「ふぅ」
夕食を食べ終え、自室に戻った俺は小さく息をつく。椅子に腰掛け、机の隅にある小さな本棚に立てていた日記帳を取り出し、最初のページを開く。
『サエル・シュラインド』に転生してから数日が経った。
元の記憶には無かった『実際に過ごしてわかったこと』を日記にまとめてみた。まずはいち早くこの世界に慣れることが第一だからな。
まず、俺はこのハーライツ王国で1番の学校──王国立シエル学園に今年から通う1年生のようだ。現在は春季休暇なので、正確にはあと1週間はまだ学生ではないが。
──シエル学園。3年制の学校だ。
ハーライツ王国の歴史や領地経営学などの座学から剣術や魔法の武術まで、数多くのことを王国最高水準で受講することができる。
その分、受講料も高いので、ほとんどの生徒が貴族である。だが、成績が良い生徒は特待生となり受講料が免除されるので、その対象となった優秀な庶民も数人いる。
次に、我が領土──シュラインド領。
これについてはただ一言、『良好』だろう。
現在当主である父さん──テラス・シュラインド、41歳。
短く整えられた銀髪に、鋭い眼光を持つ水色の瞳。彫りの深い顔立ちは威圧的にも感じる。
が、その中身はオリビアとは比にならず、心配になるくらいの親バカである。最近息子になったばかりの俺が迷わずに言うくらいに、だ。
統治能力が凄まじく、また王国屈指の剣術の持ち主でもある。
さらに、母さん──オリビアは元商人ということもあり、シュラインド家の財力も極めて良好。
あとは……まぁそうだな、ルナが可愛すぎることか。本当に可愛すぎる。大事なことなので2回言いました。
かなり甘えん坊な性格で、事あるごとに、
『お兄ちゃん!』
『おにーちゃんっ』
『おにぃちゃぁん……っ』
『お兄ちゃん!?』
『おにい……ちゃん……』
『おーにぃっちゃん♪』
と呼んでくれる。可愛すぎる。
あぁ、ちなみに俺の病気は、俺が『サエル・シュラインド』に転生したことがバレないようにと気遣ってくれた仮病であった。
コンコン。
「サエル。いるかしら?」
日記を見返していると部屋の扉がノックされ、母さんの声が聞こえてきた。
手に取っていたまだ慣れていない羽根ペンをペン立てに刺しながら、「いるよ。開けて大丈夫」と短く返事をする。
「どうしたの母さん?」
「今大丈夫だった?」
「うん。日記書いてただけだからね」
「あら。ちゃんと継続してるのね。良いことじゃない。それはそうと、ちょっとだけリビングに来てもらえるかしら? お話があるのだけれど」
扉を開け、しかしプライバシーを重んじたのか部屋には入ってこなかった母さんが、何やら少し神妙な面持ちで切り出す。大切な話らしいな。
俺なんかしたっけ? 怒られるような行動はしてないと思うが…………。
転生前のことまでは分からない。だが引き継いだ記憶にある『サエル・シュラインド』は、そのようなことをしでかす性格では無いはず。
「うん、大丈夫。すぐ行くね」
「ありがと。先にリビングで待っておくわね」
まぁ、行ってみれば分かることか。そう思った俺は母さんの呼び出しに了承した。
階段を降り少し廊下を歩いた先にある扉を開いた。リビングに行くと、先ほどまで食卓を囲っていたダイニングテーブルが綺麗に片付けられ、コーヒーを飲みながら母さんと父さんが談笑を楽しんでいた。
「あら、早かったわね。サエルもコーヒーでいいかしら?」
「うん。ありがとう」
俺に気付いた母さんが俺の分のコーヒーを注ぎにキッチンへ向かった。俺も何か手伝えないだろうかと思いキッチンに向かおうとするが、「そこまでの手間じゃないから気にするな」と父さんに苦笑いされてしまう。言われて俺も「逆に邪魔になるか」と思い、父さんの向かいの席に座った。
ほどなくして、母さんがコーヒーと僅かな茶菓子を持ってきてくれた。
「それで話っていうのは?」
茶菓子に手を伸ばした父さんの手を静かな笑顔で止める母さん。最近体重を気にしている父さんの手を静かな圧で止める母さん。
なんだか埒が明かなそうだったので、小さく咳払いをしてから無理やり本題に入った。
「サエルは今年から変わった新しい学校制度を知ってるか?」
「新しい学校制度?」
父さんの質問に俺は転生前の記憶を漁ってみる。
「いや……初耳かも」
「そうか。実はお前が来週から通う王国立シエル学園なんだが、今年から『中等部』と『高等部』ができるんだ。今まで通りサエルたち15歳から通うのが『高等部』、そして新たに敷地内にできる『中等部』は12歳から通うことができる学校だ」
肘をつき、手を組み、極めて真剣な表情で語る父さん。隣に座っている母さんもコクコクと頷き父さんに同意を示す。
「……なるほど。そういうことか」
それだけで、俺は父さんが言いたいことが何かを察した。
つまり、父さんと母さんが言いたいのは…………
「「「ルナに男が近づいてくる……っ!!」」」
ダイニングテーブルについた家族3人に緊張が走った。全員が頭を抱える。緊急事態だ。ここ数年のシュラインド家における最大の事案かもしれない。
まず、俺たちの共通認識として──ルナが可愛すぎるのだ。これからもめちゃくちゃ言うから覚悟しておいてくれ。
そして、あの可愛さはなにも家族だけに発動するものじゃないのだ。これは俺がまだ転生する前の『サエル・シュラインド』の記憶、とある伯爵家と会食を行ったときのこと。あちらの子供がルナに一目惚れしていたのはもちろんのこと、執事やメイド、当主までも目が奪われていたのだ。
大の大人が惹かれるほどの少女ルナ。学校とかいう青春真っ只中で性欲を持て余している場に送り込むのは────。
「──サエルよ。殺気が漏れているぞ」
「は……っ」
父さんの声に俺は正気に戻る。コーヒーカップを握る手が力んでいることに気づいた。空想の宿敵に対しての殺意が気づかぬうちに漏れ出てしまった。
コーヒーを一口飲み、気を落ち着かせていると、正面からメキメキッという音が微かに聞こえてきたような気がした。そちらに視線を向ける。
「……父さん。コーヒーカップが粉砕しそうだよ」
「…………ふっ」
父さんが1番キレてた。殺意を抱くどころか、空想の状態で殺そうとしてたよこの人。
ルナは学校に、最低でも『中等部』には通わせず家庭教師などでサポートすることが最も平和的で、最も死者が出なさそうな方法である。しかし、俺が知らないまま『中等部』の設立が決定したということは、貴族の話し合いによる決定ではなく王家の意向によるものなのだ。
つまり、ルナを学校に行かせない=王家への反逆と捉えられるかもしれない。
「ふっ、サエルよ。もう分かったな?」
「うん。任せて」
「私たちもできるだけ助けるからね」
ジャラジャラという音を立てながら金貨をテーブルの上に置く母さん。金でも権力でも、ということか。頼もしすぎる。
「俺は学校で────ルナに近づいてきた男を片っ端からぶっとば……追い返すよ」
ガタッという音がなり、3人が立ち上がった。そして、商談成立のように熱いアツい握手を交わした。
女神ありがとう。チートスキルをくれて。
ルナに近づく不埒な獣は一匹残らず消し炭にしてやろう……くは、クハハハハッ!