戦争の始まりは叫び声や爆発音で告げられないこともあります。時には、金色のローブをまとい、旗をなびかせ、儀礼に満ちた言葉を掲げて到着することもある。神々の世界は人間の世界とそれほど違いはありません。両者とも祝福で傷を隠し、大げさな演説で恐怖を覆い隠します。
開会式は単なる象徴的な行為ではなかった。それは演出されたショーでした。徐々に崩壊していく世界に対する、力、秩序、そして団結のデモンストレーション。
アスガルドは古代の壮麗さで輝き、まるで未来が危うくないかのように装飾されていた。古代の彫像は、その無表情な永遠性で壮大な宮殿のホールを守っており、世界中から来た客たちは偽りの静けさの中で座っていました。しかし賢者の目には、そして最も深い沈黙の中には、金も霜も隠し切れない緊張が存在していた。
ショーが始まった。しかし、それは単なるトーナメントではありませんでした。それは声明でした。信仰、復讐、そして生き残り。
そして、その場にいた人々の中には、真実を知っている者もいた。最大の危険は戦いそのものではなく、その背後で起こっていることなのだ、と。
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朝の空は、不気味なほどに澄み渡っていた。
だが、心のどこかで、皆が感じていた。
――今日は何かが始まる、と。
何の前触れもなく現れたのは、光の門番・ヘイムダルだった。
その佇まいは、まるで運命そのものが具現化したような重みを纏っていた。
「万物の父が、そなたらを大神殿に招いておられる」
声は低く、返事など求めていなかった。
一瞬のきらめきの後、彼は消えた。
アフロディーテは、短く沈黙した後に命じた。
「準備なさい。オーディンの宮へ向かうわ」
その言葉に、全員が頷いた。
緊張、不安、決意。
そのすべてを背負って、GODSの生徒たちは次々と集合地点へ向かった。
「やはり、間違ってなかったわね……」
アフロディーテの呟きに、シュウが眉をひそめた。
「何の話だ?」
「大会は、予定よりも前倒しで開催されるわ。準備の時間なんて与えられない」
「は? そんなのアリなのか?」
「規則には反しない。慣例が無視されてるだけよ」
その声は、どこか苛立ちを含んでいた。
「俺はその方がいい」
エデンの瞳は、燃えるような決意を宿していた。
「一刻でも早く、奴らと戦いたい」
「……気持ちはわかるが、変なことが多すぎる」
シュウの目線は、周囲に潜む気配を鋭く捉えていた。
「見張りがついてるの、気づいてるか? 到着以来、ずっとだ」
「俺の力が不安定だからだろ」
エデンは、冗談のように笑ってみせた。
「……そうかもな」
シュウは納得していない様子だった。
そこへ、優雅な足取りと穏やかな笑みを携えて現れたのは、金髪の青年。
その登場に、エデンの表情がぱっと明るくなる。
「また君か……」
「やあ、エデン。再会できて嬉しいよ」
彼――バルドルは、軽く一礼をした。
「知り合いか?」
アイザックが興味深げに尋ねる。
「この前助けてくれたんだ。ゴブリンに囲まれたとき」
「つまり、ノルクでもっとも愛される神に守られたってわけか」
アフロディーテが少し皮肉めいて口にした。
「やめてくれよ、それは少し……くすぐったい」
バルドルが照れたように苦笑する。
だが、シュウの目は笑っていなかった。
穏やかなその外見の奥に、恐ろしいほどの力が見えていた。
「ついてきて。万物の父がお待ちだ」
大神殿は荘厳で、息を呑むほど美しかった。
だが、それ以上に、そこに漂う空気は重く、鋭く、冷たかった。
「遅かったわね」
アフロディーテが呟く。
その直後、深く響く声が空間を支配した。
「……座れ」
オーディンだった。
彼女は一歩踏み出す。
「思ったより来客が多いのね。何を企んでるの?」
「ほう?」
オーディンの目が細くなる。
「まさか、我に疑念を抱いているのか?」
「今更ね。アスガルドが軍で囲まれている。説明くらい欲しいところだわ」
「簡単な話だ。ブラックライツがまた動くかもしれん。……それと」
オーディンは、エデンへ目を向けた。
「そこの悪魔の子。奴が脅威なのは明白だろう」
その瞬間、空気が裂けた。
——キィィィィン!
エデンの剣が、オーディンの喉元に向かっていた。
「二度と言ってみろ……。殺す」
「エデン、やめなさい!」
アフロディーテの叫びが響く。
「仲間にそんな言葉を吐いたら、絶対に許さない」
「座れ!!」
女神の怒声が場を揺らした。
オーディンは微動だにせず、じっと少年の目を覗き込んだ。
「……お前は何に怯えている?」
その問いに、エデンは答えなかった。
代わりに、彼の目から光が消え、身体が崩れるように倒れた。
「面白い……」
オーディンは呟いた。
アフロディーテは拳を震わせた。
「……もういい。さっさと始めなさい」
「観客たちが楽しみにしているのだ」
オーディンの笑みは、薄く、不快だった。
瞬間、空に浮かぶ全世界のホログラムが起動する。
「お待たせしたな。では、対戦形式とマッチカードを発表しよう」
オーディンの声が、世界中に響き渡った。
「三対三の個人戦。二勝先取で勝利とする」
「ルールは三つ。ひとつ、殺害禁止。ふたつ、四肢の切断は禁止。みっつ、相手が意識を失った時点で勝利とする」
アフロディーテの頭の中で、記憶と警戒が交錯する。
——何かがおかしい。
「では、対戦カードを発表する」
「第一試合。アイザック・ヨイ 対 コウ・ナーヴ」
「第二試合。エデン・ヨミ 対 レイ・サンヘッド」
「第三試合。シュウ・サジュス 対 ナイ・ブリクスト」
その名を聞いた瞬間、アフロディーテの目が鋭く光る。
「……ナイ。あのナイ。雷と剣と拳を支配する怪物」
一方、シュウは静かに拳を握る。
「——潰す」
遠くから、ナイが微笑む。
「楽しみにしてるよ、天才くん」
オーディンの声が締めくくる。
「以上だ。明日、決戦の幕が上がる。楽しみにしているぞ」
ホログラムが消える。
「もう行くわよ」
アフロディーテは振り返る。
「任せてください」
シュウが応えた。
「……全部、終わらせる」
「ええ。きっちり払わせてやって」
館の奥から、かすかな声が届いた。
「粉々にしてやれ」
それに応えるように、ナイが笑った。
「安心して、じいちゃん。俺がやる」
こうして、戦いの火蓋は再び切って落とされた。
だが今回は、ただの試合ではない。
——これは、復讐と信念が交差する戦場だった。
アスガルドの城壁に沿って、氷の風が容赦なく吹きつけていた。
その冷気は、ただの気候のせいではなかった。まるで戦の前触れのように、空気そのものが張り詰めていた。
石造りの外回廊を、ひとりの青年が歩く。
うつむいたまま、無言で前へ。
足音だけが響く、その静寂の世界で。
アイザック・ヨイ。
彼は目を閉じ、深く呼吸をする。
そして、唇から一言。
「……絶対に勝つ」
それは誰にも届かない呟きだった。
自分の心に響かせるための、誓いだった。
遠くから、その姿を静かに見つめる影があった。
アフロディーテ。
声をかけることもなく、ただ唇をかすかに噛み、踵を返した。
「緊張してるのか?」
彼女は歩きながら、すぐそばにいたシュウに尋ねる。
シュウは頷いた。
だがその顔に不安の色はなかった。
「俺じゃない。アイザックのことが気になる」
「彼が?」
「……何か隠してる。力か、想いか……それが、味方になるか、災いになるか……」
そこに、重厚な足音が響く。
現れたのは、もう一人の戦士。
コウ・ナーヴ。
ノルクの鉄壁と呼ばれる少年は、金属の鎧を纏い、無駄のない足取りで進んできた。
まるで、そこに生きた武器が歩いているかのように。
二人の戦士は、無言のまま対峙する。
距離は数歩。
だが、その間には言葉では埋められない圧があった。
「準備はいいか?」
審判の兵士が問いかける。
アイザックが一歩踏み出す。
コウは、ほんのわずかに首を傾けただけ。
観客席では、数千の視線が二人に注がれていた。
息を呑む気配が、空気の振動となって伝わってくる。
「絶対に負けない」
アイザックは、槍の石突きを地面に打ち付けた。
凍った地面が、かすかに震える。
コウは何も言わなかった。
その沈黙が、何よりも重く響いた。
天上の玉座から、オーディンが静かに立ち上がる。
「――始めよ」
その言葉と同時に、
氷の大地が砕けた。
そして、戦いの幕が上がった。
観客席が震える。
轟音のような歓声が、氷の大地に反響する。
イサクは深く息を吐き、槍の柄を握り直した。
その先に立つのは、金属の鎧を身に纏った少年――コウ・ナーヴ。
その顔には、自信と嘲笑が混ざった笑み。
「……負ける準備はできたか?」
コウの言葉は、空気の冷たさよりも刺さった。
イサクは答えない。
ただ、真っ直ぐに視線を相手に向けた。
その眼差しには、揺るがぬ意志が宿っていた。
観客席でアフロディーテが静かに見守っていた。
――ブロンズランク同士の戦い。
だが、この戦いの鍵はただ一つ。
“あの防御を突破できるかどうか”。
オーディンが玉座から立ち上がる。
「第一戦、コウ・ナーヴ対イサク・ヨイ。始めよ」
瞬間、空気が凍った。
そして、
「始戦ッ!」
イサクが動いた。
無駄のない動きで槍を突き出す。
だが――
「金属術式:不可侵の壁」
金属の壁が突如として現れ、イサクの槍を弾き返した。
激しい衝突音が響く。
槍の先が軋み、イサクの身体が後方へと弾き飛ばされる。
「くっ……今、音が……割れたか?」
呟きながら立ち上がる。
確かに、ほんの一瞬、あの壁が軋んだ気がした。
コウは一歩も動かず、冷たい視線で見下ろしていた。
「失望したよ」
再び突撃。
そして、また壁。
突撃。
また壁。
何度も、何度も。
そのたびに、槍が削れ、イサクの腕が痺れる。
「釘の雨」
コウの声と共に、空が変色する。
無数の金属の針が降り注ぐ。
イサクは必死に防御するが、体中に傷が刻まれる。
呼吸が乱れ、視界が霞む。
コウが前に出る。
「もう終わりだ」
その瞬間――
「――ありがとう」
気づいた時には、イサクが目前にいた。
槍が腹部に突き刺さる。
観客が息を呑む。
コウの身体が宙を舞い、観客席の壁へと叩きつけられる。
「やった……!」
どこからか歓声が上がる。
だが、イサクの身体も限界だった。
膝をつき、倒れそうになる。
「……ダメだ、まだ……!」
視線を上げる。
シュウの顔。
アフロディーテの表情。
そして、エデンの静かな微笑。
その一瞬で、何かが蘇る。
――かつて交わした約束。
――消えていった大切な存在。
「勝たなきゃ……!」
限界を越えた身体が動く。
「勝利の槍!」
コウが応じる。
「金属術式:鉄螺旋!」
二つの技がぶつかる。
空間が震える。
音が弾け、光が爆ぜる。
爆風が観客席にまで届く。
視界が白く染まり、やがて――
静寂。
砂煙が消えると、二人は立っていた。
だが、イサクの目は閉じられ、体が崩れ落ちる。
コウは血を吐きながらも、辛うじて立っていた。
ハイムダルが静かに歩み出て、宣言する。
「勝者、ノルク学園・コウ・ナーヴ」
観客席が沸く。
アフロディーテがすぐに駆け寄り、イサクを抱え上げる。
その姿に、歓声がかき消された。
時は流れ、医療室。
魔法の灯火が揺れる中、エイルが診察を終える。
「命に別状はないわ。だけど……これは限界を超えた代償よ」
アフロディーテは目を伏せる。
シュウとエデンが無言で立ち尽くす。
「これに……耐えられるのか?」
シュウの問いに、エデンが答える。
「……耐えるしかない」
イサクは夢の中。
遠い記憶の中にいた。
花の中で笑う二人の子供。
そして――火。叫び。焦げた約束。
「にい……ちゃん……」
微かな声が、彼の唇から漏れた。
その頃、アスガルドの外。
崖の影に潜む数体のフードの者たちが、灯る街の光を見下ろしていた。
その中の一人の目が、怒りに燃えるように赤く光った。
戦争は、まだ始まったばかりだった。
観客の叫びが闘技場全体に響き渡り、地響きのような緊張感を生み出していた。
アイザックは深く息を吸い込み、槍の柄をしっかりと握りしめる。
目の前では、コウ・ナーヴが不敵な笑みを浮かべていた。
「準備はできたか? 負け犬の顔をしてるぞ」
コウの声は嘲るように響いた。
アイザックは黙っていた。ただ静かに、鋼のような視線を向ける。
観客席の最上段、アフロディーテは沈黙を守っていた。
彼女の目は二人の戦士を鋭く見つめていた。
「この戦いは均衡している…だが、突破口を見つけるのはアイザック次第ね」
玉座の上、オーディンがゆっくりと立ち上がる。
その声は雷鳴のように会場に響いた。
「戦闘開始を宣言する。コウ・ナーヴとアイザック・ヨイ、位置につけ」
「始め!」
アイザックは迷わず地を蹴った。
槍が一直線にコウの胸を狙う。
だが、その前に鉄の壁が現れた。
「金属術式・絶対防壁」
コウが低く呟くと同時に、槍の先端が鉄に弾かれる音が響いた。
衝撃でアイザックの身体は弾き飛ばされ、場外ギリギリのバリアに激突する。
「……今、音がした……亀裂のような……」
コウは悠然と歩み寄る。
その目には一切の焦りがなかった。
「期待外れだな」
アイザックは立ち上がり、盾の波打つ表面を見つめる。
それはまるで液体のように揺れていた。
観客席、シュウが目を細めた。
(罠だ…自分から嵌っている)
アイザックは再び突撃。
一度、二度、十度以上。
槍は傷つき、呼吸は荒れ、全身がきしむ。
「金属術式・鉄針の雨」
空が変色し、数千の針が降り注ぐ。
アイザックは必死に防ぐが、無数の傷が皮膚を裂く。
(もう……動けない……)
コウが手を掲げた瞬間、彼の目前にアイザックが立っていた。
「……っ、何!? いつの間に!?」
「助かったよ、お前の過信にな」
槍が腹部を貫き、コウの身体が観客席に吹き飛ぶ。
観客が一斉に立ち上がる。
「やった…!」
だが、アイザックの膝が崩れる。
「……動け……まだ終わってない……」
彼の視線は客席を彷徨う。
そこに、穏やかに微笑むエデンの姿があった。
(……それだけで、十分だ)
限界を超えた身体が再び立ち上がる。
「勝利の槍!」
対するコウは巨大なドリルを生成する。
「金属術式・螺旋の壁」
二つの技が正面からぶつかり合う。
轟音が空間を切り裂き、二人は吹き飛ばされる。
──沈黙。
砂煙の中、立っていたのは──二人ともだった。
ハイムダルがフィールドに降り立つ。
呼吸を確認し、腕を組む。
「勝者、コウ・ナーヴ。ノーク学園の勝利だ」
歓声が爆発する。
アフロディーテはすぐさまフィールドへ降り、アイザックを抱きかかえる。
* * *
魔法の松明で照らされた医療室で、エイルが診察を終える。
「生命には問題ない。ただし、限界を超えた代償は大きい」
アフロディーテは静かに頷く。
エデンとシュウも無言で見守っていた。
「……これが、現実か」
「でも……進むしかない」
* * *
夢の中。
野原。
笑い声。
そして──炎。叫び。焼け焦げた小さな手。
「……にぃ……ちゃん……」
彼の魂に刻まれた痛みが、静かに脈を打っていた。
* * *
遠く離れた崖の上。
数人のフードの男たちがアスガルドを見下ろしていた。
そのうちの一人の目が、静かに燃えていた。
──戦いは、まだ始まったばかりだった。