土の祠への道程は、これまでとは少し違っていた。
火の祠、水の祠では、神々の加護と後押しに背を押されるように進んだ。
けれど今回は――引き寄せられている。
そう、まるで深く静かな地の奥に、何かに呼ばれているような感覚だった。
「呼ばれている、のね?」
アムルが足元を確認しながら呟く。
聖剣がそれに応じた。
「土の神、グラナイオスの力を感じます。これは導きではなく、引力……地の記憶が、あなたたちを呼んでいる」
「確かに、押されてるというよりは、引き寄せられてるって感覚だな」
ロイクが頷き、パンドラも静かに周囲に目を向けた。
足許の砂は、いつしか湿り気のある濃い褐色の土へと変わっていた。
乾いた白砂とは違い、踏み込むたびに足跡が残る。
「……土の神、グラナイオスの領域に入ったのかしら」
その言葉と同時に、辺りの空気もまた変わっていく。
緑の匂いが強くなり、土の香りと重なるように鼻腔をくすぐる。
どこか懐かしく、胸の奥に響くような重みが、静かに彼らを包んでいた。
道端には、小さな若葉が芽吹いていた。
微かな光を浴び、ひとしずくの露を乗せながら、確かに「今、ここに生きている」と主張するように。
一方で、朽ちた石碑がその脇に倒れていた。
誰の祈りかも、何が記されていたのかも判らない。
けれど、それがここにあったという「事実」だけが、大地の中に残っていた。
やがて、
その蔓は、古の祈りのように、風に語られることなく、ただ静かに根を張っていた。
「……ここ、静かね」
パンドラが囁くように言った。
「音が、全部土に吸い込まれてるみたいだ」
ロイクもまた、言葉を抑えるように呟く。
言葉が響かないのではない。
言葉の重さを、大地がすべて「記憶」として受け止めている――そんな錯覚にさえ陥るほどの、深い静寂がそこにはあった。
そして、精霊とも魔物ともつかない
最初は小動物かと思ったのだが、違った。
それは掌にすっぽりと収まるほどの、小さな存在で。
白く半透明な身体が、陽の光を透かして、儚く揺れている。
虚ろな黒い目と、ぽかんと開いた口が、何とも言えない
心が在るのかはわからない。思考を持っているのかも、わからない。
ただ、何故か、アムルとはよく目が合った。
土の神の眷属なのか。それとも別の何かなのか――
ともかく、害意は無さそうだ。
それに、なんとなく微笑み返して、アムルはまた、前を向いた。
「……過去の祈りも、怒りも、涙も、全部……この土の中に、残ってるのかもしれない」
アムルの呟きに、聖剣が静かに震える。
確かに、その「記録されぬ祈り」たちが、この地の重みを、より深いものにしていた。
三人はやがて、苔むした岩の階段に辿り着く。
その奥、薄暗く沈んだ森の影の中。
そこに、土の祠は眠っていた。
――そして、言葉にはならぬ「祈りの残響」が、彼らを迎えていた。
祠の内部は、外の森とはまるで違う静けさに包まれていた。
まるで大地の胎内に入ったかのように、すべての音が吸い込まれ、重たく沈んでいく。
湿り気を帯びた土の香りが、空気に濃く漂っていた。
それは腐敗の匂いではなく、長く時を経た祈りの「堆積」のような、穏やかで重い気配。
石造りの天井には、木の根が突き破って伸びていた。
ひとつ、またひとつと蔓が垂れ下がり、天から降る線のように空間を縫っている。
地面には、かつて誰かが跪いた跡が残されていた。
苔の絨毯に覆われた奥の壁に、崩れかけた文字なき碑が立っている。
風化し、判読できぬその表面にも、指でなぞった跡のような線が刻まれていた。
そして――祠の最奥。
そこには、広く沈んだ「沈黙の泉」があった。
水は張られていない。
だが、そこに泉が存在していたとしか思えないほどに、湿気と気配が「水の記憶」を残している。
そこに立ち尽くしているだけで、耳の奥に、かすかに水音が響いたような錯覚すら、起きる。
パンドラが囁いた。
「……ここで、祈られていたのよね。たくさん……ずっと昔から」
ロイクは無言で頷く。
そしてアムルは、胸に手を当てたまま、そっと一歩を踏み出した。
重みがある。
それは、空間の圧力ではなく、ここに積み重ねられてきた「記憶の質量」だった。
壁に残る手形、床に落ちた欠けた杯、根に包まれてなお崩れない祈祷の祭具。
すべてが、祈りの形のまま、ここに眠っている。
聖剣が静かに震える。
まるで、この空間全体が、かつて誰かが捧げた「祈りそのもの」でできていることを告げるように――
祠は、生きていた。
祈りの名残と、記憶の残響で、静かに呼吸をしていた。