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第82章: 痛みの反響

癒えない傷もあります。


彼らは沈黙することだけを学ぶ。


しかし沈黙は忘却ではない。


記憶が詰まっています…


魂の奥底に隠れているもの、


叫ぶ瞬間を待っています。


本当の痛みは泣きやまない。


固まってしまいます。


それは怒りに変わり、強さに変わり、執着に変わります。


そして、戻ってきたら、お土産として戻ってくるわけではないのです…


しかし、生きた炎のように、消すことは不可能です。


なぜなら、時間が経っても消えないエコーが存在するからです。


彼らはただ答えを待つだけです。


そして過去が呼ぶとき、


誰もがその反応を生き延びるわけではない。


————————————————————————————————————————————————————————————————


闇の中で叫ぶような気配──


それはフードをかぶった男の背後から、じわじわと滲み出ていた。


エネルギーではない。もっと古く、もっと禍々しい何か。


この世に存在してはならない、そう感じさせる「異質」そのものだった。




ヨサは、肌に直接それを感じていた。




「……こいつは、今までの奴らとは違う」




その存在には形がなかった。輪郭もなければ、限界も見えない。


まるで「呼吸する深淵」と戦っているかのような錯覚。




彼は横に立つ仲間へと顔を向けた。




「……四つ目。お前は下がれ。これは危険すぎる。二人とも生きて帰れる保証はない」




だが、フレーム越しにジュアナが鋭い視線を返す。




「はあ? なに言ってんのよ」


怒りを含んだ声が返る。


「私は最初からそのつもりで来たの。今さら何よ」




「……だが──」




「黙って。邪魔しないで。


逃げるなら、あんたでしょ。あんたの能力、そう長くは持たないでしょ」




白髪の男が奥歯を噛み締めた。




「……うるせえ、四つ目。俺が先に倒れるもんかよ」




二人が同時に力を解放した。


緑と緋。守りと攻撃。耐久と烈火。


相反しながらも補い合う、ふたつのオーラが激しく渦巻いた。




「死なないでよ、コアラ」


そう言って、二人は同時に前方へと跳んだ。




敵は彼らを待ち構えていた──笑みを浮かべながら。




両手を広げる。片手ずつ、二人の攻撃を受け止める。




「もっとだ……もっと驚かせてくれ、人間たちよ」




その手が、正確無比な動きで旋回する。


次の瞬間──ヨサとジュアナの額が激突。




乾いた音が響き、二人の身体が吹き飛ばされる。


地面に叩きつけられ、土煙が舞った。




だが、敵は止まらない。


両手に黒く脈打つ球体を構えた。


内側で赤い稲妻が渦を巻いている。




そして、それを一気に投げた。


常識を逸した速度。




「──今だ!!」


ジュアナの声。




二人はすんでのところで跳ね起き、その弾を切り裂いた。


交差するオーラのうねりが、敵の攻撃を中和していく。




しかし、その直後──左右から放たれた二本の血の矢。


回避する間もなく、二人の身体に直撃。




ジュアナは脇腹を押さえ、ヨサは歯を食いしばる。




「なんなんだこいつ……雷、血、エネルギー……全部かよ……!? ありえねぇ……!」




「全部出すしかない……このままだと……殺される……!」




「はぁ……退屈だな」


敵が呟くように言う。つまらなさそうに。




「──コアラ!!」




「わかってる!!」




ヨサの緑のエネルギーが爆発した。


密林のような気が、全身を包み込む。




背中から灰色の毛が生え、爪が鋭く伸びた。


瞳孔が細まり、視線が野獣のそれへと変わっていく。




「ラック:コアラ」




変化は一瞬だった。


その姿は人と獣の中間。重厚かつ威圧的。




「……ねみぃ……」


まるで全てがどうでもいいとでも言いたげに、彼は首を掻いた。




ジュアナは真剣なまなざしでその背中を見つめる。




(今が最大の防御態勢……このタイミングで奴が来たら……)




その予感は当たる。




敵が背後に現れ、狂気じみた笑みを浮かべていた。




が──


その手が触れる寸前、ヨサが現れた。




拳が敵の胸に炸裂。


そのまま吹き飛び、木々をいくつも破壊していく。




「……ねみぃ……」




敵──いや、もはや人とは呼べぬ何か──が立ち上がる。




胸には、三本の爪痕がくっきりと残っていた。




そして、笑った。




「……そう……そう、それだ……それが欲しい」




ジュアナの脳裏を戦術が巡る。




(持久戦だ……この形態なら、時間が味方。


あとはキャプテンが片付けるまで耐えるだけ……)




だが、敵はそれを許さない。




ヨサの死角から現れ、急襲を仕掛ける──


だが、ヨサの反応は早かった。




体をひねり、拳で返す。


敵の腹に食い込んだその拳は、肉を裂き──




爪が胸を貫いた。




敵の体から血が噴き出す。


苦悶と陶酔が入り混じった顔で、後退する。




「……この感覚……忘れていた……


……この興奮……」




満身創痍のはずだった。




だが、男は──笑った。




狂気じみた、圧倒的な笑い声。




「アハハハハ!! 面白い!! 面白すぎる!! 楽しい!!」




その瞬間、周囲の空気が変わる。




凶悪なオーラが爆発する。


黒く、重く、圧し潰すような闇。




そして──




その口から、何かが這い出す。




それは剣だった。


血に濡れた黒い刃。喉の奥から、まるで呪われた炉から鍛えられたかのように。




ジュアナが後退する。




「……なんだそれは……?」




ヨサが凍りついた。




「その剣……」




男はその剣を指先で摘み、微笑んだ。




「──死ね」




猛突進。


ヨサに向かって。




「──ヨサァァァ!!」




ジュアナが飛び込んだ。




黒い剣が彼女の身体を切り裂く。


血をまき散らしながら、彼女は倒れた。




男はその姿を見下ろす。




「へぇ……また驚かされたよ」




ヨサは言葉を失った。


その目は、彼女を貫いた剣だけを見つめていた。




「その剣……」




──七年前のことだった。




シュンの声は、隠しようのない重さを帯びていた。




「……すまない」




最初、ヨサは何も反応しなかった。


だが、次の瞬間、否定が心を支配する。




「嘘だろ……そんなの……」




「すまない」


シュンは再び頭を下げた。


「戦いの後、彼の遺体は見つからなかった……


仮に生き延びていたとしても、あの場所では……」




その瞬間、映像が頭に突き刺さる。




洞窟。


壁にこびりつく血。


足元の水たまりに混じる赤。


岩肌すらも、血に染まっていた。




「……そんな……まさか……師匠が……」




ヨサはうめくように呟いた。




隣で、ティレシアスが腕を組み、冷静に言った。




「さらに調査隊を送る。生死を問わず、必ず見つける」




ヨサはわずかに頷いたが、口を開くことはなかった。


何かが、心の奥で壊れていた。







数メートル離れた場所で、シュンとティレシアスが小声で会話を交わす。




「本当に……痕跡すら残さず消えるなんて、あり得るのか?」


ティレシアスが眉をひそめる。




シュンは腕を組み、深く考え込んでいた。




「それができるとしたら、極めて強大な攻撃だけだ。


でも、そんな痕跡はなかった。


あの洞窟……崩落の気配もなかった」




「……そうか」




声を潜める。




「危険な任務だとはわかっていた。相手はブラックライツだ。


だが……ここまでとは」




「全滅か?」




「そうだ。カグツチが率いていた部隊……全員、死亡。


カグツチ本人も含めて……そう思っている」




重たい沈黙が流れた。


脳裏に浮かぶのは──あの惨状。




切断された手足。


噛みちぎられた肉体。


原形をとどめない屍。




シュンは視線を逸らしながら呟いた。




「……人間の仕業とは思えなかった」




ティレシアスは歯を食いしばりながら言う。




「やるべきことは一つだ。


こんな地獄を作った奴を、必ず見つけてぶちのめす」




シュンは小さく頷いた。




「──あの子は?」




「ヨサか?」




「ひとりでは乗り越えられないかもしれない……」




意外そうにティレシアスが振り向いた。




「お前が、他人の心配をするとはな」




シュンはかすかに笑みを浮かべる。




「……どうしてだろうな」




視線の先。


地面に座り込んだヨサは、ぼんやりと宙を見つめていた。


瞳は涙で濡れ、顔は崩れ、ただ静かに、ぽたぽたと涙が流れていた。




ティレシアスが呟く。




「俺が預かる。


カグツチは、よくあいつの話をしてた。


“とんでもない潜在能力を持っている”ってな」




「……頼む」




「任せろ」







──ヨサは、すべてを覚えていた。




寒さ。


血の匂い。


喪失。




「……あの時、俺は……何をしていいかも分からなかった」




いま、彼の目の前にあるのは──


敵の手に握られた、一本の剣。




「俺の師──俺にとっての父……


子供の頃からずっと、俺を導いてくれた人……


生き方を教えてくれた。戦い方も、考え方も、すべてを」




その人が消えた後。


ティレシアスが代わりとなり、力の使い方を教えてくれた。


暴走し、自ら命を落としかけた時、彼が命を救ってくれた。




「命の恩人だ。尊敬する存在でもある」




だが、どれだけ支えられようと──


どれだけ成長していようと──




変わらなかったものが、一つ。




「ずっと、頭から離れなかった。


……俺の大切な人を奪ったのは……誰だ?」




訓練の日々。


涙を流した夜。


強くなりたいと願った理由は──




ただ一つ。




「いつか必ず見つけ出す。そして、全部返してやる。


あの地獄の痛みも、喪失も、怒りも……すべて」




──七年。




何の手がかりもなく。


遺体もなく。


犯人も分からず。




残されたのは、虚無。




だが、今。




「その剣……」




目を細めたヨサの瞳が、鋭く光る。




「どこで見たって、絶対に分かる。


あの剣は──カグツチのものだ」




──現在。




敵の手に握られた黒剣は、今も震えていた。


刃先からは、ジュアナの血がぽたぽたと滴り落ちていた。


まるで、その血に嗤っているかのように──




ヨサは、その剣から目を逸らせなかった。




敵は皮肉げに微笑みながら、ヨサの表情を読み取る。


まるで魂の奥まで覗き込むかのように。




「どうした? その顔は……」


「まさか、諦めたのか?」




あまりにも満足げで、不快な声だった。




ヨサは奥歯を噛み締める。




「……その剣……どこで手に入れた?」




敵は首を傾げ、わざとらしく驚いた表情を見せた。




「おや……前の持ち主を知っていたのか?」




「黙れ」


ヨサの目は鋭く、氷のように冷たかった。


「質問に答えろ」




敵はすぐには言葉で返さなかった。


代わりに、自らの顔の皮膚を爪で裂きはじめた。




ゆっくりと、狂気を楽しむように──




その体は、興奮で震えていた。




「そう……あの悲鳴、まだ覚えている……」


「本当に、美しい音だった」




ヨサの体に電流が走る。




「骨が砕ける音。皮膚が裂ける音……」




敵はうっとりと目を閉じ──




そして、開いた。




そこにあった顔は、もはや彼のものではなかった。




それは──カグツチの顔だった。




涙に濡れた目。


苦痛と絶望が刻まれた表情。


ヨサの師の顔。


冒涜の仮面。




ヨサは動けなかった。


呼吸すら、忘れていた。


思考も、止まっていた。




ただ、見つめていた。




「そうだ……それが欲しかった」


敵は陶酔の中で呟いた。


「その顔だ……その目……たまらない」




ヨサの呼吸は荒くなり、肩が震える。




「師匠……親父……ジュアナ……」




「……ごめん」




背後で、ジュアナのか細い声が聞こえた。




「ヨサ……」




だが、もう遅かった。




ヨサの目は、氷のように冷え切っていた。




「……この化け物……必ず殺す」




背中から吹き上がるエネルギーは、まるで嵐。


大地が割れ、空が裂けた。




「二度とこの力は使わないと誓った……」


「でも、選択肢はない。ジュアナはもう限界だ……」




「そして……目の前にいる。俺のすべてを奪った奴が」




「たとえ死ぬとしても──」




「必ず消し去る」




筋肉が膨張し、骨がきしみ、皮膚は硬質化していく。


鼻は潰れ、毛が全身を覆っていく。


空気が震える。




「ジュアナ……本当はずっと、伝えたかったんだ……」




「ごめんな……」




「うおおおおおおおおっっっ!!」




敵が叫ぶ。




「もっとだ!もっと楽しませろ!」







数キロ離れた場所──




ティレシアスが顔を上げた。




凄まじい力の波動が森全体を貫いた。




「まさか……」




その言葉が終わる前に、目の前に影が現れた。




「よそ見すんなよ、ジジイ」




“第39の者”が、腕を振り上げる。




ティレシアスは即座にその攻撃を受け止め、後方へと跳ねた。




「頼むぞ……ヨサ……あと少し……!」







戦場に戻る──




“第59の者”が猛スピードでヨサに突進する。




「巨大化している……ということは、動きが鈍くなってるな」




そう考え、拳を振り下ろそうとした──その瞬間。




ドガッ。




一撃。


地面がめり込み、大地が揺れた。




ヨサの拳が、敵を地中に叩きつけた。




ヨサは咆哮する。




野生の、苦痛の、怒りの叫び。




その咆哮は、森全体に響き渡った。




そして──殴打が始まる。




止まらない。


容赦ない。


リズムも戦略もない。


あるのは、怒りだけ。




敵の体は、砕かれ、潰され、叩き込まれる。




ジュアナは、地面から身を起こそうとする。




その目が震えていた。




「……強い……でも……」




「何か、おかしい……なにか……違和感がある……」




虐殺のような殴打が、ようやく止まる。




血に染まった大地。


引き抜かれた木々。


砕かれた岩。




敵は、原形をとどめないまま、地に埋まっていた。




「……勝った……」




ヨサは荒い息を吐きながら、そう思った。




──だが、その時。




笑い声が響く。




甲高く、ひび割れ、悪夢のような声。




「な……に……?」




ヨサは腕を振り上げ、止めを刺そうとした。




だが、その拳は──




変形した手によって、止められた。




敵は顔を上げた。


肉は裂け、骨が露出し、目は血で滲んでいる。




それでも──笑っていた。




「やっぱり間違ってなかった……お前、本当に面白い」




「でもな……少しだけ、お前を甘く見ていた」




「だから──」




敵の体が再構築されていく。




骨が繋がり、肉が覆い、神経が走る。




「“名誉”を与えよう……」




皮膚が灰のように剥がれ落ち──




そこに現れたのは、もはや“人”ではなかった。




伸びた黒い四肢。


細長く、刃のような指。




非対称の体。


真っ白な瞳。


魂を持たぬ力。




「これが……」




「俺の“真の姿”だ」




怪物は立ち上がる。




「一寸の肉さえ残さず……貴様を喰らってやる、ヒトよ」

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