(新星歴4818年7月10日)
俺は今日久しぶりに「マサオのなごみ亭」に飯を食いに来た。
最近は第二小隊の連中がミユルの町担当だ。
辺境伯、いや今は侯爵様か。
用があって俺は久しぶりに訪れていたのだ。
ついでにミユルの町の巡回と思ったがちょうど昼時だ。
様子を見るのもいいだろう。
グースワースの飯はめちゃくちゃうまい。
リナーリア、あいつは天才だ。
この世界、料理人は皆聞き慣れない名前が多い。
どうもスキルが関係しているらしいが、絶対あいつは何かしらのスキルがあるんだろう。
そういうわけでここに来るのも久しぶりだ。
ネイルの宿屋の飯もうまいが、泊まるわけじゃないからな。
何となく顔を出しにくい。
俺はドアを開いて店に入った。
カランカランと小気味良い音が俺を迎えてくれる。
「いらっしゃい。好きな席に…って、旦那じゃないか!」
店主が俺を覚えていたようだ。
「ああ、覚えていてくれたんだな。あの時は助かった。おかげでいい宿屋に泊まれたよ」
俺は何とか空いていた4人掛けのボックス席へと腰を下ろした。
「覚えているに決まっているじゃないか。旦那ありがとう。俺たちを、ミユルを守ってくれて」
なぜか涙ぐむ店主。
「おいおい、どうした?別に俺が助けたわけじゃない。辺境伯、いや侯爵様を始め皆で守ったんだ。俺は大したことしてねえよ。それよりこの『店主のおすすめ』大盛りで頼む。腹減って倒れそうだ」
涙を拭いてにっこりとほほ笑み、はいよっ!といい返事を残し、店主は厨房へと消えていった。
俺は何となくあたりを見回す。
きっと父親も回復しただろうし、母親も元気になったはずだ。
まあネイルは居ないよな。
そして何の気なしに窓の外を見て俺は思わず固まってしまう。
ネイルが窓にぴったり顔をつけていて、見開いた眼と俺の視線が合ったのだ。
「っ!?」
俺の姿を確認したネイルは慌てて入口の方へ走っていった。
前見た時よりも少し成長したようだ。
髪の毛が肩まで伸びていた。
ガランガラン!!
大きな音がしてドアが開く。
「いらっしゃ……て、ネイルか、っておい!」
店主の問いかけに完全無視。
わき目もふらず、一目散に俺に突撃してくるネイル。
「うわああああーーーーーん!!!」
そしてしがみつき泣き出した。
「おう?ど、どうした?お、おい?!」
思わず取り乱す俺。
そして仰天の問いかけが俺に投げかけられる。
「生きてたー。ヒック。…ナハムザートさん」
「グスッ…死んじゃったかと…思った…ぐすっ」
俺はため息をついてネイルの頭を優しくなでてやる。
「おいおい、俺はそう簡単には死なないぞ?なんでそんな……」
ネイルは泣いてぐちゃぐちゃの顔で俺を見て口を開く。
「だって…だって、ナハムザートさん、10日分もお金払ったのに、4日したらいなくなっちゃったんだもん。それで……」
やべえ。
すっかり言うのを忘れていた。
「グスッ…おかあ…さんに……聞いたら…グースワースっていう…ヒック」
「うう…怖い…所に行ったって……うああ……うあああああーーーん」
あー、普通そうだよな。
あそこは魔境みたいなものだしな。
俺は特に気にもせず、ネイルに告げた。
「馬鹿だな。お前たちを残して俺が死ぬかよ。大丈夫だネイル。また俺が守ってやるからな。…せっかくの可愛い顔が台無しだぞ?」
そして優しく落ち着かせるように抱きしめてあげた。
そう、俺は軽い気持ちで言ったんだ。
だが、俺は恋する少女の脳内の考え方を舐めていた。
いや、知らな過ぎたのだ。
「…えっ?『一生守る』?!…『可愛い』?!…ああ…あああ♡」
突然顔を赤くし、まるでマグマのようにネイルの体が熱を発し始めた。
そしてとても少女だとは思えないすさまじい色気を纏い俺を見つめてきた。
「っ!???」
俺の背中に、暑いくせになぜか冷たいものが走る。
「好き♡……結婚してください♡」
90年以上生きてきて、俺は初めてプロポーズされてしまった。
えっ……どうするんだこれ?
ええっ?
俺はどうすればいいか分からず、抱きしめた状態で固まった。
店主の冷めたようなジト目に見られ俺はさらに固まってしまったんだ。
※※※※※
私ネイル。
11歳。
もう大人なの。
胸だってちょっと大きくなったんだよ。
だって……大好きなナハムザートさんが……
「愛してる、一生守る」
言ってくれたの。
凄く格好良い!!
もう好き♡
だから結婚しようって、恥ずかしいけど私言ったんだ。
そしたらね。
ナハムザートさん何も言わずに抱きしめてくれたんだよ。
もうOKだよね。
お父さん。
お母さん。
ネイルはナハムザートさんと結婚します。
子供は……恥ずかしいけど5人くらい欲しいな♡
あとね、可愛い白いワンちゃんを飼うの。
ああ、し・あ・わ・せ♡
※※※※※
「緊急事態です。助けてください」
ナハムザートから念話が届いた。
慌てた俺はネルと二人でミユルの町の飯処に転移してきた。
そしてなぜか小さい女の子に抱き着かれ、顔中キスされたのか若干顔を濡らし、魂が抜けたように白目をむいているナハムザートが目の前にいるのだが。
……なんだこれ?
店主らしき男が俺に近づいてきて、急に顔色をなくす。
「っ!?もしや……魔王ノアーナ様?……ああ、ご無礼を」
そしておもむろに跪く。
「ああ、すまない。どうやらうちのナハムザートが迷惑をかけたようだ。立ってくれないか?事情を聴きたい」
「うちの」発言に小さな女の子が反応し、俺を睨んできた。
そして明らかにネルを意識し、キッと睨む。
おう、凄いな。
むしろ好ましく見えた。
「こ、こら、ネイル!この方は……」
「いやいい。……お嬢さん?ネイルといったかな?今どういう事なのかお兄さんに教えてくれるかな?」
俺は優しく問いかけた。
女の子は頬を膨らませながら気丈に振舞い俺に言い放つ。
「う、うちの主人は私のです。あなた、ナ、ナハムザートさんの、いえ、わ、わたしの夫の何なんですか?」
思わず固まる俺とネル。
「主人?」
「夫?」
そしてやっぱり怖いのだろう。
ボロボロと涙を流しながら泣きだしたのだ。
「やだー。とったらダメえ。ぐすっ。結婚するの…ヒック…うわああああーーん」
※※※※※
どうやらナハムザートの今までの無自覚に優しい行動と、考えなしに言った言葉に、初恋の魔力が絡みとんでもない暴走をしていたらしい。
今はネルにやさしく抱きしめられて、何かを話し合っているようだ。
「ナハムザート。おまえ、ちょっと考えて物を言え」
絶対コイツにだけは言われたくないと思いながらもナハムザートはおとなしく従った。
「…へい。すみません」
どうやら落ち着いたようだ。
ネルとニコニコ何かを話しながらこちらをちらちら見て笑うまでにはなってくれた。
「ふう、取り敢えず落ち着いたようだな」
俺は安心した。
そして再び落とされる爆弾。
「ノアーナお兄さん?」
ネイルが俺に近づき放つ。
「こんなに奇麗なネルお姉さんがいるのに、他の人も好きなのはダメよ」
「ぐふっ!」
ネルがなぜかすまし顔で遠くを見ていやがる。
「もう、めっ!でしょ!」
ぐうの音も出ない。
そして笑うなナハムザート!!
なぜか俺が注意され、ナハムザートの初プロポーズ事件は幕を閉じたのだ。
だけど、こういうほのぼのとしたことが起こるこの世界を、守れたのだと改めて嬉しくなったんだ。
「私はあきらめないからね!!」
ネイルの決意は、まさに幸せの象徴だった。