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第10章: クラス1

人生には、始まりと終わりの間に、数えきれないほどの「分かれ道」がある。


進むべき道を選ぶ時、人は希望を抱きながらも、どこかで怯えている。


この選択が、過ちではないかと。


この一歩が、正しい未来に繋がっているのかと。


それでも、人は歩みを止めない。


なぜなら、歩むことでしか強くなれないからだ。


GODSの戦いが一段落した今、


少年たちは初めて「日常」という名の戦場に足を踏み入れる。


だが、この教室で交わされる視線、言葉、沈黙――


そのすべてが、かつての戦い以上に鋭く、重く、そして苛烈だ。


この章では、エデンという名の少年が、


“ただの戦士”ではなく、“ただの化け物”でもなく、


「仲間」「信頼」「尊厳」という名の、


新たな試練に立ち向かう。


始業の鐘が鳴る。


戦いは終わっていない。


ただ、形を変えただけだ。


—————————————————————————————————————————————————————————


椅子にもたれかかりながら、男は深く息を吐いた。




「……まったく、疲れるにもほどがある」




ここ数日の出来事のすべてが、肩に重くのしかかっていた。


その姿は、年齢以上に老け込んで見えた。




「……少なくとも、戦いは終わったか」




その思考を遮ったのは、控えめなノックだった。




「……入れ」




扉が静かに開かれ、ひとりの青年が真剣な表情で中に入ってきた。


後ろ手で、丁寧に扉を閉める。




「……お願いがあります」




「何だ?」




「……自分のGODS入学権を、エデン・ヨミに譲りたいんです」




室内の空気が凍る。


その言葉は、雷鳴よりも強く響いた。




男の眉がぴくりと動く。




「……なぜ、そんなことを?」




「……自分には、相応しくないからです。


負けたのは――僕です。


あの席は、彼のものです」




「お前は立っていた。


相手は気絶していた。


それもまた、“勝利”の定義のひとつだ」




「違います。


……あの最後の一撃を放った時点で、僕の心は折れていた。


勝ったのは偶然であって、実力ではありません」




男はため息をつく。


だが、その響きに軽蔑はなかった。


むしろ、どこか――敬意に似たものを含んでいた。




「……無理に受けさせることもできるが……それでは意味がない」




「もう、入学が決定しているのは理解しています。


でもせめて……彼が排除されることだけは、どうか避けてください。


……あの少年は、僕たちの想像を超えている」




沈黙。


その瞳に、一瞬――影が落ちる。




「……超えている?」




「……あなたも感じたはずです。


あの力を解放した時……誰も、動けなかった。


ただ一人――シュンを除いて」




それは――記憶というより、“感覚”だった。




映像ではなく、心を貫いた震え。


何百年も感じたことのなかった、“本物の恐怖”。




「……出来る限りのことはしよう。


だが……最終的な決断は、私ではない」




青年は黙って頷き、その場を去った。




(――もう、彼の心は決まっていた)




(だが、彼の“運命”を決めるのは……)




(……王だ)




***




朝の光が、医務室のカーテンを柔らかく染めていた。


窓から差し込む陽光が、穏やかな金色を描いている。




遠くで響く足音と、モニターのかすかな電子音だけが、静寂をかき消していた。




「――やめろ!」




低く鋭い声が、空気を裂く。


数秒後、それをなだめるような穏やかな声が続く。




「……ようやく目を覚ましたか」




重いまぶたをゆっくりと持ち上げる。


全身に鈍い痛みが広がり、まるで山を背負った後のようだった。




「……何が……? あの少年は……?」




「もう一日、経っている」




またひとつ、ため息が漏れる。


それは安堵ではなかった。


“諦め”だった。




「……すまない。……逃がしてしまった」




相手は、疑うような目で見つめ返す。




「……逃げた? お前を相手に……?」




「……速すぎたんだ。信じられないほどに」




ぼやける記憶の中で――


一つだけ、鮮明に焼き付いている瞬間があった。




すべてが――制御不能になった、あの瞬間。




***




数時間前――




「なあ……このまま、ここで座って見てるだけってのは、どうなんだよ」


苛立ちを隠さない声が響く。




「他に方法はない。……あの子には、これが唯一のチャンスだ」


もう一人の声は冷静だった。




「……本当にゼウスが認めると思うのか?」




「……いや」


即答だった。




「じゃあ……何でしつこく待ってるんだよ」




沈黙。




次の声には、皮肉な笑みがにじんでいた。




「……念のために、“準備”してある」




「……ゼウスに何かしたら、俺が殺すぞ」




「心配無用だ。あの爺さんには興味がない。


今の彼は……弱すぎる。弱い奴には、興味が湧かない。


もし殺したければ、とっくにそうしてる」




「クソ野郎が……」




「そうさ」




……その瞬間、空気が震えた。




――ピシッ……




音がした。


見えない硝子が砕けるような感覚。




「……な、何だ?」




「……あの子だ。……力を取り戻しつつある」




エデンを封じていた球体に、細かい亀裂が走り始めていた。


蜘蛛の巣のように広がる光の筋。




「……まさか、自力で……?」




「俺の術は、“呪詛の力”を封じるものだ。


……だが、“禅華”の力まで封じられるとは限らない。


どうやら……自分の力で、封印を壊したらしいな」




閃光。




轟音。




ドガアアアアアアアアン!!!




壁が爆ぜる。


破片が飛び散り、粉塵が舞い上がる。




その中心から――


一つの身体が吹き飛ばされ、石壁に叩きつけられた。




その姿を目にした瞬間――


誰もが、目を見開いた。




煙の中から現れたのは――


黒いエネルギーをまとった、裸の少年。




荒い息遣い。


焦点の合わない瞳。




その姿に、皆が――驚きと、そして“別の反応”を見せた。




「……何もしてない。ただ出てきただけ……なのに」


呆然とした声。




「……なんで、そんなに顔赤いんだ?」


誰かが眉をひそめて尋ねる。




「べ、別に……!」


慌てた声が返る。




「ユキ、あの子に惚れてるもんねー。裸見ちゃって、ドキドキしちゃったんでしょ?」




「ナズ! 黙りなさい!!」




くすくすと、微かな笑いが空気に混ざった。




「……変わらないな、ユキ。


あんた、家を出て大人になったかと思ったけど……


まだまだ子どもね」




「いい加減にしてってば!!」




喧騒の中、ただひとり――


視線をそらさず、静かに見つめていた者がいた。




(……あの夜以来、母は変わった。


時折、傲慢さが顔を出すけれど、もう“あの怪物”じゃない)


(いつか……また一緒に笑ってくれたらいいな)




日々は、嵐のように過ぎ去っていった。


沈黙と、目を逸らす視線のあいだを、重たい空気が吹き抜ける。




医務室には、もはや恐怖の匂いはなかった。


そこに漂っていたのは――“待つこと”の匂いだった。


まるで、コイントスの最中――どちらの面が出るか、まだ決まっていないかのような緊張。




夕暮れの光が長く伸びた影を作る中――


エデンは、包帯に覆われた身体でベッドに腰を下ろしながら、一通の封筒を手にしていた。




慎重に開ける。


紙が破れそうなくらい、そっと――指先で。




――すぐに分かった。


あの字は、あいつだ。




「よう、エデン。元気か? 今頃どうしてる?


オレは今、大事な任務中だ。もしかしたら、君のおじいさんの手がかりが見つかるかもしれない。




この封筒の中には、GODSに残るために必要な資金をチャージしたカードが入ってる。


無駄遣いすんなよ。……まあ、お前の頑固さは知ってるけどな。




そして最後に――強くなれ。


次に会うときは、今よりもっと上に来てると期待してる。




敬具:ピンク頭のバカより」




ふっと、口元に微笑みが浮かぶ。


手にしたその紙を、まるで現実と繋がる“命綱”のように握りしめた。




「……ありがと、バカ」




封筒はもう一つあった。


その封には――説明不要の“あの紋章”。




慎重に開ける。




「エデン・ヨミへ。




王との協議の結果、正式にGODS学院への入学を許可する。




今回の判断には、シュウの働きが大きく関与していることを忘れるな。




君が我々に加わることを、心より歓迎する。


この機会を、絶対に無駄にするな。




――ゼウス」




「っしゃあああああああああああああああああああ!!!」




その絶叫は、医務室の壁を揺らした。


シーツが宙に舞い、包帯が弾ける。


その喜びは、まるで“咆哮”のように弾け飛んだ。




「やった……じいちゃん……!


オレ、やったよ。……少しずつだけど、近づいてる」




***




朝の光が、学園の街路を祝福のように照らしていた。


すべてが新しく、清らかで――これから始まる物語の“幕開け”を感じさせる空気。




エデンは、鼓動を高鳴らせながら歩いていた。


まるで、胸の中に太鼓が鳴り響いているようだった。




「……今日が、その第一歩か」




バン、と背中に手が置かれる。


思わず振り返る。




「……初日からそんなに硬くなるなよ」




「シュウ……!」




「ほら、のんびりしてたら遅れるぞ」




ふたりは並んで歩き出す。


ひとりは、興味津々の眼差し。


もうひとりは、すでにすべてを知っているかのような落ち着き。




「……でかいな」




学院の門は、まるで神殿の入り口のようにそびえていた。


内部の廊下は、何本も枝分かれし、それぞれが別の歴史を語るかのよう。




「……クラス、多すぎじゃないか?」




「うちみたいなのは特殊だ。


一年と二年、それぞれに“神候補”クラスがひとつずつしかない。


あとは剣術、弓術、魔術、医術……いろんな分野の訓練用のクラスがある。


軍人、特殊部隊、教官候補も混じってるからな」




「すごいな……」




「着いたぞ」


金属製のプレートに“1A”と刻まれた扉を指さす。




教室の中は、すでに賑やかだった。


ひそひそ声、探るような視線――


だが、笑顔の裏には緊張が隠れていた。




エデンが扉を開ける。




「……おはようございます」




静寂。




まるで、その声が空気を止めたようだった。




「え……?」




戸惑う彼に、鋭い声が飛ぶ。




「なに驚いてんのよ、“悪魔”」




その声――忘れもしない。




「……ユキ?」




「アンタ、あんな目立ち方したんだから当然でしょ。


みんな、アンタのこと……卑怯者で、化け物だと思ってる」




「……でも、オレは……!」




「言い訳なんて無意味。下手に反論すれば、もっと嫌われるだけよ。耐えて」




苦く唾を飲み込む。


席に向かうと、唯一冷たい目を向けていない者たちの隣に座った。




教室は、冷たい空気に包まれていた。




そのとき――扉がもう一度、音を立てて開いた。




「――おはようございます、神候補たち」




その声は温かく、そして堂々としていた。




アフロディーテが入室した瞬間、全員の目が彼女に吸い寄せられる。


まるで、その存在だけで空気が変わるように。




「これが、1対1の試合で勝ち残った13名、推薦で入学した2名、そして――


投票によって選ばれた最後の1名」




間を置いて、教室の奥から声が飛ぶ。




「……16人? 普通14人じゃないの?」




「よく気づいたわね」


アフロディーテが微笑む。


「通常の定員は14。でも、前回の大会で最下位だった2校は補欠を1人追加できる。


それに加え――今回は“彼”のために、特例が設けられたの」




エデンを指す、ほんのわずかな仕草。




背後のモニターに映像が点灯する。




「今年も“Torneo Of God”に参加します。


試合の組み合わせは抽選で決まります。


ただし、前回大会の上位2名は後半戦から登場します。


そして今回は……我々が最弱校なので、“訪問校”として戦います」




ざわめきの中、誰かが問いかける。




「……選手はどうやって選ぶの?」




「各試験で上位の成績者から選出されるわ。


辞退者が出た場合は、次点が繰り上がる。


敵校の形式によっては、柔軟に対応します」




再び、沈黙が戻る。




アフロディーテが静かに言葉を続ける。




「……“GODS”という名前に憧れるのはわかるけど、


この学院で神になれる者は、ほんの一握り。


ほとんどの生徒は、別の道を歩むことになる」




その言葉を聞きながら、ある者が拳を握りしめていた。




(……こんなの、時間の無駄だ。


オレに必要なのは、もっと“力”だ。こんな制度なんて……)




立ち上がる。


その身体から放たれるオーラが変わる。




――白く、だがどこか不穏で。




「何のつもりだ?」




「……役目は果たした。


だが、こんな茶番に付き合うつもりはない。


トーナメント? 神? 勝手にやってろ。


……オレが欲しいのは、力だけだ」




その言葉が、教室の空気を重くする。




次の瞬間、別のオーラが空間を支配した。




冷たい。重い。圧倒的な威圧感。




教室の奥――ひとりの生徒が立ち上がる。




「……誰に向かって言ってる、“悪魔”?」




その存在感に、エデンの思考がかき乱される。




(……この気配……次元が違う)




「……席に戻れ。


そのまま出て行くなら、ここで終わりだ。


オレが殺す」




全身が震える。


それは肉体的な恐怖ではなかった。


精神を蝕むような“重圧”。




「オレは悪魔が大嫌いだ。


逃げ出すなら……オレが消してやるよ」




「――そこまで」




アフロディーテの一言で、空気が弛緩する。


すべてのエネルギーが収束した。




「……力が欲しいなら、ここが一番だ。


あんたより強い奴は、たくさんいる。


……目をそらすな。


与えられたチャンスを無駄にするつもり?」




エデンは、ふっと息を吐いた。




頭の中に、二つの声が響く。




――“強くなれ”




――“次に会う時は、ちゃんと立ってろ”




彼は、静かに席へ戻った。




アフロディーテが微笑む。




「……ようこそ、GODSへ」




その場に集う視線――


軽蔑。


好奇。


敬意。




だが、ただひとつ確かなことがあった。




――物語は、今、始まったばかりだった。



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