エルケスの街はかなり大きそうに見えた。城壁の向こうには立派な西洋風の城が見える。
城壁の外にはいくつかの掘っ立て小屋のようなものがあり、この都市が繁栄していることが分かるだろう。
草薙がそのような目で見ていると、護衛の男性が話しかけてくる。
「しかしお嬢様、このまま街に入ってもいいんですか?」
「マシュー、それはどういう意味?」
「街に入るには身分証が必要でしょう? その男、別の世界から来たと言いましたけど、身分証なんて持ってるわけないですよ」
その事実を指摘され、ナターシャは一瞬理解するのに戸惑ったのだろう。そしてすぐに理解する。
「あっ、そうでした……」
「え?」
どうやら失念していたらしく、素で驚いているようだ。それを見た草薙も驚いてしまう。
「どうしましょう……? 街に入れないとなると、恩返しも何もできなくなるわ……」
「いやいや、もともとは街まで送ってくれる約束なので、ここまでで問題ないですよ」
草薙は必死にアピールする。
「それにほら、城壁の外にも街はあるみたいなので、そこで細々を暮らしていけば大丈夫ですから」
「ですが、あそこはスラム街ですよ? 不法移民が住み、貧困と病魔がはびこる場所に行かれるつもりなのですか?」
どうやら、あの掘っ立て小屋は違法に建築されたスラム街らしい。それを考えた草薙は躊躇ってしまう。
「私といたほうが賢明ですよ」
「そう言われると、確かにそうかもしれませんが……。この街のルールを破るのは少々心苦しいといいますか……」
「ですが、先ほどのまま何もない場所を延々と歩き続けるのもつらいでしょう? それにあなたには呪いが掛けられています。その呪いがどの程度のものかは分かりませんが、餓死することもできないとなると、それこそ地獄のようなものでしょう」
草薙は何も反論できなかった。
「しかし、このままだと俺は街に入れないんですよね? 他に何か策があるとは思えないのですが……」
草薙は思ったことをそのまま口に出す。
「そうですね。このまま門番による検問を抜けられるとは思いません。ですが安心してください。私にいい考えがあります」
「それ大丈夫なヤツですよね?」
一抹の不安を抱く草薙であった。
結局そのまま城壁の門をくぐろうとする。そこで門番が馬車に停止するよう求め、護衛の男性はそれに従う。
「どうも。カルナス子爵の馬車ですか?」
「えぇ。その通りです。通っても?」
「そうしたいのは山々ですが、規則ですので身分証の提示をお願いします」
そういって護衛の男性は、懐からカードのような物を取り出す。
「……はい。確認しました。馬車の中を拝見します」
「では、自分が開けます」
護衛の男性は馬車の御者席から降り、キャビンの扉を開ける。当然ながらそこには、ナターシャと草薙がいるだろう。
「ナターシャ嬢、ご機嫌いかがですか?」
「とてもいいですわ。ありがとう」
「それで……、こちらの方は?」
当然も当然で、草薙のことを指摘するだろう。
「この方は私の新しい護衛です」
「護衛の方……。それじゃあ身分証の提示をお願いします」
「それはできませんわ」
「……はい?」
門番は思わずナターシャに聞き返す。
「この方は私の専属の護衛ですの。名前も身分も全て隠匿された護衛ですのよ」
「はぁ……?」
確かに草薙の顔つきや服装を見れば、普通の護衛ではないことが分かるだろう。白の半袖と動きやすいジーンズという、この世界にはまだ存在しない服装をしていることから、門番もそのような護衛であると認識してしまう。
「……えぇと、少々お待ちください」
そういって門番は、門のすぐ横にある事務所にて相談を始めた。
「秘密の護衛を雇っているそうなんだが、こういう時はどうすればいいんだ?」
「身分証の提示ができないヤツは一様に出禁でいいだろ」
「しかし、カルナス子爵の御令嬢であるナターシャ嬢が言っているんだ。一定の信頼はあるはず」
「マニュアルにはなんて書いてある?」
「こんな特殊な事例、マニュアルに書いてあるわけないだろ」
「俺たちの裁量で決められねぇよ。すぐに隊長に聞いてこいよ」
そのまま十分ほど待たされ、門番が戻ってくる。
「えー、今回は特例ということで通します。ただし、このことは内密にお願いします。違法な商人とか入ってきちゃうので」
門番が小声でナターシャに話す。
「もちろんですわ。それではごきげんよう」
そのまま門を通り過ぎていく。
「これで問題ありませんね」
「そうですね。それにナターシャさん、人前だとだいぶ口調が変わるんですね」
「一応、裏表はないようにしているんです」
「そうですか……」
とにもかくにも、こうして無事に草薙はエルケスの街に入ることが出来た。