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第9話 共鳴する魂

 夜半。

 学び舎ヴィラリアの寮に、静かな夜色が降りていた。

 窓の外では風がさざめき、遠くで小さく鐘の音が鳴っている。

 空には雲ひとつなく、星々が凍てつくような静けさで瞬いていた。

 寮の回廊は灯火もなく、石壁が夜の息づかいに包まれているかのようで。

 寮全体がまるで深い眠りの呪文にかけられたように、音ひとつ立てずに沈黙していた。


 誰もが眠りに落ちる、その深い時間――

 三人は、それぞれに目を覚ました。


 最初に響いたのは、音だった。

 耳元ではない。

 胸の奥から滲むような、柔らかい旋律。

 あの、昼に聞こえた「風の祈り」と同じ――

 けれどもっと深く、もっと切ない。



 アムルは、ぼんやりと天井を見つめていた。

 旋律が涙を誘う。後から後から溢れ出て来て、止まらない。

 涙が耳の方に流れて行くのを、アムルは無造作に袖で拭った。

 泣く理由などないのに、何故か胸が痛くて、温かい。


(また……この歌)


 旋律の中に、誰かの声が重なる。

 それは聞き取れないほど小さく、けれど確かに――名を呼んでいた。


「ア……ム……ル」


 胸がきゅっと締めつけられる。

 まるで、呼びかけられることで過去の扉が少しだけ軋んだかのように。



 パンドラは寝台の上で膝を抱えていた。

 手が小さく震えている。

 誰かが、自分の名前を呼んでいた気がする――

 声にはならなかったけれど。


(この感覚……前にも……)



 ロイクは、完全に目を覚ましていた。

 宿の部屋で窓辺に立ち、外を見ていた。

 風に乗って、確かに旋律が運ばれてくる。

 だがそれは、外の風景ではなく、自分のから響いているようだった。


 ――問い掛けよ。

(……来たか)


 壁にもたせ掛けた聖剣が、震える。


 ――プレケリアが近付いています。三人の魂が「共鳴」を開始しました。後は、貴方の覚醒を待つばかりです。


「……覚醒?」


 ロイクは振り返り、小さく首を振った。


「違う。俺はもう、る。思い出すんじゃない。……忘れられないだけだ」

 ――ならば、とは何ですか?


 聖剣の問いに、ロイクは言葉を詰まらせた。


「……守ると、決めたことを。貫く覚悟。……かな」

 ――それは、過去への復讐ではなく、未来への祈りですか?


 ロイクは、窓の外に視線を戻した。


「……あの子たちが、同じ旋律を聞いてるなら、きっと次が来る」


 彼女たちは、まだ何も思い出してはいない。

 けれど、その魂が答えようとしている。

 呼び掛けに。祈りに。

 自分の、ただ一つの願いに。


 風が吹いた。

 それは、ただの風ではなかった。

 三つの魂が同時に震えた、確かな「合図」。


 その夜、三人は同じ夢を見た。

 水の大地。風の柱。炎の輪。

 手を取り合って歌う声――


 アムルには、炎の中心に立つ自分自身が見えた。

 パンドラには、誰かが涙を流して名を叫ぶ姿が見えた。

 ロイクには、金色の光の中で手を伸ばす少女が見えた。


 そして、遠くから差し出される「手」。


 その手は誰のものか、わからない。

 けれど、きっと繋いだことのある手だ。


 呼ばれているのではない。


 今度は、自分が差し伸べる番だ――

 夢の中で、誰かの心がそう言った気がした。


 まだ届かない。

 けれど、確かにその手が、誰かを呼んでいる。


 ならば、応えなければ。


 ロイクはそっと呟いた。


「――もうすぐだな」


 その瞬間、聖剣がかすかに光を帯びた。

 遠くで鐘が鳴る。

 まるで心臓が鼓動するように、一度だけ脈打つ光。

 それは祝福でもなく、警鐘でもない。

 ただ、何かの「始まり」を告げていた。

 夢から目覚めた世界が、何かを迎え入れるように――。


 ロイクは風の音に耳を澄ませた。

 それは旋律の残響だった。

 まだ、消えていない。


 祈りが、再び世界に芽吹こうとしていた。



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