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幕間2 監視の目

 聖都アルセリア、大聖堂内。

 冷たい石の回廊を歩く足音が、静寂の中を高く遠く、響いていく。


 導師アルコンブノワは重々しい扉の前で一度、深く息を吐いた。


 導師アルコンイアサントの私室。

 その名を聞いただけで、教団内の者の多くは自然と背筋を伸ばす。

 それほどに、イアサントは「秩序の守護者」として知られていた。

 あるいは、恐れられていた。


 同じ導師として同格であるべき二人。

 だが、学び舎ヴィラリアの長であるブノワと、至聖導師グランダルコンの次席ともくされるイアサントでは、その影響力に歴然とした差があった。


「入れ」


 冷ややかな声が、扉の向こうから響く。

 ブノワは扉を押し開き、部屋の中へと足を踏み入れた。


「勇者が学生二人を連れ、風の祠へ向かったと聞いた」


 イアサントの目は細く、声に一分の揺らぎもない。

 ブノワは黙って頷いた。


「導きがあった、と。ゼフェリオスの名を口にして?」


「はい。確かに、アムルとパンドラは風の神ゼフェリオスから啓示を受けたと訴えていました。私は、それを信じ、学びとして認めました。勇者どのが同行するというので、安心を」


「なるほど。


 イアサントは緩やかに、椅子に身を沈めた。

 その眼差しは氷のように冷たく、刃物のような鋭さを帯びている。


「貴殿が“信じた”ことと、教団が“許す”ことは、全く別の問題だ」


「しかし、彼女たちは問いを持って旅立った。それは教義に反する行いではないはずです」


「問題はだ」


 イアサントは卓上の水晶盤に手をかざした。

 その瞬間、風の神詩の断章が浮かび上がる。

 先日観測されたばかりの神詩――

「神の眼」「夜の眼」ともに、これを正確に観測し、記録していた。


「神詩が動き出すということ。それは希望であると同時に、教義の根幹を揺るがしかねぬ危険因子でもある」


 そう。

 勇者ロイクが、学生二人とともに在るならば、余計に。


「彼らは異端ではない」


 ブノワは強い口調で訴える。

 だがイアサントは、あくまで静かに首を横に振る。


「それを判断するのは、貴殿ではなく、勿論私でもない。それを決めるのは、光の秩序そのもの――すなわち、教団である」


 そして、告げられた言葉は、明確な命令だった。


「三人の行動は、教義に照らして精査されるべきである。御使いヴィタエルを放ち、行動の詳細を監視し、記録せよ。また同時に、暗部サンクタ・ノクスにも意見を仰がねばならない。風の神詩と紋章の出現……これはすでに、教義のに踏み出している」


導師アルコンイアサント……!」


 ブノワは思わず声を荒げるが、それを遮るように、イアサントは冷静に告げた。


「異端かいなかは、彼らの判断される」


 そう――

 もし三人が教団にとって有益な真理を携えて戻るならば、それは導きと見做みなされる。

 だがもし、「祈りの再興」などという誤った啓示をもたらすのであれば――


「教団秩序の崩壊は免れない。よって、掌握する。それが我々の責務だ」


 イアサントの声音には、揺るぎない「教団防衛」の意志があった。


 その背後では、黒い影――

 暗部サンクタ・ノクスへの報せが、静かに走り出していた。




 ブノワはイアサントのへやを退出すると、そのまま南塔へと向かった。

 禁書室に繋がる階段脇。

 扉の前で一度周囲を見回し、誰も居ないことを確認した。

 その上で、慎重に扉を叩く。


「どうぞ」


 静かな声が返った。

 ブノワは滑り込むように、室へと入った。


「いらっしゃい、ブノワ。……来るんじゃないかと、思っていたよ」


 シプリアンは慎重な表情で振り返る。

 ブノワは頷いた。


「君にはすべてお見通しか」

「イアサントに呼び出されたのは、聞いていたからね」


 シプリアンは茶を淹れると、ブノワに差し出した。


「イアサントの動向は、まあ、予想範囲内と言えよう。問題は君がどう動くか、かな」


 ブノワは吐息すると、茶を一口飲んだ。

 丁度良い加減の温かさに、一気に飲み干すと、カップをそっと皿に置く。


「お代わりは?」

「頂こう」


 頷いて、ブノワは眉間を押さえた。

 小さく吐息が零れる。


「三人が風の祠へ向かった件だ。私が許可を出したことを問題視された。それどころか――」


「何を言われた?」


暗部サンクタ・ノクスとの連携を以て、“異端の兆候”として監視すると言い出した」


 シプリアンは目を細めた。


「そこまで踏み込んで来たか。しかしイアサントは、何故そこまで勇者どのにこだわる?」


「わからない。だが、最初からずっと、勇者どのを気にしていたな。――彼が学び舎を訪れたときからだ」


 ブノワは苦く吐息した。


「……何か、理由があるのかもしれない。ただの個人的な不信感とも思えないが……」


「運命論者でもない彼が、そこまで特定の人物にこだわるとは……不可解だな。特に、勇者どの――あのロイクという青年には、執着に近い視線を送っていると、私も感じていた」


 ブノワは、しばし沈黙した後、ふと呟く。


「まるで……彼自身にもわからないを感じているような。どこか、別の時に、別の場所で彼をような……そんな、説明しがたい確信に駆られているようにも、見えた」


 シプリアンの眉がわずかに動いた。


「それは……か? ならば、それは……に触れた痕跡かもしれない。我々が観測できていない神意が、入り込んできているのだとしたら――」


 二人の間に沈黙が落ちる。


「いずれにせよ、これは表層だけでは判断しきれない出来事であるのは、間違いない。ブノワ、彼ら三人の旅を……慎重に見守ろう。我々は、イアサントの思惑に飲み込まれてはならない」




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