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幕間3 黒き御使いの影

 聖都アルセリア。

 学びヴィラリアに、御使いヴィタエルが舞い降りた。

 勇者一行の監視記録を携え、導師アルコンブノワの元へ戻ってきたのだった。

 ブノワは提出された観測記録を前に、言葉を失う。

 ゼフェリオスの風紋、紋章との共鳴、異常な速度での南下──

 すべてがイアサントの激昂材料にしか見えなかった。


 だが、それを隠すわけにもいかない。

 そんなことをすれば、三人の立場はますます危うくなる。


 ブノワは覚悟を決め、重い足取りでイアサントの私室へと向かった。


 案の定、イアサントは氷のような沈黙で出迎えた。

 その表情は怒気を湛えながらも、声だけは冷ややかに整っていた。


「……なるほど」


 頷く声が、まるで刃のように鋭い。


「ゼフェリオスの加護を得た、というのか。しかも、有り得ぬ速度で南下していると……」


「はい」


 ブノワの答えに、イアサントは視線を逸らさぬまま、淡々と告げる。


「このまま監視を継続。必要に応じて帰還をせよ。ただし、監視範囲を逸脱した場合には……暗部サンクタ・ノクスへの介入を申請する」


「……帰還命令、ではなく、要請……ですか」


「そうだ。だが異端の兆候があれば、その限りではない。黒き御使いモルタエルによる強制措置も視野に入れる」


 ブノワは眉をしかめるが、言葉を呑むしかなかった。


 イアサントの言葉に、一切の揺らぎはない。

 教団秩序のためならば、排除を選ぶ。

 そのことに躊躇は一切感じられない。


 だが、それには裏側との連携が不可欠だった。


(……やはり、じかに伝えるべきか)


 表層の導師たちにとって、導師アルコンが自ら暗部と接触するのは異例であり、望ましい行動ではない。

 だが、イアサントは躊躇わなかった。


「大いなる秩序のためだ」


 己を律するように、そう呟いた。


 そして、その言葉の影で、暗部サンクタ・ノクスへと向けた密命が、静かに動き始めていた──。




 暗部サンクタ・ノクス、封印区画。

 その最深部に在る、黒鉄の格子の前。

 冷気のような沈黙が満ちる中、ひとつの影が静止していた。

 それは、まだ動かぬ黒き御使いモルタエル

 黒い「器」が、まるで「命を待っている」かのように、その場に佇んでいる。


「……刻限は近い。監視を超えれば、排除へ移行する」


 その命を告げるのは、イアサントである。

 つい先頃、観察導師ノクティアルコンとの接触を終えたばかりだった。

 黒き御使いモルタエル使用許可証。

 通常、表層の導師には与えられないものだが、今回は特例措置だ。

 何しろ「神」が密接に関わっている。


「祈りがの外へと膨れ上がるならば……もはや赦されぬ」


 それは祈りを否定するものではない。ただし、祈りの“多様”を否定する。

 ひとつの教義にひとつの答え。

 光は唯一であるべきだと、イアサントは信じている。


(だが、まだだ。まだ……を越えてはいない)


 その瞬間は、まだ訪れてはいない。

 黒き御使いモルタエル覚醒は、現在保留されたままである。




 イアサントが黒き御使いモルタエルと向き合っていた頃、ブノワは執務室で、報告書を前に頭を抱えていた。

 聖剣の共鳴、神詩の断章、紋章の変化。

 三人が進む先に“何か”があるのは間違いない。


 だが、それが「希望」なのか、「異端」なのか――

 判断する術は、もう自分には無い気がしていた。


(彼らは、教団の枠を越えていく。……それを、見守るべきなのか……)


 机の上には、未提出の報告書と、シプリアンから預かった書簡があった。

 それは、教団内部のある変化を示唆する極秘の情報――「光の定義」が再解釈されようとしている、という噂。


 至聖神ルミエルを唯一の光とし、生命の大樹ヴィヴァルボルの意思こそが世界の意思であるという教義を、改め得るかもしれぬということ。


 そろそろ選定されるであろう選ばれし献身者セリアンの予兆すら無いこと。

 それどころか問い掛ける人デマンダー相当である存在が、同時に三つも確認されたこと。


(私は、どこまで関われる? イアサントに抗う覚悟が……本当に、あるのか?)


 手元の灯が、小さく揺れた。




 その頃、遠く離れた南の地で――

 三人の祈りが、火の神性を目覚めさせようとしていた。

 そして、それに呼応するように、黒き御使いモルタエルの眼が赤く、反応した。

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