これまで自分が経験してきたことはすべて、打ち砕かれるための長い準備に過ぎなかったのではないかと考える時があります。
戦争、名誉、規律、権力は絶対的な美徳であると誤解されることが多いが、戦場ではすべては単純な質問に行き着く。誰が最初に屈服するか?それは筋肉や地位や名声の問題ではありません。あなたが狩る側になるか狩られる側になるかを決めるのは、あらゆる決断で鼓動する目に見えない器官、心です。
Zutarts は単なる研究所ではありません。それは、弱者が達成不可能なものを見たときに感じる恐怖の反映です。生まれながらにして自分たちが特別な人間であると知っている者たちが支配する、過酷な環境。しかし…本当に恐ろしいのは彼の強さではなく、その冷静さだ。叫ぶ必要はないと静かに叫ぶ静けさ。
本当の敵が他人ではなく、自分自身の中に目覚めることを恐れているものである場合はどうなるでしょうか?もし戦場が、疑いがライバルに変装する鏡に過ぎなかったらどうなるでしょうか?
このラウンドでは、名前はもはや重要ではありません。私たちが耐えることができたもの、そして私たちが失っても構わなかったものの残響だけが残るでしょう。
なぜなら、これは技術や戦略のテストではないからです。
それは魂の試練となるでしょう。
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馬車の木造がわずかに軋みながら、両側を高速で流れていく高木の間を進んでいく。
車内は静寂に包まれていたが、その沈黙には張り詰めた緊張が漂っていた。
視線、息遣い、思考──それら全てが、見えない糸で繋がれているかのようだった。
その沈黙を破ったのは、アフロディーテだった。
「皆さんもご存知の通り、今回の戦いは簡単にはいきません」
毅然とした声で、彼女は一人一人を見回す。
「我々が対峙するのは、金ランクの生徒が四人いる学院です。
しかも──彼らのホームグラウンドで戦うことになります」
その言葉に、シュウは目を上げ、表情が強張る。
「だが、それ以上に厄介なのが──タカハシ・カズカネよ」
「え?あいつがどうしたの?」
シュウが即座に尋ねた。
「シャムキとの戦いで、戦ったのは彼一人だけだったの」
「……どういうことですか?」
ローアが眉をひそめて遮る。
「前のラウンド、ズターツ学院もシャムキとの団体戦に参加しました。
ですが──報告によれば、動いたのはタカハシ一人。
他のメンバーは……席を立つことさえなかったそうです」
数秒の沈黙。
「それで──圧勝したんですか?」
シュウが小さく呟く。
アフロディーテは静かに頷いた。
「じゃあ……あいつ、トップ3にも入ってないんだよな……?」
信じがたいというように、シュウは言った。
「いったいどんな怪物なんだ……」
「さあね。少なくとも、ヨウヘイなら互角に戦えるはずだけど……」
彼女の視線が白髪の少年に向けられる。
「問題は、他の三人よ。ジパクナ、テプツリ、シュナーン──あの三人も、偶然いるわけじゃない」
突然、轟音が馬車を揺らした。まるで稲妻が隣に落ちたように、車体が跳ねた。
「な、なんだ今のは!?」
ローアが叫び、全員が席から飛び上がる。
返事は必要なかった。
皆が素早く馬車を飛び出したその瞬間、森の奥からじわじわと広がる、重く、圧倒的な気配を感じ取った。
空気が一歩一歩、重くなっていく。存在そのものが空間を圧迫するように。
「おいおい……本当にあれ、人間かよ……?」
ローアが唾を飲み込みながら呟く。
「……ありえない」
ヨウヘイが低く言った。
「あれは──悪魔だ」
背筋に寒気が走る。
シュウには、この場面に既視感があった。かつて、エデンの力が暴走した時と似ている……だが──
「……十倍はヤバい」
顔色を失いながら、心の中でそう呟いた。
一方、エデンは目を細めていた。
その気配に、どこか覚えがある。
恐怖を感じると同時に、奥底に眠っていた何かが目を覚ますような、そんな衝動。
「……くそっ、なんでワクワクしてんだ、俺……」
口元に小さな笑みが浮かぶ。
その瞬間──
「おいおい……何してるんだ、お前ら?」
森の木々の間から、誰かが現れた。
「……お前、ジパクナか?」
アフロディーテが警戒しながら問いかける。
「そうだけど?何その顔?怖いんだけど」
まるで日常の一コマのように、彼は軽く答えた。
「見ればわかるでしょ?あの化け物……近づいてきてるのよ」
ローアがその“気配”の方を指差す。
「ああ、あれか……」
ジパクナはため息をついた。
「何度も言ってるんだけどね。ここで訓練するなって。でも全然聞かないんだよ、あいつ」
「……知り合いなのか?」
ゼフが目を細めて訊く。
「失礼だなあ。見た目は怖いけど、いい奴だよ。マジで」
「……いい“奴”?」
ヨウヘイが信じられないというように繰り返す。
ローアが一歩下がった──その瞬間。
何の前触れもなく、真横にその“存在”が現れた。
赤い炎のような髪、鋭い眼差し。
あまりの距離の近さに、ローアが思わず悲鳴を上げた。
「ローアッ!」
シュウが駆け寄る。
「お前ら……誰だ?ジパクナの知り合いか?」
その自然な口調が、かえって不気味だった。
あれだけの気配を放ちながら、気づかせなかったことが信じられない。
「前に言っただろ?」
ジパクナが肩をすくめる。
「彼らはGODS学院の生徒。もうすぐ試合で戦うことになる」
「へぇ〜、なるほどね」
赤髪の少年は興味深そうに彼らを見回す。
だが、次の瞬間──その声色が変わる。
「……でも、本当に戦士なのか?」
一気に場の空気が張り詰める。
「どういう意味だ……?」
シュウが警戒心を露わにする。
「……弱すぎるんだよ、君たち」
凍りつく沈黙。
ヨウヘイが前に出て、その襟元を掴み上げた。
「今、何て言った……?もう一回言ってみろ、チビ」
「ご、ごめんごめん!」
ジパクナが間に入って制止する。
「気にするなって!意味は違うと思うし、な?な?」
「いや」
赤髪の少年はヨウヘイの目をまっすぐ見つめる。
「本当に、弱いよ、君たち」
その瞬間、ヨウヘイの拳が震える。殴りかける──
だが、その前にアフロディーテが前に出た。
「やめなさい、ヨウヘイ!今殴ったら失格になるわよ。
それでいいの!?」
ヨウヘイは歯を食いしばりながら、手を離し、馬車へと戻っていく。
アフロディーテは深呼吸した。
「ごめんなさい……騒ぎを起こして」
「いやいや、こちらこそ」
ジパクナが気まずそうに笑う。
「アイツが悪い。止められなかった俺のせいでもあるけど」
すると、赤髪の少年がエデンをじっと見つめた。
その視線はあまりにも真っ直ぐで、エデンは思わずたじろいだ。
「……顔に何かついてるか?」
「……君は、本当に……面白いね」
ジパクナがため息とともに少年の頭をはたき、そのまま森へと引っ張っていく。
「お前な……口を慎め」
去り際、ジパクナは振り返って言った。
「まっすぐ進めばズターツ学院の建物がある。
そこに、クエツァルコアトル先生がいるから、案内してくれるよ」
「……ええ、ありがとう」
アフロディーテがまだ困惑しながらも頷いた。
再び、全員が黙って馬車へと戻る。
エデンの心には、一つの言葉だけがこだましていた。
「……“面白い”、か」
それは、まだ見ぬ何かの始まりだった。
森の奥深く、枝葉が足音を吸い込んでいく中でも、会話の熱は消えなかった。
ジパクナは、まるで父親のように赤髪の少年を引っ張りながら、眉間にしわを寄せていた。
「バカ……そんな態度じゃ、また敵を増やすだけだぞ」
「だから何?」
「“だから何”じゃねえよ……!」
ジパクナはため息混じりに怒鳴る。
「人とどう接するか、少しは学べ。じゃないと、友達なんか増えないぞ」
「君と先生がいれば十分だろ。他はいらない」
深いため息が漏れる。
「バカだな……ほんとに……バカすぎる」
「でも、俺たちが勝つよ。今回は確信してる」
少年は自信満々に笑った。
「……ああ、そうだな」
「今回はちょっと、君にも遊びの時間をあげる」
「楽しみにしてるぜ、化け物」
──場面は、ズターツ学院の施設へと切り替わる。
アフロディーテは、穏やかな顔立ちと知性に満ちた瞳を持つ男・ケツァルコアトルと共に歩いていた。
「うちの生徒がご迷惑をおかけしました。もう二度と起こらないようにします」
「気にしないで」
アフロディーテは、まだ苛立ちを残す生徒たちに目をやる。
「むしろ、あれで火がついたわ。いい刺激になったのよ」
学生たちは、怒りに突き動かされるように激しい訓練を続けていた。
「ならば幸いです」
ケツァルコアトルが微笑む。
「……でも、まだ芝居を続けるの?その作り笑顔、もう見慣れたわよ」
彼は軽く笑って否定もしなかった。
「自信があるようだな。前回の試合はギリギリだったのに……本当に我々の相手になると?」
「さあね。でも、もしかしたらあんたらを一瞬でぶちのめせるかも」
「不可能だ」
ケツァルコアトルが腕を組む。
「君たちには良い原石がいる。ヨウヘイ・アクティナ。だが、我々の天才二人には敵わない」
「随分と自信たっぷりね、蛇」
「理由があるからな」
「どっちが勝つか、楽しみにしてなさいよ、羽蛇」
「君が倒れるその瞬間を、僕も楽しみにしてるよ、魅惑の蛇姫」
互いの言葉がぶつかり合うだけではなかった。
目には見えぬオーラが衝突し、周囲の空気を張り詰めさせた。
生徒たちは沈黙し、息を飲む。
「……仲悪いんだな」
エデンが小声でつぶやく。
「だな」
シュウが頷く。
「二人はかつて同じ部隊の一員だったって噂がある。ある遠国の任務のあと、同時に軍を去ったらしい……それ以来、ずっとこうさ」
「そうか……」
──その後、アフロディーテはシュウと二人きりで話す。
「話って何?」
「お前はこのチームの頭脳だ。何か策はある?」
「……ない」
「え?」
「本気で戦っても、負ける。個の力で向こうが圧倒的に上だ」
アフロディーテは歯を食いしばった。
「……くそっ」
「でも、それはあくまで論理的な話。僕らには予測不可能な変数が二つある」
「変数?」
「エデンとヨウヘイ。……特にエデンは、この数ヶ月で大きく変わった。
まだ金ランクどころかトップ3にも届かないが──
彼の中にある“悪魔”の力。あれは、あらゆる戦略を凌駕する。
リスクは大きいけど、唯一の勝ち筋でもある」
「でも、あの子は……その力を完全に制御できてないし、体ももたないでしょ?」
「だからこそ、僕らで道を切り開く。
エデンとヨウヘイが、タカハシとジパクナに当たれば、勝機が見える」
「他の三人は……?」
「残りの戦力でなんとか抑える。リスクは高いけど、それが最善だ」
アフロディーテは黙って彼を見つめ、苦笑した。
「怖い子ね……本当に人間?」
「褒め言葉として受け取るよ、先生」
「任せたわよ、天才くん」
シュウの片目が金に輝く。
「了解」
──同じ頃、エデンは丘の上で膝をつき、荒く息を吐いていた。
手にする剣は黒いエネルギーに包まれ、今にも砕けそうに震えていた。
己を制御するため、魂を絞っていた。
「……戦いまでに……制御できなきゃ、あいつらに勝てない……」
ジパクナの気配を思い出す。あの赤髪の少年の言葉、存在──
剣のオーラが砕け散り、エデンは地に崩れ落ちた。
「……強くならなきゃ……早く……理由もあるんだ……」
頭に浮かぶのは、カイ──そしてリュウの顔。
「……殺す……」
黒い炎のようなエネルギーが身体から噴き出す。
──その時だった。
目の前に、あの少年が立っていた。
「やっぱり間違ってなかった。君は面白い」
「……さっきの奴……何のつもりだ?」
「分からない?その力……すごいよ」
少年は、エデンの疲れ切った体をじっと見つめた。
「君の器はまだ未完成だけど……磨かれたら、すごい存在になる」
「……君も同じだろ」
「同じ?」
「最初に感じた。君も……呪われてる」
少年はにっこりと笑う。
「呪い?弱い者はそう言うけど……僕にとっては祝福だ。
神様が与えてくれた力なんだから」
「……そうだな、そうも言えるか」
エデンは目を伏せた。
「一つ聞いていいか?」
「どうぞ」
「どうやって……その力を制御できるようになった?」
「制御?違うよ」
少年はあっさり否定する。
「僕も、まだ完全には扱えてない」
「……嘘だろ?」
あの落ち着き。あの圧倒的な気配。制御してないなんて──
「僕もまだ……100%には遠い。君と同じで、セーブしてるんだ」
「……セーブ?」
「でも、一つだけ不思議なことがある。
なんで君、自分の“呪いのエネルギー”の流れを封じてるの?」
エデンが顔をしかめる。
「封じてる……?」
「なるほど。無意識に、か」
「何の話だよ……」
少年は背を向けた。
「試合で会おう、エデン・ヨミ。君は実に……楽しみな相手だ」
「おい、待て!どういう意味だよ!?」
「バイバイ」
「おいってば!」
──沈黙。エデンは汗をぬぐいながら、呆然と立ち尽くす。
「……封印?流れ?呪いのエネルギー……何の話だ……?」
木々の陰から、腕を組んだジパクナが姿を現す。
「……全然伝わってなかったみたいだな」
「そうだね。彼が本気を出せないなら、ちょっと残念かも」
「だったら、教えてやればいいだろ」
「……自分の弱さに気づけない奴に教えても、意味ないよ」
ジパクナは舌打ちした。
「まったく、お前ってやつは……タカハシ……」
少年は何も答えず、ただ空を見つめていた。
その目は、燃えるような期待に満ちていた。
「……楽しみにしてるよ、エデン」