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第6話 シナヴェル砂漠

 灼熱の陽光の下、白砂に足を取られながら、三人は歩を進めていた。

 そこは、水神サリアニスの嘆きの地──シナヴェル砂漠。

 アムルがふと足を止め、眉をひそめた。


「……ここ、知ってる、気がするの。たぶん。夢の中か、どこかで……」


 アムルは周囲をぐるりと見渡す。

 目に映るのは、白く広がる砂地と、遠く霞む岩影だけだった。


「……でも、今は何もない」


 その瞬間、アムルの視界にだけ、黒く焦げた台座が浮かび上がった。

 熱に焼かれ、崩れ落ちた火の遺構。

 その傍らに佇む「誰かの影」。


 しかし瞬きの後、すべてが消え、砂だけが広がっていた。


「行こう。――今は、水の祠が、わたしたちを待ってる」


 聖剣が微かに揺れた。

 まるで、それが正しいと告げるかのように。


 祠は、すぐそこだった。




 そのとき、空から光が降りた。

 御使いヴィタエルが、音もなく地面に立つ。


「――帰還を要請します」


 淡々とした「声」が告げた。


「監視範囲を逸脱。進行は教義違反と見做みなされる可能性があります。これは最終勧告です」


 ロイクが二人を庇うように、一歩前に出た。


「教団からの通告か?」


 御使いヴィタエルは静かに頷いた。

 アムルが眉を寄せ、パンドラが目を細めた。


「……帰れってこと、なのかな?」

「……でも、戻れない。問いは、まだ途中なんだもの」


 ロイクは、聖剣の柄に手を添えた。


「戻れば、もう次は無い。進むしかないんだよ、今は」


 御使いヴィタエルは静かに頷いた。

 そして淡々と、告げる。


「返答を受理しました」


 御使いは空高く舞い上がった。

 返答を教団へと持ち帰ったのだろう。


「最終勧告だって、言ってたな」

「言ってたわね」


 ロイクとパンドラが頷き合うのを見、アムルは額の紋章に触れた。

 熱を帯びるようなうずきが、そこにある。


「――きっと、このままじゃ終わらない。そんな気がする」


 ロイクがアムルの肩を軽く叩き、微笑む。


「心配ばかりしても、良いことなんてそうそうないさ。今は、水の祠のことだけ考えようぜ」


 その言葉に、アムルも、パンドラも、小さく頷いた。




 そして砂漠の奥、白砂がうねるように重なり合う丘を越えた先に、それはあった。

 風が弱まり、空気が重くなる。

 乾いた砂の匂いの中に、微かな湿り気が混じる。


「……ここだ」


 ロイクが呟いた。

 砂に埋もれるようにして建つ、小さな祠。

 そしてその前に立つのは空っぽの水盤。


 だが、何かが湧き出るような気配があった。


「……水が、戻ってくるの?」


 アムルの言葉に反応するように、水盤の表面が揺らめいた。

 そして、うっすらと水が現れる。


 その水面の奥に、もうひとつの「映像」が現れた。

 誰もいない祭壇の傍で、白衣を纏った少女がひとり、祈りを捧げていた。

 その唇は、音のない詩を紡いでいる。

 周囲に誰もいないはずなのに、その祈りは水面に共鳴し、波紋となって広がっていた。

 その光景に、アムルの胸が激しく鳴る。


(この子……わたし……?)


 記憶ではない。

 だが、否応なく「自分であった」と思わせる確信があった。

 少女の髪が揺れる。

 その姿はまるで、「祈りそのもの」の化身だった。

 水に映る「かつての魂」が、静かにアムルへ語り掛ける。


 ――忘れていいものなんて、なかった。

 でも、思い出すだけでは意味がない。


「思い出すだけでは……意味が、ない?」


 鸚鵡おうむ返しに繰り返しながらも、アムルは気付いていた。


(――そう。わたしは知ってる。行動しなければ、何も変わらない)


 祈りは、ただの記憶ではない。

 選び、進むための意思なのだ。


 ロイクとパンドラが彼女に視線を向けた。

 だがアムルの目は水盤の奥の光景に、釘付けだった。


 ――貴女はかつて、炎の台座に祈った。


 世界に抗っても。世界を壊してでも。

 わたしはパンドラを取り戻したい


 貴方は、そう、強く想った。

 それは祈り。魂を懸けた願い。


「パン、ドラ……を……?」


 意味がわからなかった。

 けれど、自分ならば確かにそうするだろうと、思う節もあった。


「……ねえ、ロイク。パンドラ」


 声が震える。

 けれどその声は確かに、前より強く、まっすぐだった。


「わたし、やっぱり、ここを


 アムルがそう言った瞬間――

 水の祠は、開かれた。



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