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第10話 土の祠

 土の祠への道程は、これまでとは少し違っていた。

 火の祠、水の祠では、神々の加護と後押しに背を押されるように進んだ。

 けれど今回は――引き寄せられている。

 そう、まるで深く静かな地の奥に、何かに呼ばれているような感覚だった。


「呼ばれている、のね?」


 アムルが足元を確認しながら呟く。

 聖剣がそれに応じた。


「土の神、グラナイオスの力を感じます。これは導きではなく、引力……地の記憶が、あなたたちを呼んでいる」


「確かに、押されてるというよりは、引き寄せられてるって感覚だな」


 ロイクが頷き、パンドラも静かに周囲に目を向けた。

 足許の砂は、いつしか湿り気のある濃い褐色の土へと変わっていた。

 乾いた白砂とは違い、踏み込むたびに足跡が残る。


「……土の神、グラナイオスの領域に入ったのかしら」


 その言葉と同時に、辺りの空気もまた変わっていく。

 緑の匂いが強くなり、土の香りと重なるように鼻腔をくすぐる。

 どこか懐かしく、胸の奥に響くような重みが、静かに彼らを包んでいた。


 道端には、小さな若葉が芽吹いていた。

 微かな光を浴び、ひとしずくの露を乗せながら、確かに「今、ここに生きている」と主張するように。


 一方で、朽ちた石碑がその脇に倒れていた。

 誰の祈りかも、何が記されていたのかも判らない。

 けれど、それがここにあったという「事実」だけが、大地の中に残っていた。


 やがて、つるが絡みついた岩壁の間を通り抜ける。

 その蔓は、古の祈りのように、風に語られることなく、ただ静かに根を張っていた。


「……ここ、静かね」


 パンドラが囁くように言った。


「音が、全部土に吸い込まれてるみたいだ」


 ロイクもまた、言葉を抑えるように呟く。

 言葉が響かないのではない。

 言葉の重さを、大地がすべて「記憶」として受け止めている――そんな錯覚にさえ陥るほどの、深い静寂がそこにはあった。


 そして、精霊とも魔物ともつかないが、樹々の影からこちらを窺っている。

 最初は小動物かと思ったのだが、違った。


 それは掌にすっぽりと収まるほどの、小さな存在で。

 白く半透明な身体が、陽の光を透かして、儚く揺れている。

 虚ろな黒い目と、ぽかんと開いた口が、何とも言えない愛嬌あいきょうかもし出していた。


 心が在るのかはわからない。思考を持っているのかも、わからない。

 ただ、何故か、アムルとはよく目が合った。

 土の神の眷属なのか。それとも別の何かなのか――

 ともかく、害意は無さそうだ。


 それに、なんとなく微笑み返して、アムルはまた、前を向いた。


「……過去の祈りも、怒りも、涙も、全部……この土の中に、残ってるのかもしれない」


 アムルの呟きに、聖剣が静かに震える。

 確かに、その「記録されぬ祈り」たちが、この地の重みを、より深いものにしていた。


 三人はやがて、苔むした岩の階段に辿り着く。

 その奥、薄暗く沈んだ森の影の中。

 そこに、土の祠は眠っていた。

 ――そして、言葉にはならぬ「祈りの残響」が、彼らを迎えていた。


 祠の内部は、外の森とはまるで違う静けさに包まれていた。

 まるで大地の胎内に入ったかのように、すべての音が吸い込まれ、重たく沈んでいく。


 湿り気を帯びた土の香りが、空気に濃く漂っていた。

 それは腐敗の匂いではなく、長く時を経た祈りの「堆積」のような、穏やかで重い気配。


 石造りの天井には、木の根が突き破って伸びていた。

 ひとつ、またひとつと蔓が垂れ下がり、天から降る線のように空間を縫っている。


 地面には、かつて誰かが跪いた跡が残されていた。


 苔の絨毯に覆われた奥の壁に、崩れかけた文字なき碑が立っている。

 風化し、判読できぬその表面にも、指でなぞった跡のような線が刻まれていた。


 そして――祠の最奥。

 そこには、広く沈んだ「沈黙の泉」があった。


 水は張られていない。

 だが、そこに泉が存在していたとしか思えないほどに、湿気と気配が「水の記憶」を残している。

 そこに立ち尽くしているだけで、耳の奥に、かすかに水音が響いたような錯覚すら、起きる。

 パンドラが囁いた。


「……ここで、祈られていたのよね。たくさん……ずっと昔から」


 ロイクは無言で頷く。

 そしてアムルは、胸に手を当てたまま、そっと一歩を踏み出した。


 重みがある。

 それは、空間の圧力ではなく、ここに積み重ねられてきた「記憶の質量」だった。


 壁に残る手形、床に落ちた欠けた杯、根に包まれてなお崩れない祈祷の祭具。

 すべてが、祈りの形のまま、ここに眠っている。


 聖剣が静かに震える。

 まるで、この空間全体が、かつて誰かが捧げた「祈りそのもの」でできていることを告げるように――

 祠は、生きていた。

 祈りの名残と、記憶の残響で、静かに呼吸をしていた。


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