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第60章: インカの戦士

時には、戦いの終わりや山の頂上に力は見つからないこともあります。


時には、真の力は放棄の中に生まれる。


過去、癒されていない傷、痛みから生まれた誓いを放棄してください。


グアヤスは最初から英雄だったわけではない。


彼は地図も持たず、確信もなく、ただ「他者」であることをやめ、注目されたいという欲求に突き動かされて歩いた子供だった。


しかし、運命は神々と同様、嘆願に応じてくれない。


運命の試練。運命が始まる。


そして、それに挑戦する者は誰でも、自分の一部を捨てる覚悟を持たなければなりません。


今日、その失われた部分が戦士の姿となって形を取り始めている。


神からではない。殉教者ではない。


しかし、結局のところ、彼は破壊したものでなく、愛したもので記憶に残りたいと望んでいる男なのだ。


————————————————————————————————————————————————————————————————


森は終わりがないように感じられた。


霧に濡れた葉が、グアヤスの足元で静かに音を立てる。


その一歩一歩が、彼の中にある誓い――


「強くなる」という決意への、無言の票のようだった。




「長い旅になりそうだな…」


低く垂れた枝をかいくぐりながら、彼は心の中で呟く。


「でも…強くなるためなら、命だって惜しくない」




遠くで雷鳴が轟いた。


空を覆う雲は重く、今にも崩れ落ちそうだった。


グアヤスは足を速め、雨を避けようと木々の間を駆け抜ける。




やがて、蔦と苔に覆われた洞窟の入口を見つけた。




「…ここでいいな」


即席の荷から松明を取り出し、火を灯す。




揺れる炎が、洞の奥を照らす。




「…ん?」




そこにいたのは、熊の家族だった。


母熊が威嚇の唸り声を上げ、グアヤスに飛びかかろうとする。


だが彼は目を逸らさず、腕でその一撃を受け止めた。




その瞳には恐怖ではなく――尊敬の色が宿っていた。




「…お前が母親か。安心していい。害を加えるつもりはない」




母熊はなおも唸りを続ける。


しかし、グアヤスは静かに武器を地面に置いた。




そして、マントの内側から小さな木製の笛を取り出し――


目を閉じ、ゆっくりと吹き始めた。




その旋律は木々の囁きのように穏やかで、空気に温もりをもたらす。


次第に子熊たちは身体を丸め、母熊も警戒を緩めた。




「な? 俺の目的は、あんたらを傷つけることじゃない。


ただ…生き延びたいだけなんだ」




思いがけず、母熊はわずかに頭を下げた。


言葉を超えた理解が、そこにはあった。




だが、その静寂を破る足音が響く。




「ほうほう…」


洞窟の入口から、低く落ち着いた声が聞こえた。


「動物を手懐けるのが上手いんだな」




グアヤスが素早く振り向く。目は鋭く警戒に満ちていた。




「誰だ」




男は両手を挙げ、敵意のないことを示す。




「そんな顔しないでくれよ。殺されそうな気分になるな」




「今の俺の気分は、まさにそれだ」




男はため息をついた。




「俺の名はアタワルパ。ただ、嵐から逃れる場所を探してただけだ」




その名が、稲妻のようにグアヤスの胸を打つ。




「ア、アタワルパ!? あのアタワルパ!?」




「まあ…たぶん、そうだな」




グアヤスは反射的に深く頭を下げる。




「あなたは…俺の憧れです、先生…!」




「…ん?」


アタワルパは目を瞬かせる。




「伝説のインカ戦士…一人で千人を打ち倒した男。無敵のアタワルパ…!」




「聞いていいか? こんなところで、あんたは一体何を?」




アタワルパの表情が固くなる。




「長い話になるが…俺は“インカの神々の地”を探してる」




「…あなたが? どうして?」




その瞳に、深い影が差す。




「娘を…奴らに奪われた。


…復讐のためだ」




グアヤスは黙って視線を落とす。




「すみません…」




「で、お前は? こんな森に、一人で?」




「強くなりたいんです。


いつか、民の誇りになれるように」




アタワルパの口元が、わずかにほころんだ。




「立派な志だな、若者。


…お前なら、きっと成し遂げられる」




「ありがとうございます、先生…!」




「飯でも食うか?」




「は、はい…!」




「お前らもな、熊たち。腹減ってんだろ?」




その夜、彼らは火を囲みながら、


パンと干し肉を分け合い、静かな風と共に眠りについた。




翌朝、朝日が木々の隙間から差し込む頃――


二人は、それぞれの旅路へ出発しようとしていた。




「じゃあな。また会えるといいな」




「…待ってください!」




「ん? どうした?」




「…俺も、連れて行ってください。


ハナン・パチャに」




アタワルパの目が細くなる。




「…あそこは危険だ。


命を落とすかもしれん」




「構いません。


神と戦うくらいの覚悟がなければ、強くなんてなれない」




その言葉に、アタワルパは笑った。




「…いいだろう。ついて来い。ただし、泣き言はなしだぞ」




「絶対に…失望させません!」




こうして、二人は未知なる道へと旅立った。




深い森を抜け、隠された谷を越え、


鋭い風が吹き荒ぶ山々を登っていく。




やがて、冬が牙を剥く。


空腹と疲労が彼らの身体を蝕んでいった。




アタワルパの視界は霞み、足取りも重くなる。




「…くそっ。もう何日、食ってない…?


眠ってない…? この山、どこまで続いてる…?」




「おい、若造…ついてきてるか?」




…返事がない。




グアヤスは、雪の中で倒れていた。




「…クソッ!」




迷わずロープで彼を縛り、自分の背に担ぎ上げる。




雪嵐が顔を叩き、視界が真っ白に閉ざされる。




だが、その先に…かすかな光が見えた。




「誰か…!助けてくれ!」




足が崩れ、雪に膝をつく。




「キル! 熱いものを用意してくれ!」




「はい、お父さま!」


木造の小屋の中から、少女の声が響いた。




暖かな炎の光が、石と木でできた小屋の壁を優しく照らしていた。


空気には重たい静寂が満ちていて、時折聞こえる薪のはぜる音だけがそれを破っていた。




アタワルパは、ぼんやりと目を開けた。


重たい毛布が身体を包み、鼻先には温かいスープの香りが漂っていた。




「ようやく目が覚めたようだな」




穏やかで落ち着いた声が耳に届いた。


目の前にいたのは、白髪混じりの髭をたくわえた老人。


疲れた目に、優しい笑みを浮かべていた。




「…ここは…?」




「ようこそ、私の小さな小屋へ。嵐の中、よくここまで辿り着いたものだ」




アタワルパはゆっくりと上体を起こす。




「…あの子は? 若者は…無事か?」




「冒険者のことか。ああ、君のおかげで助かったよ。もし間に合わなければ…手遅れだっただろうな」




アタワルパは目を閉じた。安堵が心を満たすと同時に、重い罪悪感が胸を締めつけた。




「違う…あんたたちがいなければ、彼は…俺のせいで死んでいた」




老人は首をかしげた。




「…腹が減ってるようだな。キル、温かい物を持ってきてくれ」




「はい、お父さま」


別室から、少女の声が返ってきた。




アタワルパは声の主に目を向けた。


先ほど自分を看病してくれた少女だった。


その微笑みの奥には、長い苦難の末に身に着けた静かな強さが宿っていた。




再び視線を老人に戻す。




「ひとつ…聞いても?」




「なんだ?」




「なぜ、こんな場所に小屋を?」




老人の目が薪の炎へと向けられる。


そのまま、静かにため息をついた。




「…昔、村を捨てて逃げたんだ。巨大な奴らに襲われて、何もかもを失ってな」




アタワルパの眉がわずかに動く。




「…あいつら、お前たちの地にも?」




「そうだ。だが…お前も知っているだろう? あの怪物たちを」




「…ああ。いまだに何とか食い止めてはいるが、あいつらは止まらない。あまりにも盲目的で、従順すぎる」




老人はゆっくりとうなずいた。




「従順、だが…何かに従ってるんだ。何者かに」




アタワルパの歯が軋んだ。怒りが胸を灼く。




「…奴らは、あの神々に遣わされた。…一体、何を望んでやがる…?」




その時、キルが姿を現し、湯気の立つ器をそっと差し出した。




「…どうぞ」




「…ありがとう」




老人が問いかける。




「こんな山奥まで、何の目的で?」




「…ハナン・パチャを探している」




老人の手が止まり、一瞬呼吸が止まった。




「…ハナン・パチャ? 神の地…?」




「そうだ」




老人の表情が変わる。目を伏せたまま、低く語る。




「やめておけ。あそこに近づくな。決して戻れなくなるぞ」




アタワルパは静かに尋ねる。




「…知っているのか? 場所を」




「…ああ」




「じゃあ――」




だがその先は言えなかった。


老人の顔が恐怖に歪んでいたからだ。迷いではない。本物の、根源的な恐怖だった。




「…すまんな。


でも、あそこは天国じゃない。…地獄だ」




その声には、偽れない重さがあった。




「昔な…俺も遠征を率いたんだ。数百の兵を連れて、神の加護を求めてな。


だが…奴らは言ったんだ。“生き残った者には力と富を与える”と」




アタワルパの脳裏に、兵士たちが野獣のように殺し合う幻影がよぎる。




「仲間同士で殺し合いが始まった。誰一人残らなかった…


…俺だけが…生き残ってしまったんだ」




声が震え、嗚咽に変わる。


その肩に、そっと手が置かれる。




グアヤスだった。今まで黙って座っていたが、目は強く、まっすぐだった。




「…その無念、必ず晴らします。


あんたのために…そして、命を落とした仲間たちのために」




老人は目を見開いた。




「…神を殺す…か?」




「悪くない響きだろ?」


グアヤスが口元を歪めて笑う。




アタワルパが振り向いた。




「若者…もう大丈夫なのか?」




「…ええ。前より、ずっと」




「…それなら、よかった」




老人が咳払いをして言う。




「そういえば…名前をまだ聞いてなかったな。君たち、名は?」




「俺は…アタワルパ」




「グアヤスだよ」


「言ってなかったっけ?」




「…いや、初耳だ」




「そうか」




「俺の名はパチ。よろしく頼む」


「ここでゆっくりしていけ。身体を休めなきゃな」




「ありがとうございます。でも、元気になったらすぐ出発します」




「…やれやれ、若いってのはすごいな」




「まったくだ」


アタワルパも微笑んだ。




グアヤスは一瞬、視線を落とす。




「…父さん。俺は、あと少しで…叶えるよ。絶対に」




夜が訪れた。


アタワルパは外に寝そべり、星を見つめていた。




「すぐ出発するつもりだったみたいだけど…どうやら理由ができたようだな」


「まあ、無理もない。あの気持ちは…強いからな」




小屋の中では、グアヤスとキルが食事をしながら、笑い合っていた。


言葉は少なくても、目は確かに通じ合っていた。




それを遠くから見つめるアタワルパの顔には、微かな優しさと…そして静かな諦めがあった。




「…もうすぐ出発するべきだろうけど…


あいつの人生に踏み込むわけにはいかない。


…死ぬ覚悟の旅に連れていくには、まだ…早すぎる」




そう呟いて、空を最後に一瞥すると――


アタワルパは闇の中に溶けて消えた。




「…グアヤス? どうかしたの?」


キルが気づいて尋ねた。




グアヤスは少しの間だけ黙り、そして微笑んだ。




「…いや、なんでもないよ」




――遠く、火を噴く火山の山頂。


そこに、ひとりの男の影が立っていた。




アタワルパが、深紅の空を見上げながら、呟く。




「…ずいぶんな所に隠れてやがるな…


クソッたれな神どもめ――」




火山の炎は、古の獣の咆哮のように唸っていた。


地面を焼き尽くすような熱が全身を襲う中、アタワルパは一歩も退かず、


燃え盛る深淵を見下ろしていた。




「…誰もここを見つけられないのも、当然だな」


「そりゃそうだ。好き好んで噴火中の火山に飛び込むバカなんて、そういない」




口元にわずかな笑みが浮かぶ。




「…でも俺は、そのバカだ。てめぇらとは違うんだよ」




「どこへ行くつもりだ?」




背後から声が飛んだ。




アタワルパが振り返ると、煙と黒い岩の中に――


そこにはグアヤスの姿があった。




「…お前…なんでここに?」




「悪いな。仲間を見捨てる趣味はなくてな」


「命を救ってくれた相手を、ましてや一人にはできない」




「…帰れ」


アタワルパの声は、厳しく突き放すものだった。


「ここは危険すぎる。入れば、お前は――死ぬぞ」




「…何様のつもりだ。俺の親か?」




アタワルパは言葉に詰まる。




「…俺には、もう戻る場所なんてない。


すべてを失った。ここで死んでも…どうでもいい」




だがグアヤスの瞳がそれを遮る。




「バカか、お前」




「…は?」




「俺は、お前をここで死なせる気なんてねぇよ。


一緒に帰るんだよ、バカ野郎!」




その言葉に、火山の咆哮さえ一瞬だけ止まったかのように感じられた。


そして、アタワルパの顔に微かな誇らしげな笑みが戻った。




「…グアヤス…」




「さあ、神共の尻でも蹴りに行こうぜ」




「…ああ!」




ふたりは、業火に飛び込んだ。




炎が彼らを包み込んだ瞬間――それは焼き尽くす熱ではなく、


彼らを別の世界へと導く“門”だった。




―――――――――――――――――――




落ちていった先は、溶岩でも灰でもなかった。


光に包まれた金色の草原。


永遠の午後のような空気が漂う世界。




「生きてる…?」


グアヤスが、荒く息を吐く。




「…ああ、どうやらな」


アタワルパも目を見開き、周囲を見渡した。




広がる丘、輝く湖、雪に覆われた遠い山々。


そして空気は…永遠の香りがした。




「ここは…どこなんだ?」




アタワルパが静かに言う。




「――ようこそ、ハナン・パチャへ。


インカの神々の王国だ」




グアヤスは息を飲んだ。




「…なんて場所だ…美しすぎる…」




「気を抜くな」


アタワルパの目が鋭く光る。




「な、何が?」




「…俺たちが来たこと、もう知られてる。


見られてるぞ」




そして――彼らは見た。




森の奥、湖のほとり、空の高みから。


巨大な鳥、幻のような猫、光る角を持つ鹿たち。


…そして、動く木々。




「…なぁ、アタワルパ」


グアヤスが目だけで指し示す。




「…なんだ」




「…木が歩いてるぞ」




確かに。根を這わせ、歩く樹――エントたちが近づいてくる。




「それが普通に見えるかよ」


アタワルパが苦笑交じりに言う。




エントたちはふたりを取り囲んでいく。


そのうちの一本が枝を伸ばし、グアヤスを捕えた。




「うおっ!? 離せよ!」




「くそが…!」


アタワルパが剣を抜き、一瞬で枝を斬り落とす。


グアヤスを解放するも、さらに多くのエントが円を描いて包囲してきた。




「待てッ!!」




その瞬間、すべてのエントが動きを止めた。




若い男が現れる。


銅色の肌、鋭い目をした青年。


死を恐れぬ者の歩き方だった。




「何者だ…」


アタワルパが唾を吐くように言う。




「せっかくだ、ボスのところに連れていこう。ここまで来た者は珍しい」




「黙れ。テメェみたいなクズと話す気はねぇ」




だが、男は言葉では応えなかった。




代わりに――




一瞬でアタワルパの右腕が空を舞った。




「…あ…っ!?」


グアヤスが凍りつく。




「愚かな人間め」


青年が冷たく言い捨てる。


「誰に向かって口を利いている?」




アタワルパは膝をつき、血を抑えながら顔を歪めた。




「…くだらん…こんなことで…」




だが、そこに――静かに手を置く者がいた。




「…何をしているんだ?」




男の肩に手を置いたのは、パチだった。




「お前か…!」


アタワルパが目を見開く。




「やめろ!来るな!」




「なぜ…なぜ落ち着いていられるんだ…?」


グアヤスが震えながら呟く。




老人は頭をかき、少しだけ気まずそうに笑った。




「そうだなぁ…そういえば、ちゃんと名乗ってなかったな」




そのまま――声の調子すら変えずに。




「…俺の名はインティ。


インカの神々の王だ」




世界が、止まった。




―――――――――――――――――――




「は…? 何言ってんだよ…頭打ったのか?」


グアヤスが呆然と声を漏らす。




「…キルは…どうなるんだ…?」




「キルか。ああ、あの子か」


インティは穏やかに答える。


「娘として扱ってるが…実際のところ、俺が何者かは知らない。


だから安心しろ。あの子はあの子のままだ。お前も、まだ彼女と幸せになれる」




アタワルパの目が怒りに震える。




「…何のつもりだ…?」




「俺? うーん…気まぐれ、ってところかな」




「ふざけるな…! 本当の目的はなんだ!」




「知りたい? なら教えてやるよ」


インティの目が細くなる。


「お前には…興味があったんだ、アタワルパ。


兵に欲しかった。俺の側に立てば、命は助けてやる」




「兵だと…? くだらねぇ…」


アタワルパが血を吐くように吐き捨てる。


「俺は…貴様らを…全員、殺す」




「おいおい、そんなに意固地になるなよ。


お前の娘が…それを望むか?」




その一言で、アタワルパの中の何かが崩れた。




あの日、目にした“影”が蘇る。




「…お前か。あの日――」




インティは、にやりと笑う。




「やれやれ、やっぱり賢いな。少なくとも、猿よりはマシだ」




「貴様ぁぁぁぁああああああ!!!!!」




アタワルパは、もう迷わなかった。




古の風のごとく、彼はインティへと突進する。


剣が空を裂き、神を名乗る男の首を狙う。




だが――その一撃は止められた。




指一本で。




「そんなに死に急ぎたいか?」


インティは冷たく囁きながら、微動だにせず攻撃を防いだ。




「今だ、グアヤス! 何をしてる!」


アタワルパが叫ぶ。全身に力を込め、見えざる力の壁に抗う。




だが――応えはなかった。




鋭い拳がアタワルパの腹を打ち抜いた。


その身体は宙を舞い、神聖な岩と砂の上を転がった。




グアヤスの膝が震える。


心臓が、喉元で暴れる。




「…む、無理だ…」


彼はかすかに呟いた。


「助けたい…けど…あいつは格が違いすぎる…」




地に伏せたまま、アタワルパが彼を見つめる。


その瞳には…失望が宿っていた。




「さっきのお前の言葉は…全部、嘘だったのか?」




グアヤスは唾を飲み込んだ。喉が焼けるほど痛かった。


それは炎のせいではなく、恥だった。




アタワルパは視線を外した。




「…責めはしない。お前には…お前の理由があるだろう」




その時だった。




彼の身体が、光に包まれた。




怒り、苦しみ、哀しみ、愛――


すべてが凝縮されたような、重く古いエネルギーがほとばしる。




「ほう…」


インティが、面白そうに口元を歪める。


「やはり、お前は面白い」




「だからこそ…!」


アタワルパが立ち上がる。


「俺は、命を懸けて――彼を守る!」




空気が裂ける。




ふたりの身体が衝突する。




剣と掌。


轟音と衝撃。


一歩一歩が地を揺らし、一閃一閃が嵐を起こす。




それは、破壊の舞。




グアヤスは、ただ立ち尽くす。


拳を握る。何もできずに。




「…ごめん…」




アタワルパの動きが鈍くなる。


全身から血が噴き出し、呼吸は荒くなる。




だが、瞳だけは――燃えていた。




「バカ…謝るなよ…」


「俺だって、昔は怖かった…でもお前が…俺に、やり直すチャンスをくれた。


だから…生きろ。…生き続けてくれ…!」




「…愚か者だな」




インティが呟く。




一閃。


鋭く、正確で、致命的な一撃。




アタワルパの胸を斬り裂き、彼は血を撒きながら膝をつく。




「アタワルパ!」


グアヤスが叫び、駆け寄る。




「…俺、ちゃんと戦えたか?」


かすれた声で、アタワルパが問う。




「バカなこと言うなよ…一緒に帰るんだ…」




「…お前は、生きろ…俺のようになるな…」




「…黙れ。絶対にお前を助ける。必ずだ。


そして――俺の結婚式に招待するんだ!」




アタワルパが、うっすらと笑う。




「結婚するのか…? キルと…?」




「ああ」




「そっか…おめでとう、友よ。


…俺は…行けそうにないけどな…」




「アタワルパ…!」




「…いい別れだな」


インティが無感情に言い放つ。




「黙れ…」


グアヤスが歯を食いしばり、血に濡れた友を抱きしめる。




血は止まらない。


アタワルパの目が閉じられようとしていた。




「今…何を話してたんだっけ…」


その意識が、闇に沈みかけていた。




インティが一歩、近づいた。




「愚かだったな。俺の申し出を断るとは。


すべてが…無駄だ」




「待て」


グアヤスの声が響いた。




インティの足が止まる。




「…ほう? 何だ?」




「…交渉がしたい」




「…面白いな」




―――――――――――――――――――




時が経ち――




鳥のさえずる、どこか別の地。


アタワルパがゆっくりと目を開ける。




「…グアヤス…?」




「…よかった」


隣で、安堵の息が漏れる。




「…ここは…?」




「…調子はどうだ?」




アタワルパはゆっくりと上体を起こす。




「…胸の傷は…? それに…俺の腕が…ある…?」




グアヤスは目を逸らす。




「…ここを出よう。もう安全じゃない」




「…質問に答えてくれ」




「…お願いだ。


…これ以上…何も聞かないでくれ…」




アタワルパは彼を見つめる。




「…グアヤス…」




だが、彼の声はもう返らなかった。




風が、誰のものでもない嘆きを運んでいた。




――その頃。


グアヤスの故郷は、地獄の業火に焼かれていた。




顔を持たぬ怪物たちが、家々を破壊し、


人々を、希望を、未来を喰い尽くしていた。




何も残らなかった。


ただ――罪の意識だけが、そこに残された。

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