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第53章: 過去に縛られて

時間はすべてを癒すと言われています。年月が経つにつれ、傷は癒え、痛みは記憶の隙間から消えていくのです。しかし、癒えない傷もあります...ただ隠すことを学ぶだけです。


なぜなら、過去は必ずしも私たちの後ろにあるわけではないからです。時々彼は私たちの隣を歩きます。時々彼は私たちと一緒に寝ます。時々、それは私たちを見捨てない唯一の影です。


そして過去が理解されていないとき…それは連鎖になります。


目に見えないが、重さがあるもの。聞こえないけど叫ぶもの。これを破らなければ、溺れるまで引きずり下ろすことになる。


今日、その鎖は震えている。古い名前は呪いのように話されます。埋もれていた記憶が、これまで耳にすることのなかった人々の怒りとともに浮かび上がる。両親。子供たち。兄弟。皆、同じ罪悪感、そして同じ裏切りによって縛られている。


なぜなら、帝国の前で、戦争の前で…崩壊しているのは家族だからです。


そして血が血と交われば勝利はない。ただの廃墟。


————————————————————————————————————————————————————————————————


山頂に吹き荒れる風が、始まる前から終わったかのような戦いの残響を引きずっていた。


アレスは稲妻のように山を駆け上がる。遠くに揺れる炎のような気配を捉えていた。




(もうすぐだな)


槍の柄を強く握りしめながら、心の中で呟く。


(あの気――まるで内側で吠える獣のようだ)




轟音が山全体を揺らした。


巨大な雷光が天から落ち、あらゆるものを引き裂いた。


白く染まる頂上。数秒間の静寂。




アレスはその場で立ち止まる。


「今のは……何だ?」




焦げた匂い。


目の前には、炭と化した司令官の死体。


その横で、岩に腰かけ腕を組みながら、冷ややかにこちらを見るヨウヘイの姿があった。




「遅いな」


彼は目線すら寄越さずに言った。




アレスは眉をひそめ、仲間の冷静さに驚く。


「一体何があった? どうやってこんなに早く倒した?」




「弱かっただけだよ」


ヨウヘイは面倒くさそうに目を上げる。


「情報を引き出そうと思ったけど、口を割らなかった。だから価値もなかった」




アレスは数秒黙り込み、本気で言っているのか見極めようとする。




「お前……化け物かよ」




「ありがとう。よく言われる」




「一つだけ聞かせろ」


アレスは一歩近づいた。


「緊急信号を送ったのはお前たちか? 危険な様子には見えないが」




ヨウヘイは肩をすくめる。


「違う。あれは俺たちじゃない。俺の作戦は“わざと捕まって情報を得る”ことだった。でも、あの信号は……外部の誰かが送った」




アレスの目が細まる。


「気味が悪いな……」




「もう奴はここにいないさ。目的を果たした後だろう」




一瞬の沈黙。




「どうする? 中に突っ込むか?」




「いや……問題はそこだ」


アレスの視線が上を向く。




その先にあったのは――




大軍。




数百の兵士が、壁のように二人の前に立ちはだかっていた。




ヨウヘイが短く笑う。


「やっと面白くなってきたな」




だがその時。


背後から放たれるような圧が彼の肌を走る。




アレスが笑っていた。


ゆっくりと、戦神としての気を解放しながら。




「これからが本番だ」


その静かな声が、空気を震わせた。




(……俺が化け物とか言われる筋合い、ねぇな)


ヨウヘイは背筋に走る戦慄を噛み殺す。


(お前の方がよっぽど“狂ってる”じゃねえか)




二人は構えた。


気配が張り詰め、世界が息を潜める。




その時――




重く、ゆっくりとした足音が、兵の列の奥から響く。




ポセイドンが姿を現す。




「トリトン……貴様の腐った精神は、昔と何も変わらんな」




玉座の奥、トリトンはまるで客を迎える主のように、腕を広げて言う。




「ようこそ、父さん。元気そうで何よりだよ……でも、力の方は……衰えたかな?」




「そしてお前は、家族をこの地獄に縛りつけたままか」




「縛りつけた? 見ろよ、みんな幸せそうだろう?」




「くだらん」


ポセイドンは拳を握る。


「“家族”だとほざいて兄弟を殺したお前が、愛を語るな」




トリトンは一度目を伏せ、静かに呟いた。


「違う……殺したのは俺じゃない。お前だよ」




場が凍る。




「……何を言ってる?」




「忘れたのか? 俺だけじゃない。罪を犯したのは、母さんも……お前もだ」




ポセイドンの目が揺れる。




だがトリトンの目には怒りはなかった。


ただ、深淵のような“虚無”だけがあった。




「母さんは、死ぬ直前にこう言った。“彼を憎まないで。彼を許して”って。……わかるか? それがどれだけ苦しいことか」




「黙れ……クリトの名を口にするな」




「なぜ? お前が……俺に、彼女を殺させたくせに」




その場にいたディアプレペスは、信じられないという表情で物陰から動けずにいた。




「な、何を言ってる……」




トリトンは顔を上げた。




そして、涙を流した。




「本当に……忘れたのか、父さん?」




場を覆う緊張は、次の一言で裂ける。




「なら……思い出させてやるよ」




景色が歪む。


時間が揺れる。


記憶の扉が、最も黒く、深い地獄を開く。




回想




かすかに漂う消毒液の匂いが、かつてのアトランティス中央病院の静寂な廊下を包んでいた。温かな光が産科病棟の窓を照らし、クリトは新生児をやさしく抱きしめていた。




「見て…」彼女は赤子の頬を撫でながら囁いた。「あなたの瞳にそっくり」




ポセイドンは彼女の隣に立っていたが、その表情は読み取れなかった。微笑まず、何も言わなかった。




「どうしたの、あなた?」クリトが不安げに問いかけた。「何か心配なの?」




「少し…」ポセイドンは静かにため息をついた。「民がこの子を受け入れてくれるか、不安だ」




「どういう意味?」




「最近、アトランティスの民は“古き特徴”を持つ者に対して厳しくなっている…この子には、それがある。明らかだ」




クリトは息子を見つめ、そして夫の目をまっすぐに見返した。




「関係ないわ。優しさで皆の心を掴むわよ。私たちにできるのは、全身全霊で愛すること。それだけでしょ?」




ポセイドンはゆっくりとうなずいた。




「…そうだな、愛しているよ」




二人は小さなトリトンをそっと抱きしめた。クリトはその額に優しくキスを落とした。




「トリトン、私たちはずっとあなたを愛してる。約束よ」




数年後…




訓練場にトライデントの衝突音が響いていた。ポセイドンとトリトンが、互いに一歩も譲らぬように技を交えていた。




「なかなかやるな、息子よ」神は微笑みながら言った。




「そっちこそ、父上」




ポセイドンは一瞬の隙を突き、足払いでトリトンを倒す。




「油断は禁物だ。本物の戦では今ので命を落としていたぞ」




「はいはい…」トリトンは不満げに地面に座り込む。




ポセイドンは手を差し伸べたが、トリトンはそれを逆手に取り、神を倒した。




「ははっ、最高の師匠から学んだよ」




「この野郎…」ポセイドンも笑いながら立ち上がる。




「夕食の時間よ〜!」宮殿の玄関口からクリトの声が届く。




「行こうか。でも食後に、ある場所へ連れて行く」




「うん!」




その夜、夕食の席で




「勉強はどう?」クリトが尋ねる。




「うん、今日は地上の言葉を学んだんだけど、変な表現が多すぎて難しいよ」




「大丈夫だ」ポセイドンが口を挟む。「ゼンカの力を完全に使えるようになれば、自然と意味も理解できる」




「ほんと? よかった…。あ、そうだ。今日“プラトン”って名乗る変な人と会った。ギリシャから嵐を越えてきたって」




「プラトン…?」ポセイドンは眉を上げた。「奇妙だな…」




夕食は、穏やかな笑いと約束に包まれて終わった。




夜、二人は丘の上へ




「どこへ行くの?」トリトンが訊いた。




「もうすぐだ」




茂みを抜けると、目の前に光の海のようなアトランティスの全景が広がった。




「ここで、母さんと出会ったんだ」ポセイドンの声に懐かしさが滲む。「死にかけていた俺を、彼女が救ってくれた。だから…お前にここを見せたかった。いつか、この国を継ぐ者としてな」




「ありがとう、父上。失望させないよ」




時は流れ…




別の記憶が浮かび上がる。




成人したトリトンが、血に染まった短剣を手に、膝をついて震えていた。目の前には、クリトの亡骸が冷たい大理石の上に横たわっていた。




「僕は…何を…」トリトンの声は震え、やがて狂気を孕んだ笑いに変わった。




「何をやったんだあああ!!?」




現在へ戻る




沈黙。息をのむ兄弟たち。ゼフとディアプレペス。記憶は刃のように心を切り裂いていた。




トリトンは空を見上げ、涙をこぼしていた。




「…あの夜、すべてが壊れた。父さん。僕に彼女を殺させたのは…あなただ」




ポセイドンは言葉を失った。




「そんなはずがない…俺が…そんなことを…」




「忘れたの? まあ、そうだよね」トリトンの目は涙を流しながらも虚無に染まっていた。「でも僕は、忘れたことなんて一度もない」




新たな回想




「やって、トリトン…お願い…」クリトの声は震えていた。




「無理だ…できないよ…母さんを傷つけるくらいなら死んだ方がマシだ!!」




「わかってる…でも、もしあなたがしなかったら…あの人がやるわ。そんなの絶対に許せない」




クリトはトリトンの手を握り、短剣を自らの胸に突き立てた。




「愛してるよ、トリトン…」




彼女は崩れ落ちた。




声にならない悲鳴が、彼の喉を裂いた。




そのとき、赤子の泣き声が響いた。ゼフの泣き声だった。




「誰かああああああああ!!!!!!」




トリトンは母を抱きしめながら、喉が裂けるほど叫んだ。




現在




トリトンのオーラが爆発した。大地が震え、海が吠えた。




「お前が奪ったものを、全て返してもらうぞ、ポセイドン!! 全てだ!!」




ゼフの膝が崩れた。視界が揺れる。全身から冷たい汗が噴き出した。




「まさか…あの赤ん坊が……僕だったのか……?」




運命の鎖が、音を立てて絡み合っていく──。

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