戦いが始まるその瞬間。
観客の声が消え、時間が止まったかのような静けさが訪れる。
だが、その沈黙の奥にあるのは、二人の少女が背負ってきた過去と決意の重さだった。
一見すればただの一戦。だが、これは単なる勝負ではない。
誤解、憎しみ、葛藤、そして絆——
すれ違い続けた姉妹が、ようやく正面からぶつかり合う瞬間が来たのだ。
水と怒りがぶつかり合い、深い海のような想いが解き放たれる。
舞台は整った。
過去を断ち切るのは、今——。
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(フラッシュバック。
一面に咲く白い花が、柔らかな風に揺れていた。空は澄み渡り、まるで絵画のような光景。
…だが、その美しさの中には、見えない緊張感が漂っていた。)
「誰、この子?」
冷たい目をした黒髪の少女がつぶやいた。十二歳のユキだった。
アフロディーテは優雅に立ち、柔らかく微笑んだ。
「彼女はあなたの妹よ。名前はナズ。」
ユキは眉をひそめ、一歩下がった。
「何言ってるの? 全然似てないじゃない。」
「分かってるわ。でもね、それでも本当の姉妹なの。」
(そのとき、まだ幼かったナズが一歩前に出て、小さく声を発した。)
「ユ…ユキ…」
「話しかけないで。あなたなんか、家族じゃない。」
ユキはくるりと背を向けた。
(ナズはその場に立ち尽くし、白い花びらが静かに舞った。)
「私のこと…嫌いなのかな…」
「違うわ。ただ…彼女は時間が必要なだけ。ユキは…少し難しい子なの。」
「そう…なんですね…」
(数日後。
即席の訓練場に、アフロディーテと二人の少女が立っていた。)
「今日から、GODSの試験に向けた訓練を始めるわ。」
「え? でも…試験を受けるのは、17歳になってからって言ってたじゃん。」
ユキは不満そうに眉を上げる。
「そう。でももう時間がないの。あなたたち二人には才能がある。けど、他の受験者たちはもう何年も前から訓練を始めてるわ。」
「そんなこと、どうして分かるの?」
「2年前、オリュンポスの神々12人で会議を開いて、そう決めたのよ。」
「それならなんで…今まで何も言わなかったの?」
「あなたには、まだ早いと思って。」
「またそれ? いつも“早い”って逃げるじゃん! 父親のことも隠したくせに!
なのに、急に知らない子を連れてきて“妹よ”って…信じろって言うほうが無理!」
「大人になれば、分かるわ。」
「ふざけんなよ!」
ユキが地面を拳で叩くと、大地がひび割れた。
「ユキ! 落ち着きなさい!」
「命令するな!!」
(ユキの背後に、巨大な影が現れる。それは水でできたメガロドンの姿だった。)
アフロディーテは目を見開く。
「まさか…!」
(その瞬間、ナズが背後から現れ、ユキの首筋に一撃を加えた。ユキはそのまま意識を失い、ナズの腕の中に崩れ落ちた。)
『いつの間に、あんな場所に…』
最後に浮かんだ思考を残して、ユキは気を失った。
「ありがとう、ナズ。」
「…いえ、当然のことをしただけです。」
(しばらくして、ユキは目を覚ました。目の前には、静かに座るナズの姿があった。)
「やっと目が覚めたね。」
「なにしてんの? こんなとこで暇つぶし?」
「ただ、心配だっただけ。」
「心配する必要ない。お前なんか、私を殺せるほど強くないし。」
「それは分からないよ。さっきの私は…本気を出してなかった。」
「つまり、やっぱり弱いってことか。」
「どうして私を嫌うの? 私…何かした?」
(ユキはじっとナズを見つめた。)
「何もしてない。ただ…あの女と関わりがあるってだけで十分。」
「“あの女”? アフロディーテのこと?」
「そう。私は彼女が大嫌い。彼女に関わるもの全てが…嫌い。」
「どうして?」
「…関係ない。」
「私には関係ある。だって、その理由が私を嫌う理由なんでしょ?
だったら、ちゃんと理解したい。」
(ユキは少し沈黙した後、小さく息を吐いた。)
「……分かった。話してあげる。」
(その声には、長い沈黙を破る決意がにじんでいた。)
(ユキはそっと目を閉じた。言葉を探すその表情には、痛みが滲んでいた。)
「…昔、アフロディーテに出会った頃、私は孤児だった。両親は死んだって、そう聞かされてた。」
(二人は木陰に座っていた。夕焼けが空を朱に染めていく。)
「彼女が孤児院に現れて、私を引き取ってくれるって言ったとき…これが新しい人生の始まりだって、そう思った。あんなに嬉しかったのは、久しぶりだった。」
(しかしユキの表情は次第に硬くなる。)
「でも年月が経つにつれて、彼女は冷たく、厳しく、そして遠くなった。
“強くなれ”“訓練しろ”って、そればかりで…遊ぶ時間も、優しさもなかった。」
(ナズは静かに耳を傾けていた。)
「そして…あの夜。全部を知ったんだ。父親は死んでなんかいなかった。ただ…私を捨てた。」
(場面が切り替わる。
疲れた表情の男とアフロディーテが、どこかの部屋で口論している。)
「何のつもり?」
アフロディーテが軽蔑を込めて言う。
「娘に会いに来た…」
男の声は震えていた。
「あなたと私は、私が育てるって決めたはずよ。」
「それでも…娘なんだ。せめて一度だけでいいから会わせてくれ。」
「“娘”? 彼女が何か分かってる? 彼女は半神よ。お前には制御できない怪物なの。」
「そんな呼び方するな! ユキは…ただの子供だ! 私の大切な娘だ!」
「黙れ、下等な人間。あなたごときが、私に口答えするなんて。」
(男は膝をつき、必死に懇願する。)
「…お願いだ。せめて一度だけでいいから…!」
(アフロディーテは薄く笑みを浮かべた。)
「いいわ。見せてあげる。」
(その瞬間、男の胸を何かが貫いた。光の槍だった。
彼は崩れ落ち、床に血が広がっていく。)
「…あの世から、ね。」
「な…ぜ……」
(アフロディーテは冷酷に笑った。)
「あなたの感情なんて、最初からどうでもよかったのよ。
あなたは、私の目的のための道具にすぎないわ。」
「ユ…ユキ……」
(部屋の隙間から、小さな少女がすべてを見ていた。
涙を浮かべたその目は、絶望で濡れていた。)
(少しの沈黙のあと、ユキは低くつぶやいた。)
「…その日、私は知った。
神様だって…化け物なんだって。アフロディーテは私を守ってたんじゃない。
ただ、自分の理想に私を作り変えようとしていただけ。」
「……ごめん、知らなかった…」
ナズがぽつりと呟いた。
「別にいいよ。知ったところで、何も変わらない。」
(ナズは目を伏せた。しばらくの沈黙。)
「ねえ、ひとつ聞いてもいい?」
「何?」
「ユキは、本当にここにいたいの?」
「……は?」
「分かるよ。あなた、本当はここにいたくないんでしょ。
その目が…すごく寂しいから。」
(ユキはすぐに返事をしなかった。
やがて、ぽつりと答える。)
「あなた、何も分かってない。
アフロディーテの手からは、誰も逃れられないの。」
「一人じゃ無理でも、二人ならどう? 一緒なら、きっと逃げられるよ。」
(ユキは驚きに目を見開いた。)
「何を…考えてるの?」
(場面転換。
GODSの本部、緊急通信が響く。)
「アフロディーテ様! ユキとナズが——!」
(雑音。
叫び声が混じる中、アフロディーテは静かに目を開けた。)
「ふふ…ついに目覚めたわね、あの子の中の“怪物”が…
でも逃がさないわよ、ユキ。」
(森の中。
ユキとナズは全速力で駆けていた。)
「山を越えれば、境界の外に出られる!」
「ユキ…あなたは逃げて!」
「は? 何言ってんの!? 一緒に行くに決まってる!」
「お願いだから、もう行って!」
(その瞬間、森全体が凍りついたような巨大な気配に包まれる。)
『来たか…』
ナズは歯を食いしばる。
「いやだ、絶対に置いて行かない!」
「じゃあ…お願い、聞いて。」
(ナズは静かに顔を向ける。
その目に浮かぶのは、深い悲しみだった。)
「私たちの父親、名前はレイ・ツカ。
あなたのこと、ずっと愛してたよ。」
「“私たちの”…? それって…」
「そう。私たちは…本当の姉妹だよ。」
(一筋の涙がナズの頬を伝う。)
「ユキ、もう少し…自分のことも大事にしてよ。
そのままじゃ…一生彼氏できないよ?」
「何言ってんの!?」
(足元に、突如ポータルが開く。)
「ナズ!? やめろ!」
「バイバイ、ブス。」
(笑顔のまま、ナズは手を振る。)
(ユキの身体がポータルに吸い込まれていく。
画面が暗転し——静寂。)
(戦場の砂が、二人の足元で震える。観客は息を呑み、ユキとナズが静かに向かい合う。)
「……あの日以来、もう二度と会うことはないと思ってた。」
ユキが静かに呟く。
「私も……あなたはこの世界から完全に逃げ出したと思ってた。でも今のあなたを見て……」
ナズの視線は揺るがない。
ユキはゆっくりとうなずく。
「私には私の目的がある。個人的なことじゃない。」
「私も同じよ。」
(観客席上段。ゼウスが立ち上がる。)
「――戦いを始めよ!」
(爆発的なエネルギーがアリーナを揺らす。ナズの背後に、巨大な海竜の幻影が現れ、水の塊となって空をうねる。)
「なっ……何この力……?」
ユキの目が細まる。
「何年もの訓練と敗北の結果よ。」
ナズは静かに返す。
(次の瞬間、ユキのオーラが溢れ出す。溢れかえる河のように、アリーナを濃い蒼で満たしていく。まるで全てが海の底に沈んだかのよう。)
「……素晴らしいわ。」
アフロディーテが高揚した声を漏らす。
「君の娘は、君から離れて強くなった。」
腕を組みながら、シュンが淡々と言う。
アフロディーテは目を細め、彼に向き直る。
「どういう意味?」
「君自身が言っただろう。彼女には可能性があるって。でも、その可能性を止めていたのは君だった。今、君から解き放たれて――その力は自由に流れている。」
「……私がいない方が強くなったっていうの?」
「言ってるんじゃない。事実だ。」
(アフロディーテは歯を食いしばるが、それ以上は言わない。)
(ナズは心の中でつぶやく。)
「この感じ……あの時と同じ。ユキって、やっぱりすごい。」
「――水の術式・液体分身。」
ユキがささやく。
(湿った地面から、ユキと同じ姿の分身が現れ、ナズを取り囲む。)
「分身? 私のことを、そんなに弱いと思ってるの?」
ナズの眉がひそめられる。
(分身たちが一斉に襲いかかる。ナズは怒りをこめて、それぞれを鋭い斬撃で切り払っていく。)
「ユキ! 一体何を考えてるの?! その程度の技、あなたには似合わない!」
ユキは一歩も動かない。
「……あなたに全力を出す必要はない。」
「――私をなめないで!!」
(ナズが構えを変える。)
「水の術式・海竜の咆哮!!」
(背後から巨大な水竜が二体現れ、咆哮とともにユキに襲いかかる。)
(――これを待ってた。)
「……ナズ、戦いを楽しみたい。でもそれ以上に、私は前に進みたい。」
「なら、本気で来なさい。全力で!」
「水の術式・ダークメガロドン!!」
(深海から現れる巨大な影。青と黒の闇をまとうサメが、開いた顎で突進する。二つの技が衝突し、アリーナ全体が震える。観客席まで揺れ、叫び声が上がる。)
(ナズの鎧が軋み、ひび割れ始める。)
「まずい……このままじゃ直撃する!」
(なんとか軌道をずらし、サメをかわすナズ。しかし――)
「……ユキはどこ?!」
(水の鎖が背後から襲いかかり、ナズを捕らえる。)
「いつの間に……?!」
「最初からよ。さっきのは、全部ただの囮。」
「じゃあ……まだ本気を出してなかったの?」
(ユキは目を閉じ、静かに息を吐く。)
「今の私があるのは……あんたのおかげ。だから、全力で戦うのが礼儀よ。」
(ユキの周囲に、凍てつくようなプレッシャーが満ちる。)
「水の術式・死の氷指!!」
(純白の水が渦を巻き、巨大な氷の指を形作る。空気が凍る。沈黙。指がナズに向かって落ちていく――)
「――試合終了だ!」
ゼウスが立ち上がり、叫ぶ。
(攻撃が霧散し、ユキは立ち尽くす。ナズは地面に膝をついて笑っていた。)
「勝者――ユキ・ツカ!」
(観客席が歓声で爆発する。)
「……どうして止めたの?」
「姉妹を殺すわけないでしょ。」
ナズが微笑む。
「相変わらず自惚れがすごいね。あと顔もひどいまま。」
「……なんだと?!」
(ユキが彼女の頭を叩く。ナズは笑う。)
「話したいことがたくさんある。聞きたいことも。」
「そのうち話せばいいわ。今は――次の試合を見逃したくない。」
「もしかして、あの筋肉の男? 結構カッコよくない?」
「はあ……本当に目が腐ってるわね。」
「え、嫉妬してるの?」
「バカ。行くわよ。」
「じゃあ、否定はしないってことで……♪」
(場面転換。舞台裏でエデンが装備を整えている。)
「……終わったみたいだな。」
「第十二番、出番だ。」
「了解。」
(階段の途中で、シュウとすれ違う。)
「……健闘を祈るよ、シュウ。」
「――叩き潰してやるよ、エデン・ヨミ。」
(シュウの瞳が、まばゆく金色に輝く。)