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第81章: 過去の影

時間は何も消し去らない。


遺跡を新たな思い出の下に隠すだけです。


時々、誰かが言葉にするまで、傷は痛まないことがあります。


そして、犯罪よりも重い名前もあります。


なぜなら、過去にあったものは決して消えることはないからです。


そして、隠されたものは、あなたが最も期待しないときに戻ってきます。


恨みは千年も潜伏することがあります…


しかし、再び燃え上がるまでには数秒しかかかりません。


そして彼がそうするとき…


昨日から安全な現在は存在しません。


————————————————————————————————————————————————————————————————


空気が張り詰め、息すら困難になるほどの緊張が場を包んでいた。




暗黒の鎧を纏った巨人──「第六十号指揮官」と呼ばれる存在の前に、アフロディーテとケツァルコアトルが立ちはだかっていた。だが、彼らの間には協調の気配はなかった。視線を交わすたび、神技すら霞むほどの火花が散る。




「無駄な時間はない……」


アフロディーテは思った。


──地平の彼方から、強大な存在の気配が次々と迫ってくる。


「……状況は最悪ね」




「ケツァルコアトル……」


彼女が静かに声をかけた、その瞬間──




「黙れ、貴様の声など聞きたくない」


彼は視線すら向けずに吐き捨てた。




「……馬鹿」


怒りを噛み殺しながら、アフロディーテは眉をひそめた。


「今は感情に流されている場合じゃない。協力しなければ勝ち目はないって、あなたもわかってるはず」




「うるさいっ!」


彼の叫びは獣の咆哮のようだった。




アフロディーテは目を細める。


「……このままだと、負けるわよ」




次の瞬間、羽を持つ蛇神が地を蹴った。


大地が割れるような轟音とともに、一撃ごとに雷鳴のような力を叩き込む。


しかし──指揮官は微動だにしなかった。


まるで子どもの遊びを受け流すかのように、全ての攻撃を片手で防ぐ。




「何をしようと無駄だ」


その声は静かで、残酷だった。


「力の差を思い知るがいい」




「黙れぇぇぇぇッ!!」


ケツァルコアトルの拳が鋭く振り抜かれる──だが。




その手首を、鉄のような力が掴んだ。




「なっ──!?」




次の瞬間、彼の身体は地に叩きつけられた。まるで壊れた人形のように。




「──死ね」




圧縮されたエネルギーが指揮官の掌に集中する。




放たれようとしたその瞬間、青き激流が戦場を切り裂いた。


その奔流は海の怒りそのものの如く、敵を弾き飛ばす。




空から舞い降りるように、アフロディーテが姿を現した。


その体にはまだ、蒼き稲妻のような力が残っていた。




「ちょっとピンチだったみたいね、羽蛇さま」




「……よく喋るな」


ケツァルコアトルは立ち上がりながら睨む。


「次に口を開いたら、貴様を先に潰す」




「お前たち──」


重く低い声が二人の背後から響く。




「どうでもいいが、その喧嘩はさっさと終わらせろ。でないと、ここで死ぬことになるぞ」




振り返ったアフロディーテの目が、わずかに見開かれる。




「ゼフ……?」




少年王が歩いてきた。


その腕には鱗が浮かび、口元には鋭い牙が覗いている。


かつての彼にはなかった異形の力が、今そこにあった。




敵──指揮官はわずかに眉をひそめた。


「ほう、まだ動けたのか。王様」




ゼフは鋭い目を向ける。




「俺を舐めるなよ、ウィロック……『賢者』よ」




その名が、アフロディーテの心に重く響く。




「……やっぱり、あの力に見覚えがあると思った」




アフロディーテは深く息をついた。




「ウィロック。アトランティス最強の騎士。空間魔法の達人。高位のルーン術師。戦場の魔導師──そして、静かなる脅威」




ウィロックは首をわずかに傾け、微笑む。




「……私のことをよく覚えているようだね、女王様」




「お前には失望したぞ」


ケツァルコアトルの声は冷たかった。


「テロリストに成り下がったか。落ちぶれたな」




「そう言ってもらえるとは、光栄だ」


ウィロックは楽しげに笑った。


「我々も随分と名が知れ渡ってきたらしい」




「名声じゃなく、憎悪を集めてるんだ」


ケツァルコアトルが吠える。


「どこへ行っても殺戮ばかりじゃないか!」




「……でも、君たちと何が違うのかな?」




「俺たちを貴様らと一緒にするな、クズが!」




ウィロックの目が細くなり、声が囁くように低くなる。




「そう思うかい? 君たちは『平和のため』と言って人を殺す。


でも……本当に、それが平和なのかな?」




一瞬、場が静まる。




「……エルフ、ヒュペルボレア、ゴールド、アトランティス……」


彼は消えゆくような声で続ける。


「かつて繁栄を誇った種族は、なぜ消えたのか。偶然だと思うかい?」




アフロディーテの表情が曇る。




「……何を言ってるの?」




「我々もその一部だった。『知りすぎた者たち』のね。だからこそ、狩られた」


ウィロックの声には、哀しみと怒りが混じっていた。




「くだらない妄言を……」


ケツァルコアトルは呻いたが、その声には揺らぎがあった。




「我々だけではない。王も、科学者も、神も──時に人間すら。


この真実を知る者は皆、選ばれなければならない。


沈黙か、反逆か。命を賭けるか、背を向けるか──それだけだ」




「黙れ……貴様の口調が癇に障る!」


ケツァルコアトルが叫んだ。


その心には、抑えきれぬ記憶が蘇っていた。




──血。




──震える手。




──腕の中で命を失いかけた、あの女性の姿。




「……なんで今、そんなことを思い出す……」




アフロディーテがそっと彼を見た。




「……あの日のことを、まだ許せてないのね。


あなた自身が」




その場に漂う影は、古く、重かった。




──数年前。




「……なにを言ってるだとッ!?」


ケツァルコアトルが机を叩き、鋼のような声で吠えた。目は見開き、胸は怒りで膨らみ、心臓が戦鼓のように鳴り響いていた。




目の前の諜報員は表情ひとつ変えずに告げた。


「上層部からの正式な命令だ」




「ふざけるなッ!!」


鋼鉄の机が彼の拳できしむ。


「そんな馬鹿げた話、信じられるか!」




「信じるかどうかは自由だ。ただし、命令は命令だ。


──ソチケツァルは“裏切り”の罪で、処分対象となった」




その言葉が落ちた瞬間、部屋の空気が凍った。


二人の男が睨み合う。片や怒り、片や冷酷な無感情。




「……彼女にそんなこと、できるはずがない」


ケツァルコアトルの声は震えていた。


「間違いだ……罠だろう……」




「異論があるなら、辞めればいい」


諜報員は肩をすくめて言った。




沈黙が数秒続いた。




ケツァルコアトルは深く息を吐き、胸元の特殊部隊の証を引きちぎった。


金属のプレートが床に落ち、冷たい音を立てる。


その音は、戻れない扉が閉じた音だった。




「勝手にやれ……だが、俺は信じない命令には従わん」




部屋の隅から、アフロディーテがその光景を見つめていた。




「ケツァルコアトル……」




彼女は、もう一人の男に視線を向けた。


金色の瞳。王者の風格をまとう存在──ギルガメッシュ。




「……止める気はないの?」




「必要ない」


ギルガメッシュは静かに答えた。


「何を言っても無駄だ。


……相手が“妻”ならな」




アフロディーテは拳を握りしめた。




「……そうね」




彼女は走り出した。


通路が永遠に続くように伸びる。


足音が大理石の床に響く。オーラが警報のように振動していた。




(彼女の気配が……消えかけてる……!?)




扉を蹴り開けた。




そこには──血に染まったソチケツァルの身体が横たわっていた。




「……間に合わなかった……」




彼女の眼は潤み、だが命の灯はかすかに残っていた。




「まだ……助けられる……!」




アフロディーテは彼女の胸に手を置き、癒しのエネルギーを流す。




だが──流れが、途中で断ち切られる。




「……なに……?」




再度試みる。しかしまたもや、途切れる。




「なぜ……どうして……どうしてなのよッ!!」




その時、かすかな声が耳をかすめた。




「……もう、無理よ……」




「ソチケツァル!? 喋らないで、今助け──」




「いいの……」


口元から血を吐きながらも、彼女は微笑んだ。


「結局……最後まで真実に辿り着けなかった……」




「……方法はあるはずよ、きっと──」




「あなたも……見えてるでしょ……?」




アフロディーテは黙って頷いた。




ソチケツァルの全身には、呪われたルーンが刻まれていた。


それらは脈打ち、震え、彼女の命を蝕んでいた。




「……お願い……ひとつだけ……」




「なんでも言って……」




「ケツァルコアトルを……あの馬鹿を……どうか守ってあげて……」




アフロディーテは涙を堪えた。




「……命を懸けてでも、守るわ。約束する」




「ありがとう……」




その瞬間。


空間が重くなり、空気が圧し潰される。




扉の向こうに、彼が立っていた。




ケツァルコアトル。




その目は虚ろで、魂が砕けたようだった。


体から溢れるエネルギーは制御不能。


そしてその目に映ったのは──血に染まったアフロディーテの手。




「待って……!」


アフロディーテが叫ぶ。


「違うの、説明させて──!」




「黙れッ!!」




怒りの咆哮とともに、拳が壁に炸裂した。


アフロディーテの体は吹き飛び、血を流しながら倒れた。




「一言も聞きたくないッ!!


殺してやる……!」




彼の中で、何かが壊れていた。


その心は、もう戻れない場所へと堕ちていた。




(……あれ以来、言葉を交わすことさえできなくなった)




記憶が脳裏に押し寄せる。




──星空の下の約束。




「ねぇ……」




「ん?」




「みんなに嫌われても……私のこと、好きでいてくれる?」




「当然だろ。なんでそんなこと聞くんだよ?」




「……ううん、なんでもない」


彼女は微笑んだ。




だが、何度も同じことを聞いてきた。




「……本当に、君のしていることが正しいと思う?」




「もちろんだ。王に背く者は排除されるべきだ。それが平和のためなんだ」




「……そう」




(どうして……そんなに聞いてきたんだ……


もし、違う答えをしていたら──)




(真実を話してくれたのか?


こんな結末を、避けられたのか……?)




(もう、わからない……


ただ今は……アフロディーテを、殺したい……!)




現実に戻る。




ケツァルコアトルが怒りに任せて突進する。


アフロディーテは寸前でそれをかわす。




拳が頬をかすめ、血がにじんだ。




「なぜ……?」




「……え?」




拳を振り抜いた彼の顔には、涙が伝っていた。




「彼女は……こんな結末、望んでたのか……?」




そのまま、膝から崩れ落ちた。




悲痛な叫びが、空間を引き裂いた。




アフロディーテは血を拭いながら、静かに彼を見つめていた。




──癒せない。


この痛みは、肉体のものではない。




魂そのものが、裂けていた。




──現在。




(あれからずっと……)


アフロディーテは横目でかつての仲間を見ながら思った。


(私たちは一言も交わさなかった。……脱走者と呼ばれて当然ね。でもそれでも──)


胸に刻んだ誓いだけは、まだ消えていない。




(たとえ命を落としても、私は約束を守る)




彼女の身体が、決意とともに立ち上がる。


燃えるようなエネルギーが皮膚を這い、頬に黒い紋様が浮かび上がる。


それは脈打つたびに闇の心臓のように鼓動し、悲しき愛の烙印となった。




「──彼を守る」




アフロディーテは正面を見据えた。




「羽ある蛇……邪魔するなら容赦しないわ」




ケツァルコアトルが眉をひそめた。




「……は?」




だが、返答の暇はなかった。




彼女の姿が一瞬で消える。




次に現れた時にはすでに、ウィロックの目前。


その刹那、連撃が炸裂した。


拳、蹴り、エネルギーの刃が怒涛のように襲いかかる。




(くっ……! どんどん速度が上がっている……何をした!?)


ウィロックは防御しながらも一歩、また一歩と押し下がっていく。




アフロディーテの両手から放たれる光弾が連続で撃ち出される。


ウィロックが放つ弾をかき消すように、あるいは倍の速度で貫くように。




「アトラクション・エロティカ」


彼女の声は囁きのように艶めいていた。




次の瞬間、濃い薔薇の香気が空間を包み込み、視界と感覚を麻痺させていく。


幻想的な桃色の結界が二人を覆う。




香りの霧の中から、ひとつの影が近づいてきた。


アフロディーテ。


その姿は美しく、そして妖艶。


ただ近づくだけで心を惑わすような魔性のオーラ。




そっとウィロックの頬を撫でる。




「今夜……何がしたい?」




甘く誘うようなその声が、彼の思考を揺らした。




「お、俺は……」




「ふふ、なに?」




一瞬、彼の表情がとろけかける──




だが、その瞳が冷たく変わった。




「──お前を殺す」




その言葉と共に、結界が砕け散った。




香りも幻も、すべてが霧消する。




「残念だが、君の“本性”にはもう慣れている。


そんな手には乗らないさ、魅惑の女神よ」




「……クソッ」


アフロディーテは小さく舌打ちをした。




(やはり……肉弾戦で倒すしかない)




エネルギーが彼女の四肢に集中し、腕と脚に鋭利な刃のようなオーラが纏われていく。




(……この状態では防御が甘くなる。でも……仕方ない!)




ウィロックが構えた、その時。




割って入った影が一つ。




「……陛下」




そこには、ゼフの姿があった。




「進ませるわけには……いかない」




その瞳には、恐れではなく炎が宿っていた。




「今の俺じゃ勝てないかもしれない……


──でも、彼女ならきっと……!」




ゼフが雄叫びとともに飛びかかる。




激突。


拳と拳、膝と肘、エネルギーの衝突が何度も繰り返される。




しかし──ウィロックの一撃は重く、鋭かった。


ゼフは鼻から血を流し、脇腹を切り裂かれ、それでもなお立っていた。




最後の一撃で、二人は距離を取る。




ゼフは地面に膝をつき、丹田に力を集中させた。




(もう少し……もう少しだけ……!)




──だが、異変が起きた。




腕に、青い棘が浮かび上がる。




「……なっ……?」




毒だった。


即座に全身に回り、体を崩壊させていく。




ゼフは倒れ込んだ。呼吸が荒くなる。




ウィロックが悠然と近づいてくる。処刑人のように。




「──終わりだ」




その瞬間、アフロディーテが割って入った。


その眼には炎。




「ありがとう、ゼフ。


──これで、あの男をぶっ飛ばせる」




一発目の拳が、ウィロックを後退させた。


二発目が、彼の腹を折り曲げた。


三発目──血が口から噴き出す。




ウィロックの腕が紫に染まり、まるで毒が巡ったようだった。




アフロディーテは止まらなかった。




連撃。連撃。連撃。




膝。肘。掌底。


光を纏った怒りの猛打が雨のように振り注ぐ。




(こいつ……なんて……)




脚を蹴られ、体勢を崩したところに──




顔面への回し蹴り。




ウィロックの体が宙を舞う。




ゼフは地面に伏しながらその姿を見上げた。




「速すぎる……」




瓦礫の中から姿を現したウィロック。


鼻から血を垂らしながら、笑っていた。




「……最高だ」




「こんなに楽しいのは初めてだ。


──期待を裏切るなよ」




その瞬間、彼の体に異変が。




血が青く変わる。


胸元から、鱗が現れる。




「──危ないッ!!」




ゼフが叫ぶ。




凶悪な一撃。


アフロディーテを狙って──




彼女には届かなかった。




最後の力を振り絞って、ゼフが割って入った。




「──っ!!」




骨が砕け、体が柱に叩きつけられる。




(なんて破壊力だ……)


意識が闇に飲まれていく。




再びウィロックがアフロディーテに迫る。




「──油断するなよ」




拳が振り下ろされる──




「もういい」




それを止めたのは、別の手だった。




──ケツァルコアトル。




その体は蛇の鱗に覆われ、


目は神の炎のように燃えていた。




「……ケツァルコアトル……」




アフロディーテは驚きに声を漏らす。




「……許したわけじゃない」




敵から視線を逸らさず、彼は告げる。




だが、心の中には、


最後に微笑んだソチケツァルの姿が浮かんでいた。




「……けど、彼女なら、


お前を見捨てることは許さなかっただろう。


だから──今だけは、共に戦う」




数メートル先。


血を流しながらも意識を保つゼフが、震える声でつぶやいた。




「……神が二人、全力で戦うのを見るのは……初めてだ……」




「……怖いくらいだ……」




戦場を覆う気配が変わる。


神々の咆哮が、空間を支配する。




しかし──




(いや……)


ゼフは目を凝らした。




(ウィロック……まだ本気じゃない……)




彼の体を這う鱗は、まだ完成していない。




(あの姿……まだ“完全体”じゃない……)

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