大切な人を失った痛み。
これまでの常識が崩れ去り、未知なる世界の扉が静かに開かれる。
少年の名はエデン。
彼が踏み入れたのは、人間の理では測れない、神々と怪物たちが息づく異界。
そこで彼を待つのは、温もりではなく――過酷な「現実」。
守るために、取り戻すために、ただ一つ必要なのは「力」。
試される覚悟。
そして、深淵の奥底で…何かが目を覚ます。
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――ザッ、ザッ。
まだ瓦礫の残る静かな街の片隅で、一人の少年が呆然と立っていた。黒髪を風に揺らし、その手には、傷だらけの黒い剣が握られている。
「……行く準備はできたか?」
背後から軽やかな声が届いた。淡い桃色の髪を持つ青年――シュンが、腕を組んでエデンを見つめていた。
「え?今すぐに?」
「そうだ。この場所はもう安全じゃない」
「でも……もう少しだけ、友達に別れを言える時間があるかと思ってた」
「残念だが、それは無理だ。お前が姿を見せれば、彼らまで危険に晒すことになる」
少年は拳を握りしめてうなずいた。
「……わかった」
「安心しろ。そのうち戻れるさ。強くなって、すべての脅威を排除できるようになったらな」
「……で、どこに行くの? どうやって?」
「まあ、見ていろよ」
シュンが指を弾いた。
「空間術式――ケルベロスの門」
――ゴォン!!
大地を揺らすような重低音とともに、空間が割れ、巨大な黒い門が目の前に現れた。荘厳で、どこか神殿のような威圧感を放っている。
「な、なにこれ……?」
「ようこそ、新たな世界へ」
シュンは少年の肩に手を置いて、微笑んだ。
「……覚悟はいいか?」
エデンは黙ってうなずこうとしたが、ふと目線を下に向けた。
――ギィ……
瓦礫の下からのぞく黒い刀身。彼は崩れた柱をどけ、その剣を手に取った。
「これは……」
「……その剣。お前のか?」
「違う。じいちゃんの剣だ。あのとき戦ってた時に使ってたやつ」
「ほぉ……(なんて禍々しい気配だ……。こんな代物を持っていたとは、あの老人、ただ者じゃないな)」
エデンは剣を見つめながら小さく呟いた。
「じいちゃん……絶対、助け出す。約束する」
「……いい目をしてる。じゃあ、行こうか」
「うん……って、ちょっと待って。さっき何か変なこと言わなかった? "地面にキスする"って……」
「まあ、すぐに分かるさ」
二人は門の中へと踏み出した。
――ズゥン!!
「うおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!?」
入った瞬間、エデンの身体が地面へと引きずられるように落下した。まるで鉛のように身体が動かない。
「な、なんだこれ!?身体が……重いっ!」
「ここは"地球"じゃないからな。重力も常識も、まるで違う」
「う……ぐ、ぐぐ……動けねぇ……!」
「空間術式――地上の大気」
シュンが再び指を鳴らすと、彼らの周囲に淡く光る半透明な球体が広がった。すると重圧が消え、エデンはようやく立ち上がった。
「……こ、この土地には二度と来ないって誓う……」
エデンの目の前には、暗黒に包まれた広大な荒野。岩山、沼、歪んだ建物……どこまでも広がる異界の光景がそこにあった。
「ここは――ギリシャ神話における"冥界"だ」
「冥界……お前、マジで俺を殺しにきたのか!?これが夢じゃなかったら、もう俺、足とか全部なくなってるレベルだろ!」
「安心しろ、死んでない。俺は死神じゃないし、お前の罪を裁く者でもない」
「いや、でもさ……そもそも、なんでこんな場所に……!?」
「落ち着け。説明してやる。長くなるが、まあ座って聞け」
シュンは真顔で続けた。
「お前の世界ではもう神も悪魔も、神話も空想のものとなっていたかもしれん。だが――ここではすべてが"現実"だ」
――ギィィ……ゴゴゴ……
遠くで何かがうごめく音がした。
「神々の戦争、失われた秩序、断たれた絆……。この場所に来た意味は一つ。お前が、その真実を知り、そして――超える者となるためだ」
エデンは、手の中の剣を強く握りしめた。
(じいちゃん……俺、変わるよ)
(ヒュゥゥゥゥ……)
不気味な風が、黒く歪んだ岩肌を舐めるように吹き抜けた。二人の影が冥界の丘に佇む。
「さて、ここからが本番だ」
シュンが、ふっと空を見上げた。
「本番って……何を?」
「試練だ。お前の力を、俺自身の目で確かめさせてもらう」
「ちょ、ちょっと待て!俺、戦い方なんて知らないぞ!」
「心配するな、相手はただの小動物さ。少なくとも最初はな」
「最初は?」
(……嫌な予感しかしない)
「ただし、一つだけ条件がある」
シュンの視線が、エデンの腰にある剣に向けられた。
「祖父の剣は使うな」
「はあ!?この状況で使うなって、正気かよ!?武器なしでどう戦えっていうんだ!」
「ルールはルールだ。それじゃあ、始めようか」
――ピィィィッ!
シュンが指笛を吹くと、静寂を裂くように地面の奥からザワザワと何かが這い出してくる音が響いた。
「……来たな」
ゴソ、ゴソ、ゴソ……
エデンの目の前に現れたのは、炭でできたような小さな獣たち。目は赤く輝き、耳をピクピク動かしながらこちらを見上げている。
「……は?」
――ニャーン(かわいい声)
エデンは思わず吹き出した。
「マジかよ……めっちゃ小さいし、なんか可愛いじゃねえか」
しゃがみ込んでそのうちの一匹をなで始めた。
「よーしよし……」
バギィンッ!!
「がっ……!?!?」
突然、エデンの腹部に衝撃が走り、吹き飛ばされて地面に膝をつく。
「いっ……な、何だ今の……」
「言い忘れてた。小さいけど、弱いとは言ってない」
「ふざけんなぁあああっ!!!」
――グオォォォ……グググ……!
エデンの目の前で、先ほどの獣たちの体が音を立てて膨張し始めた。
「なっ……!?これ、進化してんのか!?」
「冥界に棲む獣は進化を止めない。つまり……」
シュンが微笑む。
「放っておけば、お前を上回るまで強くなるってことだ」
「それ、先に言えよぉおおおおお!!!」
エデンは叫びながら猛ダッシュで逃げ出した。
「おいおい、走って逃げられると思うなよ。彼らは"冥界最速の猛獣"と呼ばれてるんだからな」
「ふっざけんなぁぁぁぁぁ!!!」
(続く)
(バキッ!ドゴッ!バギィンッ!)
石を砕くような音が続く。エデンの身体は、冥界の獣たちに蹴られ、殴られ、転がされていた。
「ぐっ……ぅあ……っ!」
彼の唇から血が流れる。肋骨が軋む音が、自分でも聞こえた。
(クソ……何でだ……!俺……本当に……あいつらを倒せるのか……?)
「なあ、シュン」
高台から様子を眺めていた男が、背後から声をかけられる。
「なんだ、テンザク」
「本当に、放っておくつもりか?あいつ、もう……限界だぞ」
テンザクの目は怒りと焦燥で揺れていた。拳を握り、唇を噛みしめていた。
「何も感じないのか?それでもお前は師か!」
「……黙れ」
ボソリとシュンが呟いた瞬間、テンザクの身体に異変が起きる。
(ゴゴゴゴ……)
地面から現れた鎖が彼の体を縛り上げる。
「うっ……!くっ……何だ、これは……!」
「ちょっとでも忘れるな。お前が生きてるのは俺がそう望んでるからだ」
シュンの目が細くなり、低い声が響いた。
「だが……勘が鋭いのは認める。そう、エデンには俺たちには理解できない"何か"がある」
「"何か"って……?」
「よく見てろ」
(……殺せ、全部、消せ)
――ゴォォォォォォッ……!!
その瞬間、空気が張り詰めた。空間が震え、黒い波動がエデンの身体から噴き出した。
テンザクは一歩も動けなかった。背筋に冷たい汗が流れ、鼓動が速まる。
「なっ……なんだ、あれは……!?息が……できねぇ……っ」
冥界の獣たちが一斉に動きを止め、震えだす。
(やばい……俺……死ぬ……)
――その場にいた全ての存在が、本能で理解していた。
「この男は――怪物だ」
シュン「……やはりか」
テンザク「何が……“やはり”だよ……!あれは……もう“人間”じゃない……!」
シュン「そうかもな」
(ズガァァァン!)
その瞬間、エデンが足を一歩踏み出すだけで、地面が大きく揺れる。
「ぐ、うああああああああッ!!」
叫びとともに、全身からオーラが暴発。まるで怒れる獣のように、視線は獣たちを睨みつけていた。
獣A「キャインッ……!!」
一体が恐怖のあまり身をひるがえし、逃げ出そうとした——だが遅かった。
(ギュオォォン!)
一閃。オーラの斬撃が空間を裂き、瞬時に複数の獣を吹き飛ばす。
テンザク「オーラだけで……!?斬撃を……!?そんな馬鹿な……!!」
シュン「これが“未定義の力”……」
テンザク「未定義……?」
シュン「そう、俺たちの世界にはない、法則も理屈も通じない……“外”の力だ」
(ズゥゥゥゥン……)
やがて、エデンは動きを止め、ただ一言つぶやいた。
エデン「……終わりだ」
(バシュゥッ)
黒いオーラが一気に引いていき、静寂が戻る。
シュン「……ふぅ、まさかここまでとはね」
テンザク「……本気で言ってるのか?」
エデンはその場に崩れ落ち、息を荒くしていた。額には汗、口元には血。
テンザク「おい、死んでないよな……?」
シュン「安心しろ、あれぐらいで死ぬほどヤワじゃない」
テンザク「お前……本当にあいつに何をさせようとしてるんだ……?」
シュンは笑う。だがその目は、どこか遠くを見つめていた。
シュン「世界を変える、それだけさ」