三人が祠の中へ足を踏み入れた瞬間、世界が反転したかのような感覚に包まれた。
祠内部は、まるで赤黒い心臓の中のようだった。
石壁は脈動し、天井からは細かな火の粉がちらちらと舞い上がる。
熱は焼き尽くすほどではなく。
けれど、胸の奥を押し潰すような重圧があった。
中央に、円形の石壇。
それを囲むように、黒い石柱が螺旋を描いて立ち並ぶ。
柱のひとつひとつに、まるで過去の祈りが焼き付いたかのような焦げ跡が残っていた。
ロイクがそっと壇に手を触れた――
その瞬間、石が微かに脈打ち、柱の頂に焔が灯る。
空間全体に、「声なき問い」が放たれた。
燃やせ 偽りの影を
祈りに在らずとも 心に在れ
灰とならぬ願いを
炎の底に記せ
パンドラが、静かに呟いた。
「これは……選ばれているんじゃない。試されてる。わたしたちの“祈り”が、本物かどうか」
アムルは胸に手を当て、そっと目を閉じる。
「……怖くない。祈りは……わたしが、選んだものだから」
赤黒い焔が、爆ぜるように祠全体を駆け抜けた。
熱風が巻き起こり、聖剣が微かに震える。
その瞬間――
三人の額と手の甲に宿った紋章が、炎の意志に呼応して輝きを強めていく。
ロイクの紋章は、三重円環から燃え盛る火焔の輪へ。
アムルの紋章は、紅蓮の螺旋に。
パンドラの紋章は、燃える蝶翼の紋となって揺らめいた。
炎の奥から、カルメルザの神性が問いを投げかける。
「お前たちは、何を燃やす?
偽りか、恐れか、過去か。
それとも――信じた祈りそのものか?」
アムルが震える声で、言葉を紡いだ。
「……これだけは言えます。わたしの祈りは、偽りじゃない。燃やすべきは……恐れです。そして、迷い」
パンドラとロイクもまた、それぞれの胸に刻まれた答えを呟く。
「わたしは……常にまとわりつくような、義務感を」
「俺が燃やすのは、勇者だという傲慢と、何もできなかった無力感だ」
その瞬間、炎が静まり、祠全体を震わせるような熱の鼓動が響いた。
そして、風のように柔らかく、詩の一節が耳を打つ。
燃やせ、影を。
祈れ、今を。
明日を照らす、焔となれ。
風の囁きも、熱の軋みも、外界の残響も。
すべての音が切り取られたかのように消えた。
「……ここは、燃え残った祈りの底、みたいだな」
ロイクの呟きに、アムルが問い返す。
「どういうこと……?」
ロイクは答えを探すように目を伏せた。問いが胸を刺すようだった。
そして、ゆっくりと語る。
「誰かが……焼けてもなお、残そうとしたんだ。祈りを。問いを。……炎が、それを覚えていたような気がする」
パンドラが一歩進み、石壇に手を伸ばす。
そこには、黒く焦げた巻物のようなものが浮かんでいた。
その周囲には、羽根のようにも、灰のようにも見えるものが、静かに舞っている。
彼女の指が光に触れた瞬間、空間が微かに震えた。
そして――声が、響く。
それは人の声だった。だが、人のものではない深さを宿していた。
「……焼けても、私の祈りは、灰にならなかった。誰かに届くなら、それで、いい……」
それは誰かが遺した言葉。
語りかけるのではなく、ただ「残されていた」声。
その声に重なるように、詩が祠全体に響き渡った。
燃やし尽くせ 偽りの夜を
炎は問いとなりて 心の核を照らす
信じるならば 立て
たとえ光がなくとも
焔は 胸の奥で生き続ける
アムルの瞳に、自然と涙が浮かぶ。
胸に手を当てたそのとき、断片的な記憶が脳裏を
――大聖堂のバルコニー。血塗れの床。黒き炎と緑の燐光。
――手を伸ばしても届かなかった過去。
アムルは、苦しげに膝をついた。
大丈夫だとは、言えなかった。
パンドラはそっと寄り添い、無言のまま、アムルを抱きしめる。
声なき祈りが、ふたりのあいだを繋いでいた。
そのとき、赤い光が天頂から舞い降り、三人を包み込む。
――火の神性、カルメルザの意志が、顕現したのだ。
声ではなく、存在そのものが、問いかけてくる。
「お前たちは、燃やすものを見定め、残すものを選んだ。
それは、祈りが
パンドラとロイクの紋章もまた、炎に呼応して光を放つ。
その言葉に呼応するように、巻物は淡い焔となり、結晶化してゆく。
そしてロイクの聖剣の柄へと、静かに――否、焼き付けられた。
それは、二度と消えぬ「刻印」として、記憶と共に存在し続ける断章だった。
パンドラが、聖剣にそっと手を触れて呟く。
「……この詩、今は断章だけど……全部が揃ったとき……世界が何を祈っていたのか、きっとわかる日が来る」
ロイクは、静かに頷いた。
「だから俺たちは……進むんだ。祈りの答えを探すためじゃない。祈りを、
祠を満たしていた熱気は、ゆるやかに静まり、消えていった。
けれど――その余韻は、三人の胸の内に、確かに刻まれていた。