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第九章 古き神々の祠

第1話 導きの風

 学び舎ヴィラリア

 中庭を渡る風が、どこかざわめいていた。

 春の陽に包まれた石造りの回廊を、アムルとパンドラが並んで歩いていた。


「……風、強いね」


 アムルが呟いた。

 パンドラは歩みを止め、目を細める。


「違う。これはんだわ。何かが……わたしたちに、問いを投げかけてる」


 それは朝方、二人が同時に見た夢の続きだった。


 ――風は語る。

 忘れられた祠が、再び扉を開く。

 問いを運ぶ者よ、応えを探す道へ。

 いまこそ歩み出せ。



 目覚めたとき、胸の内に刻まれていた名はただ一つ――

 ゼフェリオス。


「ねぇ、パンドラ。わたし……あの祠に行きたい。あの風に、ちゃんと応えたいの」

「……うん。わたしも、同じことを思ってた。だから行こう。ちゃんと、許可を取って」




「――祠に? それも、風の?」


 導師ブノワは、しばし考え込んだように眉を寄せた。

 対面に立つアムルとパンドラは、緊張を隠さず、まっすぐに見つめ返す。


「妄想や思い込みではありません。確かに風の神ゼフェリオスから、啓示を受けました」


 パンドラの声には、迷いがなかった。

 アムルが言葉を継ぐ。


「わたしたちは、ゼフェリオスさまの問いに応えるために、祠に向かいたいと思っています」


 ブノワは二人をしばらく見つめた後、小さく頷いた。


「アムル、パンドラ……貴方たちはこの学び舎で、誰よりも真摯に学び、誰よりも祈りの意味を問い続けてきました。ならば、これは学びの一環と認めましょう」


 アムルが思わず顔を上げた。


「ただし一つ、覚えておきなさい」


 ブノワの声が少しだけ硬くなる。


「啓示に従うことと、運命に流されることは違います。ゼフェリオスの風が導きであるならば、貴方たちが選ぶのは足の向く先です。他の誰のものでもない、貴方たち自身の」


「……はい。自分の足で、選びます」


 パンドラは深く頷いた。

 ブノワは引き出しから許可書を二枚取り出し、署名する。


「これは公式な旅ではありません。けれど、もしその風が本物ならば……きっと、貴方たちの《問い》が、新しい祈りを連れて帰ってくるでしょう」


 二人は深く礼をして、その場を後にした。

 風が、ふたりの背をそっと押したように、そよいだ。




 外に出ると、春風が柔らかく頬を撫でた。

 枝の間からこぼれる陽光が三人の肩に降り注ぎ、ロイクの襟元に留められた銀色のブローチが、風に揺れて一瞬、淡い光を帯びたように見えた。

 アムルが小さく息を吐き、隣に立つパンドラの手を軽く握る。

 そのまま一歩、前に出て、ロイクと視線を合わせた。


「……ロイクも?」


 明確ではない問い掛け。

 ロイクは何も言わず、自らの胸にそっと手を当てる。

 その感触に確かめるように目を閉じ、低く静かに応える。


「……風が、呼んだ。三人を、今日この場所に──ゼフェリオスが」


 パンドラが微笑み、顔を上げる。


「待っていたのよ。そう感じる。……わたしたち、三人が揃うのを」


 ロイクは遠くを見据えるように顔を上げる。

 ラヴァリス平原の向こう――風の祠があると記された古地図の記憶が、脳裏に浮かぶ。


「俺は、答えを持っているわけじゃない。でも、問いを投げる資格は……あると思いたい」


 アムルがそっと眉間に手を当てた。

 その仕草に、ロイクの視線が自然と集まる。


「根拠があるわけじゃないけど、思うの。導かれてる。わたしたち、三人でなら、きっと大丈夫って」


 三人は、静かに歩き出す。

 学び舎の門を越え、石畳の道を抜け、並木のざわめきが春の風を運ぶ。


 銀のブローチが再び、微かに揺れた。

 それは言葉にならない記憶――時空を超えた誰かの願いを、静かに繋いでいる。


 やがて見えてくるのは、遠く霞むラヴァリス平原の先、風の祠。

 その在り処を告げるように、風が一筋、三人の背を押した。

 ――風が動き出すとき、それは問いの始まりである。


 ゼフェリオスが告げた旅の第一歩が、いま確かに踏み出された。


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