な夢を見たの。だからちょっと、変な気持ちなの。ごめんなさい!」
「……そっか」
ロイクは苦笑する。
けれどその笑みは、哀しみを讃えつつもどこか嬉しそうだった。
そこに、軽やかな足音が加わる。
「おはよう、二人とも」
パンドラだった。
彼女は手に包みを抱え、三人が揃った光景を見てにっこりと笑った。
「偶然ね。朝から会うなんて、珍しいわ」
アムルは笑って誤魔化し、ロイクは肩を竦めた。
なんということもない、穏やかな朝。
けれど、胸の奥には、それぞれに確かな騒めきが残っていた。
共鳴の予感。
まだ誰にも、言葉にはできない。
けれど確かに、世界の調律が、ほんの僅かに
風が、吹いた。
まるで「祈り」が、そっと巡り始めたかのように。
昼休み、
木の下のベンチで。
三人はいつものように穏やかな時間を過ごしていた。
アムルは本を開いていて、パンドラは菓子を包みから出している。
ロイクは空を仰ぎ、背中で風を受けていた。
何気ない、日常。
けれどその瞬間、風が変わった。
木々が
「……え?」
パンドラが呟く。
アムルが顔を上げた。
ロイクも、何かを感じて身を起こした。
一陣の風が吹き抜けた――と、思ったその刹那。
世界が、一瞬、反転した。
色が裏返り、音が消える。
三人の視界に、同じ映像が重なる。
――水面のような大地。
――風の旋律。
――黒い炎と、祈りの歌。
アムルは、誰かの声を聞いた。
ロイクは、剣を構えた己を見た。
パンドラは、アムルが涙を流す姿を目にした。
「……っ!」
それぞれが、叫びそうになった瞬間――
世界が元に戻る。
ざわ、と草が鳴り、小鳥の声が戻ってきた。
三人は、同時に息を呑んで、お互いを見た。
「……今の、何……?」
パンドラが震える声で言った。
「夢じゃ、ないよね……?」
アムルが小さく呟く。
「見たよ。……あんたたちと、一緒に」
ロイクの言葉に、アムルもパンドラも小さく頷く。
言葉にはできない。
でも確かに、同じものを見た。
同じ「痛み」と「願い」を感じた。
胸の奥が熱い。
涙が、込み上げる。
それが誰の想いなのか、誰の祈りなのか。まだ、はっきりとはわからない。
けれど――
「これが……プレケリア……?」
アムルが呟き、ロイクが驚いたように見つめた。
「その名前……どうして、知ってる?」
「知らない。けど……今、浮かんだの」
パンドラは、静かに手を伸ばして、二人の手を取った。
「きっと、もう始まってるのよ。わたしたち、これから……何かが起こるんだわ」
三人の手が触れ合った瞬間――胸の奥で、微かな震えが生まれた。
それは恐怖ではなく、痛みでもない。
懐かしさに似た、なにか。
それぞれの魂が、同じ
かつて、ひとつの祈りを分かち合った場所へ。
言葉はない。
けれど、伝わってくる。
(わたしは知ってる。あなたたちを……)
それは誰の心の声だったのか。
きっと三人それぞれが、そう思っていた。
祈りは、始まっている。
失われたはずの、真の祈りが――。