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第36章: 雷の勇者

力で戦う戦いもあれば、記憶で戦う戦いもある。


生き残った者が必ずしも勝利するわけではない。時には、すべてが失われたように思えても忍耐し、全世界が崩壊してもしっかりと立ち続けることが、真の勝利となるのです。


九つの世界の歴史には、血と栄光とともに多くの名前が刻まれてきました。しかし、敵にさえ武器を捨てさせて敬意を表すことができる者はほんのわずかです。雷鳴が轟き、雲が割れるとき、それは単なる力の問題ではありません…


それは遺産に関することです。


なぜなら、一歩の力が千の軍隊よりも強力になることもあるからです。


どんなハンマーよりも重い言葉。


死を超えて響き渡る決断。


そして、体は傷ついても精神は健全な状態でその一歩を踏み出すとき、戦士は立ち上がらない...


シンボルが浮かび上がります。


この章は、雷や神々についてではなく、諦めないと決心した英雄が残す響きについてです。


それ自体ではありません。しかし、もう歩くことのできないすべての人々にとって。


————————————————————————————————————————————————————————————————


ユルは沈黙を守ったまま、破壊されたビフレストの跡地をじっと見つめていた。


その隣ではティールが歯を食いしばり、怒りを堪えていた。




「お前は本当にバカなのか?」


ティールの声は怒気に満ちていた。


「なぜビフレストを破壊した?」




「心配するな、ティール」


トールは腕を組みながら、不敵な笑みを浮かべた。


「俺はお前が思ってるほどバカじゃない」




「今のお前の行動を見る限り、そうは思えない。アスガルドに残っていた者たちはどうやって逃げるつもりだったんだ?」




「隊長」


ニキータが歩み寄りながら口を開いた。


「アスガルドの住民はすでに全員避難済みです」




「なに……?」


ティールの眉が驚きで跳ねた。




「見ただろ?」


トールは顎を軽く上げ、自信満々に言った。


「筋肉だけの脳味噌じゃないんだよ、俺は」




ティールはしばし沈黙し、トールをじっと見つめた。




(いつの間に……いや、それよりも気になるのは……どうして、こんなに早く……?)




「頼んでおいたものは?」


トールが尋ねた。




「こちらに」


ニキータが小さな巻物を差し出した。




トールはそれを素早く広げ、冷静な目で数字を読み取る。




「ふむ、劣勢か……」


彼は小さく呟いた。


「この差を埋めるには、ヨルムンガンドを倒すしかない」




「それで?」


ニキータが尋ねる。




「千体のヨトゥンを倒せば、少しは追いつける。しかも不死者は含まれていない……思っていたよりマシだな」




「いつも通り強気ですね、隊長」




「だが、問題はある」


トールの声が重くなった。


「今の俺は、もう一度しか次元を越える力を使えないかもしれない」




「なに? どうしてだ」


ティールが急いで問い返す。




「ヨルムンガンドとの戦いに備えて、力を温存しておく必要がある。全力を出せば、即座に敗れる可能性もある」




「あなたがそこまで言うなんて……」


ニキータの表情が固くなる。


「ヨルムンガンドって、どれだけ強いんです?」




「少なくとも、今の九界では……オーディンに次いで最強だ」




「あなたよりも……?」




「当然だ」




「じゃあ……なぜ戦うんだ?」


ティールが静かに問いかけた。




トールは少しだけ声を低くした。




「……誇りだ」


「情けない理由かもしれないが、俺の誇りが、この戦いをやめさせてくれない」




(誇りだけで戦う? 本当にそれだけなのか……)


ニキータは、どこか疑念を抱いた表情を浮かべた。




「お前はそんな浅はかな奴じゃない」


ユルが静かに言葉を挟んだ。


「無計画に戦うような男じゃない。もっと深い理由があるはずだろ?」




「勝手に決めるな」


トールはそっぽを向いたまま、穏やかに笑った。




「……まったく」


ユルはため息交じりに肩をすくめた。




「それで? お前ら、来るか?」


トールは声を張り上げた。




「もちろんだ」


ヴィダルが突如、影の中から現れた。


「このまま黙って見ている気はない」




「いつ目を覚ましたんだ……?」


ユルが驚いた様子で尋ねる。




「お前、本気か?」


トールが確認する。




「ああ。ここにいるより、あっちで戦うほうが意味がある」




「了解。……他には?」




「俺も行く」


ティールが即答した。


「何もせずに待つなんて、耐えられない」




「悪いが、俺はここまでだ」


ユルは目を伏せた。


「今の俺じゃ、ただの足手まといだ」




「大丈夫だ」


トールは穏やかに言った。


「あとは俺たちに任せろ」




「……ありがとう。健闘を祈る」




天空から雷が落ち、トール、ヴィダル、ティール、ニキータの体を包む。


次の瞬間、彼らは姿を消した。




——




場面は切り替わる。


一行が再び現れたのは、山頂の絶壁。そこから見える地平の先に、巨大な蛇のような影——ヨルムンガンドの姿があった。




「トール……」


すでにそこにいたスランゲモルダーが、静かに呟いた。




「いよいよだな」


トールは低く重い声で言った。


「準備はできているか?」




「……たぶん」




「ニキータ」


トールは振り向かずに命じた。


「残りのメンバーを父の元へ。フェンリルの相手を頼む」




「了解です、隊長」




「幸運を祈る。……また戦いの後に会おう」




「ああ」


ティールが微笑む。


「終わったら、蜜酒でも飲もうか」




トールは力強く頷いた。




そして彼は、スランゲモルダーと共に、戦争の中心地へと静かに降りていった。




「作戦はあるのか?」


スランゲモルダーが瓦礫を踏み越えながら問いかけた。




「作戦などない」


トールの声は冷たく断言していた。




「は? 冗談だろ?」




「いや。本気だ。あの化け物に対して計画を立てるなんて無意味だ」




「何も考えずに戦うってのか? あんな奴を相手に?」




「"戦う"のは俺だけだ」


雷神は低く唸った。


「お前は後方に回れ」




スランゲモルダーは足を止めた。




「何を言ってる?」




「復讐したい気持ちはわかる。だが、お前じゃ足手まといになるだけだ。まだその領域に届いていない」




「ふざけるな……」


スランゲモルダーは拳を握りしめた。


「奴に報いを受けさせなきゃ、俺は前に進めないんだ!」




トールの槌がゆっくりと上がり、スランゲモルダーの額に向けられた。




「ガキみたいに駄々をこねるな……黙って、俺の言うことを聞け」




雷鳴の残響だけが、沈黙を切り裂いていた。




「……わかったよ」


スランゲモルダーはしぶしぶ頷いた。




「背中を任せたぞ」


トールは槌を下ろした。


「お前は…未来で重要になる気がする」




そして二人は戦場へと突入した。


トールは天を裂くような雷を纏い、前方の敵を殲滅する。


その背後でスランゲモルダーが残党を仕留める。




数百、あるいは数千の敵が倒れ、地面は焼けただれた死体で埋め尽くされた。


そして、その向こうに、地を這う巨大な影が現れた——ヨルムンガンド。




「ヨル……ムン……ガンドォォォ!!」


トールが咆哮を上げ、獣の前に立ちはだかる。




空気が凍りつく。敵兵たちは動きを止め、そして何の言葉もなく、自らの武器を地に突き刺した。




「……何をしている……?」


スランゲモルダーが呟いた。




「敬意だ」


トールは視線を逸らさずに答えた。




敵たちは頭を垂れた。世界は静寂に包まれ、そして、蛇が一歩、前に進んだ。




(この戦いが…すべての均衡を崩す……)




「楽しませてくれよ、ヨルムンガンド」


トールは言った。


「そして、尻尾を巻いて逃げたりするなよ」




蛇の口元に、わずかな笑みが浮かんだ。


それだけで、多くの者が本能的に後退した。




「本当に……」


トールは続けた。


「笑わないでくれ。お前の顔じゃ、観客が恐怖で凍りつく」




ヨルムンガンドはゆっくりと顔を下げ、トールと視線を合わせた。


そして、まるで幼子のような低く、かすれた声で、ひとこと呟いた。




「チ……ス……ピ……タ……」




トールは一歩、後退した。


その言葉——




——




【回想】




「今なんて言った?」


トールが聞き返した。




「聞こえた通りだ」


オーディンの口調は冷たかった。


「ヨルムンガンドを眠らせる必要がある」




「ちょっと待てよ。あいつ、生まれてまだ一週間も経ってないんだぞ? たしかに危険そうだけど、そこまでしなくても——」




「リスクは取れない」


全父は断言した。




「本気か? この決断が、あの予言を現実にするんじゃないのか?」




「詳しいことは、あの魔女たちも言わなかった」




その時、扉が乱暴に開かれた。


ロキが怒りに満ちた顔で現れ、その場の空気を黒く染めた。




「クソ親父……何をする気だ?」




「ロキ」


トールが止めに入った。


「落ち着け、まだ決まったわけじゃ——」




「決まってる」


オーディンの声は揺るがなかった。


「異論があっても構わん。地獄で言え」




「ふざけるな……」


ロキは歯を食いしばりながら睨み返した。


「ヘラを奪い、フェンリルを奪い……今度はヨルムンガンドか」




「私はただ、皆の安全を守るだけだ」


オーディンの目が鋭く光る。


「文句があるなら、力で語れ」




「言ってやるよ、クソが……」


ロキのオーラが爆発し、部屋の光が沈んだ。


「お前にとって大事なもの、全部奪ってやる。必ずな」




「それは脅しか?」




「違う」


ロキは振り返らずに言った。


「これは、誓いだ」




ロキは去った。


トールも後を追う。




「ロキ、待てよ」




「なんだよ、今度は」




「親父は、民を守るために——」




「もう黙れ」


ロキは鋭く言い返した。


「お前も、バルドルも、フリッグも……あいつにはただの駒だ」




トールは言葉を失った。




「やっぱりな……」


ロキは呟き、闇に消えた。




数日後。


オーディンは封印の儀式を実行した。




ヨルムンガンドの体は永遠の眠りへと導くルーンで縛られ、深海へと運ばれた。




「チ……ス……ピ……タ……」


封印の直前、蛇が呟いた。




その瞬間、トールは確信した。


——これは勝利ではない。


ただの「先延ばし」だと。




——




【回想終了】




現在。


トールはまっすぐに前を見据えた。拳を握る。




(俺は……間違っていなかった)


(だが、あの日、もっとできることがあったはずだ)




「今度こそ……責任を取る」




空が暗く染まる。


大気が震え、嵐が生まれる。




「嵐……?」


スランゲモルダーが空を見上げる。


「なんで……?」




「バーサーカー・モード」


トールは張りつめた笑みを浮かべる。




黒き雷が空を裂き、彼の体を貫いた。


暗黒の力が鎧に宿り、槌は宇宙の力を吸収するかのように光を放つ。




遠く、オーディンがそれを見下ろしていた。


その隣で、ロキが皮肉な笑みを浮かべる。




「本当の怪物は……お前だよ、トール」




雷神は、一歩を踏み出した。


世界がその一歩で揺れた。




「必ず……貴様を滅ぼす」




トールは全力をもってヨルムンガンドに突進した。


彼の槌は、生まれたばかりの星のように輝き、恐るべき勢いで振り下ろされた——だが、それは止められた。


蛇は巨大な鱗の体でその一撃一撃を受け止め、怪物的な冷静さで耐え切った。




味方も敵も、誰一人として言葉を発せなかった。


誰も、この光景から目を離すことができなかった。


空が震え、大地が裂け、九つの世界が揺れていた。




「強くなったな……クソ野郎が」


トールは火花を散らしながら息を切らし、唸った。




ヨルムンガンドはその巨体を揺らしながら突進し、その衝撃でトールを空中に吹き飛ばした。


雷神は山を貫き、そのふもとへと叩きつけられた。




「くそっ……化け物め……!」


彼は血を吐きながら、苦しげに立ち上がる。




槌を天に掲げると、空が呼応したかのように、黒く厚い雲が渦を巻く。


雷が踊り、空が怒りを放つ。




「雷術——雷鳴嵐!」




無数の稲妻がヨルムンガンドに降り注ぐ。


地が揺れ、空が裂ける。世界が崩れそうな轟音。




だが、光が収まると、蛇は——そこにいた。


無傷のまま、悠然と。




「……マジかよ」


トールは目を見開いた。




蛇は耳をつんざく咆哮を放った。


その声に、戦場の弱き者たちは膝をつき、木々さえ震えた。




「もっと楽しみたいってわけか……」


トールのオーラが爆発的に上昇する。




再び突進。空気が裂ける音を残して槌が振るわれる。


雷鳴と共にその一撃が落ちるたび、ヨルムンガンドも猛毒の反撃を繰り返した。




その毒の一滴が空を裂き、スランゲモルダーの頬をかすめる。


黒く焼け爛れた跡が残る。




(……何が起きてるんだ?)


スランゲモルダーは息を荒げながら後退する。


(もう……動きが見えない……どっちも速すぎる。トールの言った通りだ。俺じゃ……相手にならない)




その時、巨大な一撃が蛇の顔面に直撃した。


ヨルムンガンドの鱗から血が滴る。




「よし……これで——」




だが、言葉は終わらなかった。


一瞬の隙に、蛇の口がトールの右腕を噛みちぎる。




そのまま雷神の体は地面を引きずられ、ボロ布のように投げ飛ばされた。


遠く離れた山へと激突し、瓦礫に埋もれる。




「な、何があったんだ!?」


スランゲモルダーが駆け寄る。




塵の中から、トールの体がゆっくりと姿を現す。


右腕はズタズタに裂け、皮一枚で繋がっていた。




「トール!!」




(ほんの一瞬、気を緩めただけなのに……)


彼は苦しげに息を吐く。


(致命傷だ……)




「俺が助ける!」




「来るな!」


トールの怒声が響いた。




「なぜだ!? このままじゃ……!」




「言ったはずだ。これは——俺の戦いだ」




そう言うと、トールは自らの剣を手に取り、


迷いなく、噛まれた腕を切断した。




血が噴き出す。


だが、その場にいた者たちを震えさせたのは、その行動の意味だった。




「これはもう、誇りのためじゃない」


声は低く、地鳴りのように響いた。


「腕を失おうと、脚を失おうと、命が尽きるまでは——戦い続ける」




彼の瞳は、決意に満ちていた。




「なぜかって? それは俺が——民に信じられているからだ。


ヨルムンガンドに命を奪われた者たちの夢を背負ってる。


希望を託され、生き残った未来を導く責任がある。


もう俺の戦いじゃない。皆の……未来のためだ」




その体から、黄金の光が放たれる。




「だから——俺は負けない!!」




変化は一瞬だった。


黄金のオーラに包まれ、雷神は光そのものとなった。




「バーサーカー第二段階——神カミ」




彼の目は太陽のように輝き、髪は光を纏って宙に浮く。


まるで太陽に選ばれし、最後の使者のようだった。




「トール、やれぇええええええ!!」


スランゲモルダーが叫び、涙を浮かべながらその姿を見上げた。




他の戦士たちも彼の名を叫び、武器を掲げる。




(ありがとう……)


トールは静かに呟き、槌を握り直す。




その顔に、最後の笑みが浮かんだ。




「決着をつけよう……ヨルムンガンド」




両者のオーラが炸裂する。


一方は聖なる光、もう一方は奈落の闇。




今、二つの世界が——激突しようとしていた。




トールの槌は、かつてないほどの輝きを放ち始めた。


空気が重くなり、大地の震えが止まった……まるで九つの世界そのものが息を飲んだかのように。




(耐久戦じゃ勝てない……)


雷神の体は内側から震えながらも、意志は折れなかった。


(俺は……そこまで強くない。だから……この一撃に全てを賭けるしかない)




だがヨルムンガンドは待たなかった。


本能に任せるかのようにその巨体をトールに叩きつけ、毒の牙をその胸、腕、背に何度も突き立てた。


一噛みごとに死が迫る。だがトールは声を上げず、耐えた。




その胸中は、嵐よりも激しい鼓動だった。




(……耐えろ……耐えるんだ! 今、諦めるわけにはいかない!


みんなが……皆が俺に期待している。ここで倒れたら……奴らの勝ちだ。


勝利をつかめ! 崩れるな!)




膝が折れた。体が横に崩れ落ちた。


毒が体の奥まで到達していた。




「そんな……!」


スランゲモルダーが絶望の叫びを上げたその時——




トールの目が見開かれた。


そこには、純粋な光が宿っていた。




彼の手の中に、巨大な雷の武器が現れ始める。


それは単なる槌ではなかった。彼の意志そのもの、彼の魂そのもの——彼の遺志だった。




「……あれは……?」


ヴィーザルは呆然と呟いた。




どこからでも、その光の槌は見えた。まるで戦場に差し込む一筋の希望のように。




「本当に……驚かせてくれるよ、チスピタス」


ロキが小さく呟いた。




「息子よ……」


オーディンは目を逸らすことなく、囁いた。




「怪物だな……」


ティールが、驚愕と畏敬の入り混じった声でつぶやく。




トールは残された全ての力を込めて、叫んだ。


その咆哮は、肉体を、空を、魂を貫いた。




「死ねぇえええええええええええ!!」




その一撃は、絶対だった。




雷の槌がヨルムンガンドの額を直撃し、容赦なく貫いた。


大地を揺るがす爆風が広がり、遥か彼方の山を裂き、空が砕けたかのようだった。




その体内で、毒の袋が一つ、また一つと爆ぜていく。


連鎖する反応。激しい痛みに、蛇が絶叫する。




(外からじゃ倒せない……だが、内側なら……)


トールの意識は薄れつつも、確信していた。


(お前の毒……お前自身が耐えられるはずがない)




ヨルムンガンドは体をくねらせ、自らの猛毒に呑まれ、そして——崩れ落ちた。




「やった……やったぞトール!!!」


スランゲモルダーが涙を流しながら叫んだ。




ヴァイキングたちも歓喜に包まれ、剣を掲げた。


敵軍でさえ、ただ沈黙し、信じられないという表情で立ち尽くした。




ヨルムンガンド——その巨影が、太陽の下で消えていった。




だが、トールは歓喜しなかった。


確かに立ってはいた。だが、よろけていた。毒が全身を蝕んでいた。息も絶え絶えだった。




(まだ……まだだ……)


彼はヨルムンガンドの死体の上を歩いた。




一歩、また一歩。足が震える。視界が歪む。




(ここで倒れたら……勝利じゃない。俺が倒れたら、終わりだ……)




「様子が……おかしい……」


スランゲモルダーの声が震えた。




(俺は……正しいことをしたのか?)


仲間たちの、戦死した顔が浮かぶ。


その重みは、毒よりも重かった。




八歩目。


九歩目は——もう踏み出せないように思えた。




(いや……奴らにだけは、俺の敗北を見せられない)




そして、トールは九歩目を踏み出した。


まっすぐに。揺るぎなく。


拳を空へと掲げた。




「トール……」


スランゲモルダーの目に、涙が溢れた。




ヴァイキングたちは静まり返り、そして一人、また一人と——


天へと武器を掲げ、涙ながらにその名を讃えた。




「ありがとう……トール」




敵兵でさえ、武器を下ろし、頭を垂れた。


雷神への敬意を、心から示すように。




ナレーター(語り):




無知な者には、この戦いは引き分けに見えたかもしれない。


だが、真に目撃した者にとって、それは明白だった。




トールは、命を失いながらも、決して敗れはしなかった。




死の淵で彼が放った意思は、どんな雷鳴よりも強く、深く響いたのだ。




──戦え。もう動けなくても。


──戦え。崖っぷちでも。


──戦え。最後の一呼吸まで。


そして、その一息に、全てを込めて戦え。




そのささやかな拳の上昇こそが——


ある者たちの希望の始まりとなり、


また別の者たちの終焉の始まりとなった。




雷神の最期の咆哮こそが——


戦争の行方を決めたのだった。

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