何が公平であるかを決めるのは誰ですか?
何を恐れるべきか、そして何にチャンスを与えるべきかを誰が決めるのでしょうか?
太古の昔から、神々はバランスの守護者であると信じ、上から世界を裁いてきました。
しかし、彼らの間にも、大理石のひび割れのように疑念が忍び寄るのです。
混沌が人間の形をとったら何が起こるでしょうか?
世界が止まる時がある。戦争の轟音のためではなく、
しかし、選択の重みによって。
剣がぶつかり合う音も、巨大な力が轟く音もない。
しかし、すべての言葉、すべての投票、すべての沈黙…
運命を変える力を持っている。
この章は強さについてではなく、視線についてです。
権力者がまだ価値を証明していない人々に投げかける視線から。
誰かが破滅するか、受け入れられるかを決める種類のもの。
なぜなら、権力や血統を超えて、人を本当に定義するものは何か...
それは、誰もが彼に背を向けたときに彼が決意したことだ。
そして今日、その視線の中心には、ひとつの名前があります。
エデンヨミ。
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部屋の中は、かすかな光に包まれていた。
中央には、黒く脈打つ心臓のような球体が浮かんでいる。
その中に閉じ込められていたのは――エデン。
不規則に波打つエネルギーが、空気を震わせていた。
球体の周囲では、神々が沈黙のまま佇んでいた。
その静けさを破ったのは、怒気を孕んだゼウスの咆哮だった。
「……一体何を考えて、あの少年をここに連れてきた!?」
シュンは瞬きひとつせず、答える。
「面白かっただろう?」
「……面白い、だと……?」
ゼウスの声には、軽蔑が滲んでいた。
「お前は今、最も古い禁を破ったのだぞ。
候補者に“悪魔”を混ぜることは――禁じられている」
「やめてくれよ、じいさん。そんな偽善は似合わない。
そのルール……破ったのは俺が初めてじゃないはずだ。
違うのは……俺に“後ろ盾”がないってことだけだ」
「それはお前には関係のないことだ」
ズズッ……!
見えない圧力が空間を満たす。
シュンの身体から、無言のまま放たれたオーラが波紋のように広がる。
床が軋み、壁がわずかに震えた。
「……本当に、そうか?」
ヘラクレスが拳を握る。
一歩、前へ。
「やめろ。今すぐその力を引っ込め」
「お前みたいな雑魚に、何ができる?」
その一言は――刃だった。
ヘラクレスが今にも飛びかかろうとした、その瞬間。
「――やめておけ」
低く、冷静な声が飛ぶ。
「今度はお前が味方かよ?」
「違う、馬鹿。
……お前を“確実に死なせないため”に止めてるんだ」
その言葉に、シュンの口元がわずかに緩んだ。
「いい判断だ」
ゼウスは一歩も動かなかった。
だが、その存在感は、まるで山のようにその場を支配していた。
「――オリュンポス神評議会にて、処遇を決める。
それまでの間、そいつの制御を失わないようにしておけ」
「了解。ゼウス様」
ゼウスは背を向けて歩き出す。
ヘルメスが静かに後を追った。
だが、アフロディーテだけは、その場を離れなかった。
「……私は残るわ」
「なぜだ?」
「……もしもの時、彼の傷を癒せるのは、今この場では私だけよ」
「だが……我々は“十二柱”だ。お前も必要だ」
「私の票はもう投じたわ。
――あの少年に、ね」
空気がざわめく。
だが、誰一人として異を唱えなかった。
アフロディーテは静かに、球体に近づく。
「……今日、私は奇跡を見たわ。
恐れでも、怒りでもなく――“敬意”によって立ち上がった神々を。
もしかしたら……あの子こそが、“GODSの歴史”を塗り替える存在かもしれない」
腕を組んだままのシュンが、静かに息を吐く。
「信じてくれ。あいつは――特別だ」
ゼウスは、振り返ることなく頷いた。
「……ヘラクレス。見張っていろ」
「了解した」
神々が一人、また一人とその場を去っていく。
だが――その場には、確かに残っていた。
誰もが口に出せない、拭えぬ“不安”という影が。
そしてその中心――
沈黙のまま脈打つ球体。
まだ、誰の声も届かない者が……
その中で、静かに――息づいていた。
廊下に響いていた足音の残響は、次第に遠ざかっていった。
だが、空気に漂う緊張は――まだ消えていなかった。
別の部屋では、雰囲気が少し違っていた。
より若々しく、人間らしく……
だが、それでもなお、重苦しさは変わらなかった。
互いの視線が交差するたびに、どこか気まずい空気が漂った。
誰も、最初の一言を発することができない。
その沈黙を破ったのは、ユキだった。
「……一体、何だったの?」
鋭く、はっきりとした声。
シュウが顔を上げ、無関心を装って答える。
「何のことだ?」
「アリーナの中よ。あの時感じたオーラ……あなたのものじゃなかった」
その否定は素早かった。だが――明らかに、浅かった。
「……何の話だ? 俺がエデンと戦ってたんだぞ」
「違う。あそこで戦っていたのは……あなたじゃない」
その口調には、責める響きはなかった。
ただ、確かな事実を“伝える”声だった。
ナズも、落ち着いた様子で頷く。
「彼女の言う通り。
私があそこで見たオーラと、今ここで感じるあなたの気配――まったくの別物よ」
シュウの喉がごくりと鳴る。
一瞬、何かを言いかけたが……沈黙が勝った。
そのとき――
ドガアアアアアン!!
何の前触れもなく、壁が吹き飛んだ。
爆音と共に、瓦礫が四散し、何かが部屋を横切った。
ズドォン――!
その“何か”は反対側の壁に激突し、そこにめり込む。
――それは、ヘラクレスだった。
三人は即座に立ち上がる。
目を見開き、信じられないものを見るような表情。
「な……何が起きた……!?」
答えは、言葉ではなく――姿だった。
埃が舞う中、誰かがゆっくりと歩いてくる。
衣服は、着ていなかった。
だが、体から噴き出すように溢れていた黒いエネルギーが、
靄のように彼を包み、まるで“装甲”のような形を取っていた。
それは防具ではない。
叫びだ。
存在そのものの“叫び”。
ナズとユキの頬が、思わず染まる。
視線を逸らした。
だが、シュウは――動けなかった。
恥じらいではない。
純然たる――衝撃。
目の前に現れた存在は、明らかに“エデン”だった。
だが、それは“彼そのもの”ではなかった。
その足取りに、迷いはなかった。
震えることも、言葉を発することもない。
ただ――進む。
その瞬間。
空気は、今までで最も重くなった気がした。
喧騒と驚きから離れた、聖なる大理石の間。
そこでは、どんな技よりも――言葉が強い“武器”だった。
十二の玉座が、完璧な円を描くように配置されている。
そのうちの一つ――ポセイドンの席だけが、空のままだった。
他の椅子はすでに埋まっていた。
オリュンポスの神々が、珍しく一堂に会したこの場で――
ゼウスは中央に立っていた。
手を背に組み、静かながらも張り詰めた声で語り始める。
「急な招集にも関わらず、集まってくれて感謝する。
本日決めねばならぬことは……軽々しいものではない」
神々は静かに耳を傾けていた。
ただ一人、アポロンだけが苛立ちを隠さず、鼻を鳴らす。
「それで、あのポセイドンの馬鹿はどうした?」
ゼウスは冷たい声音で返す。
「所用があるとのことだ。今回は不在だ」
アテナは変わらぬ優雅さで脚を組む。
「全員を呼んだということは……それ相応の理由があるのでしょうね、父上」
「当然だ」
ゼウスはうなずく。
「対象は一人の少年。――エデン・ヨミ。試練に参加中であり、シュンの弟子でもある」
その名を聞いた瞬間、空気に微かな緊張が走った。
「彼は、戦闘中に“悪魔の力”を解放した」
沈黙が、重く、長く続いた。
アポロンが即座に立ち上がる。
「だったら、議論の余地などない。お前が何をすべきかは分かっているだろう」
ゼウスはすぐには返さなかった。
その視線は、どこか遠く――天井の向こうを見ているようだった。
「……それでも、私はまだ迷っている」
「……その力が気になるのか?」
ディオニュソスがにやりと笑って尋ねる。
ゼウスは、迷いなく頷いた。
「そうだ。気になる。
なぜなら……気が付けば、私はあの少年に拍手を送っていた。
そして、それは私だけではなかった。
あの場にいた者――全員がそうだった」
その告白に、場が静まり返る。
「特別な存在か……」
ディオニュソスが興味深げに呟く。
「会ってみたくなってきたな」
「特別でも、関係ない」
アポロンの声は冷たく響く。
「我々はGODSを守らねばならない。それが“義務”だ」
「……いつからそんな堅物になったんだ、お前」
ディオニュソスが小さく笑う。
「俺は真面目なだけだ」
「それを“退屈”って言うんだよ」
その一言に、視線がぶつかる。
空気がざらつき始め、ヘパイストスが場を和ませようとしたが――
ズンッ!
言い合いはすぐに小突き合いに、
そして小突き合いは殴り合いへと変わった。
アテナは席から動かず、ため息をつく。
「……猿どもね」
バチィィィィン――!!
乾いた雷鳴が鳴り響く。
ゼウスの杖が床を打ち、稲妻が部屋の中心を貫いた。
誰もがその場で凍りつく。
「――終わりだ。これ以上は不要。
ここにいる全員、投票で決める。
……少年にどう対応するかをな」
静かに――だが確実に、決定は進んでいく。
「反対だ」
アポロンは即答。
「反対」
アテナも同調する。
「賛成だ」
アレスは肩をすくめながら。
「賛成」
アルテミスはそっと呟く。
「興味ないわ」
デメテルはそう言ったが――投票は“反対”として記録された。
「賛成」
ディオニュソスは、いつものようにいたずらっぽく笑いながら。
「反対だ」
ヘラは迷いなく言い放つ。
「……賛成」
ヘルメスは長い沈黙の末に、静かに頷いた。
「俺も賛成だ」
ヘパイストスが口を開く。
「……たとえお前に背くことになってもな、親父」
「アフロディーテの票は、先ほど私が預かった。
……少年に“賛成”だ」
――賛成五票。
――反対五票。
全員の視線が、ただ一人へと集まる。
ゼウス。
ただ一人、まだ決断していない者。
アレスだけが、ふっと笑みを浮かべる。
「責任は、お前にあるみたいだな、じいさん」
ゼウスは目を閉じた。
深く息を吸い――
――その瞬間。
ガァァン――!!
石の壁が爆音とともに砕け散った。
立ち上る粉塵の中、ただ一人――立っていた。
エデン。
静寂。
誰もが言葉を失い、息を呑む。
最初に反応したのはアポロンだった。
怒気に満ちた声で叫ぶ。
「……無礼者!! ここがどこだと思ってる!?」
「……これは予想外だな」
ディオニュソスが笑う。
「なあ、俺に彼と戦わせてくれよ?」
だが、エデンは動じなかった。
深々と頭を下げ、はっきりとした声で言った。
「――どうか、GODSへの入学をお許しください!!」
アポロンが再び口を開こうとした時、
ゼウスが手を上げて制止する。
「……なぜ、我々がそんな“リスク”を負う必要がある?」
「……まだ、あなた方の世界を理解しているとは言えません。
でも、僕にできることは全て尽くします。
それでもダメなら……罰は、全て受け入れます」
「分かっているのか?」
ゼウスが静かに問いかける。
「お前は――“悪魔に取り憑かれた”のだ。
この世界では、それは“死刑”に値する」
「……それでも、構いません」
沈黙。
そのあと――笑い声。
ゆっくりと、拍手。
気づけばそこに――シュンがいた。
いつものように、誰にも気づかれず。
「感動的じゃないか、なあ?ゼウス」
ヘルメスの顔が青ざめる。
「……いつ入ってきた……?」
「で?決めたか?」
シュンが笑顔のまま問う。
ゼウスは答えなかった。
しばし目を伏せ、そして小さく頷く。
「……まだ決めかねている。時間が必要だ」
「焦らすなよ、じいさん」
「全神を集めてやったんだ。感謝しろ」
「そりゃそうだな。……連れて帰るぞ。訓練が必要だ」
シュンがエデンの肩を軽く叩く。
神々の目の前で、少年は静かに頷いた。
そして、彼らはその場を去った。
残されたオリュンポスの空気は――なお、重く。
ゼウスはその背を見送りながら、呟いた。
「……本当に、あいつに似てきたな……」
アポロンが腕を組み、不満げに言う。
「……甘いな、お前は」
「ルールを破ることが、いつも悪とは限らん」
ゼウスは静かに微笑んだ。
「時にそれは――唯一の“正しさ”となる」
風が、山々を駆け抜けていた。
都市を囲むように連なる峰々の上――
その頂から見下ろすと、GODS学院の灯りはまるで豆粒のように、小さく、遠く、現実味さえなかった。
エデンは深く息を吸った。
冷たい空気が喉を焼く。
隣には、シュンがいた。
腕を組み、無言のまま、景色をじっと見つめている。
まるで、この風景を心に刻もうとしているかのように。
「……なんで、ここに?」
その声には、今日という一日を背負った“重さ”が残っていた。
シュンはすぐには答えなかった。
ゆっくりと、言葉を選ぶように口を開く。
「忘れたのか? ……さっき、結構派手に暴れてくれただろ。
人目を避けるには、ここがちょうどいい。
それに……お前と話したかった」
エデンが横を向く。
「……話? 何の?」
シュンは視線をそらさず、微かに笑った。
それは、いつもの傲慢な笑みではなかった。
どこか――寂しげな笑み。
「……明日の朝、街を離れる」
再び、沈黙が二人を包む。
風だけが、その隙間を吹き抜けていく。
「……そんなに早く……? もし……もし俺が受け入れられなかったら?」
「受かるさ」
迷いなく、シュンは答える。
「……あの頑固ジジイ、ゼウスでさえな。
お前のあの“騒ぎ”の後だ。説得されたに違いない。
それに……俺、もう数ヶ月も職場サボってるんだ。
さすがに上司が俺を殺しに来る頃だろ」
エデンはぎこちなく笑った。
「……じゃあ、これで終わりか」
シュンは首を横に振る。
「違うさ。
これは“さよなら”じゃない。……“またな”ってやつだ」
「……また?」
「……どこかで、また会う。
その時まで、俺は影から見守ってる。……いつでも、お前の背中は俺が守る」
風が吹き抜ける中、エデンは目を伏せる。
髪が揺れた。
「……ありがとう。ピンク野郎」
「礼なんていらないさ」
シュンは笑う。
「……結局、俺も“自分のため”にやってることだからな」
「またそれ言う……」
エデンは笑う。
「じゃあさ、いつになったら“自分の目的”ってやつを教えてくれるんだよ?」
シュンが静かに向き直る。
「……この宇宙で、最も強い戦士の誕生を見届けること」
「……俺のことだとでも?」
「信じてるとかじゃない」
シュンの声は、強く、まっすぐだった。
「……分かるんだ。理由なんて知らない。ただ、そう“感じる”んだよ」
「……未来が見えるわけじゃないよな?」
「……見えたら、つまらないだろ」
二人は笑った。
疲れを含んだ、小さな、けれど確かな笑い。
「……いつか、お前と戦ってみたいな」
シュンは遠くを見ながら言った。
「……俺も、倒したいと思ってる」
視線が交わる。
言葉はなかった。
だが――自然に、手が伸びる。
しっかりと、力強く、まるで兄弟のように――握手を交わす。
「……俺、もっと強くなる」
エデンは、遠くの地平を見つめながら言った。
「……じいちゃんを連れ去った奴ら。絶対に見つけて、倒してやる」
「……そいつら、俺が先に捕まえてやるかもな」
ふと、彼らのオーラが自然に広がった。
対立もなく、ぶつかることもなく――ただ、共鳴するように。
その一瞬、宇宙が認めたかのようだった。
この二人の道は、何度でも――交差する運命にある、と。