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第85章: 廃墟の兄弟

愛は救うことはなく、時には破壊することもある。


兄弟間では、ため息や、必要以上に長く見つめ合うことで、尊敬と羨望の境界線が曖昧になることがあります。壊れることのない絆として始まったものが、期待の重みと運命の毒に隠れて、静かに腐っていくこともあります。


栄光は共有できるものではありません。意図せずそこに到達した者は、愛する人々を置き去りにすることになる。そして、神々の炎によって忘れ去られ、下に残された者たちは、灰の中で生き残ることを学ぶ...あるいは、灰とともに燃えることを学ぶ。


野外で戦闘が行われます。しかし、最も残酷な出来事は心の中で起こります。


理想が崩壊し、約束が歪められ、「愛している」という言葉だけでは何世紀にもわたって蓄積された怒りを抑えることができない場所。


おそらく本当の終わりは死ではなく、私たちが最も守りたかったものを失望させたという苦い確信によって訪れるのでしょう。


————————————————————————————————————————————————————————————————


空気は張り詰め、重く沈んでいた。


壁が震えている。


この世界のものではない、異質なエネルギーが満ちていた。


鈍い低音が廊下を這うように走り──それは、逃れられぬ凶兆だった。




「……一体何が起きてる!?」


フチルポチトリが怒鳴る。


険しい顔で、司令室のモニターに映るノイズを睨みつけていた。




「は、はっきりとは……」


警備兵のひとりが答えた。明らかに動揺している。


「外部との通信が、まったく取れません!」




神は小声で呪いを吐き、拳を握り締めた。




(……あの日と同じだ。嫌な感じがする)




「……すべて遮断されています、閣下」


別の兵が言う。声が震えていた。




「クソがっ!!」


怒声とともに、フチルポチトリはコンソールを拳で叩きつけた。


「全兵力を展開しろ!! これは戦争だ!!」




「は、はいっ!」


警備兵は慌てて駆け出した。




再び訪れた沈黙。


それを破ったのは、遠くから響いてくる警報音。


まるで、誰かの泣き声のように──哀しく、切なく。




(このままじゃ……)




その思考は、廊下に響く足音によって遮られた。


ゆっくりと。


確かなリズムで、だが不気味なほどに自然体な足取り。




フチルポチトリはゆっくりと振り返った。




「……テスカトリポカ? お前、なぜここに?」




現れた男は、ポケットに手を突っ込み、いつもの柔らかな笑みを浮かべていた。


まるで何も起きていないかのように。




「久しぶりだな、兄さん」




「ふざけてる場合か! 今は緊急事態だ。協力が必要だ、すぐに──」




「分かってるよ」




「じゃあ早く──何だって?」




「分かってるって言ったんだ」




フチルポチトリの眉がひそめられる。




「そんなはずはない。俺たちが最初に情報を受け取る仕組みだ。まさか、お前……」




「……そう」


テスカトリポカの声は静かだった。


どこか、哀しみを帯びていた。




「俺が……全部、通信とセキュリティを壊したんだよ」




「……何を馬鹿なことを……!!」


フチルポチトリが吠え、歩を詰める。




「そのまんまの意味さ」




「ふざけるな!!」


テスカトリポカの襟を掴み、壁に押し付ける。


「お前が呑気に遊んでる間に、外じゃ何が起きてるか分かってるのか!!」




「落ち着けよ、兄さん」


口角を歪めるように、彼は微笑んだ。


「心配なんていらないよ」




「……何が言いたい?」




「そんなに気になるなら──本人に聞けばいい」




フチルポチトリの体が強張る。


ゆっくりと振り向く。


時間が止まったかのように──




そこに、ヨゲンが立っていた。




影のように静かに。


死のように冷たく。




彼の剣は、すでにフチルポチトリの胸を貫いていた。




鈍い音。


吐息にもならない呻き声。


そして──血。


あまりにも多くの、血。




膝をつき、視界が揺れる。


その胸に、大きな穴が空いていた。




「……よくやった、テスカトリポカ」


ヨゲンは淡々と呟き、剣を拭いながら背を向ける。


「残りは部下に任せよう」




太陽の神は息を切らす。


その体内の光が、今にも消えそうな灯火のように揺れていた。




「なぜ……?」


苦しげに、兄に問う。




「なぜ、こんなことを……」




その瞬間、テスカトリポカの顔から笑みが消えた。


瞳の奥に燃え盛る──怒り。




「……黙れ!!」




一歩、前に出る。


その姿はまるで──裁きの神。




「何度も、何度も努力した……


それなのに、お前たちは……


一度たりとも、俺を“太陽の神”に選ばなかった!!」




その言葉は、刃のようだった。




「──だが今日。


すべてが変わる。


今日こそ、俺の戴冠の日。


ズターツ全種族の上に立ち、統べるのは……この俺だ!!」




「馬鹿なことを……!!


選ぶのは俺たちじゃない!


“儀式”だ! それが、ずっと続いてきたルールだ!!」




「なら、全員消せばいい」


静かな声だった。


だが──その言葉に込められた意思は、絶対だった。




沈黙。




兄弟の間にあった絆は、その言葉と共に崩れ落ちていく。


壊れていくのは、神殿だけじゃない。


かつて共に過ごした時間、信頼、夢──すべてが、瓦礫と共に沈んでいった。




──回想。




漆黒を引き裂くように、怒りの閃光がほとばしる。


地面が揺れ、大気が唸り、荒れ狂う力が空間を震わせた。


煙と光の狭間、二つの影が立ち尽くす。


砂塵と汗にまみれ、息を切らしながらも──その瞳は、燃えていた。




フチルポチトリとテスカトリポカ。


互いに一歩、また一歩と後退するが、その目は決して逸らさなかった。




「……強くなったな」


フチルポチトリが、素直な笑みを浮かべた。




「ありがとう、兄さん。まだまだ精進するよ」


テスカトリポカが荒い呼吸を整えながら応えた。




「いつか、お前が太陽を継ぐ日が来るさ」




──場面が変わる。




星々が瞬く夜空の下、大きな焚き火が燃え盛っていた。


空気は張り詰め、そしてどこか甘い。


歴史が動く前の、あの特有の香り。




沈黙が支配していた。


聞こえるのは、シャーマンたちの神聖な呟きだけ。




「皆、心得ておるな」


ひとりのシャーマンが荘厳な声で語り始めた。


「今宵、我らは新たな太陽を選ぶ。


次代を導く、光そのものを──」




ケツァルコアトル、フチルポチトリ、テスカトリポカ、トラロック。


四柱の神々が揃い、黙して儀式の時を待つ。




シャーマンたちが焚き火を囲み、不思議な粉を撒いた。


炎に触れると、それはまるで星屑のように溶け込み、天に舞った。




そして、空が震える。




轟音。共鳴。


夜が、吠える。




(何だ、これは……?)


フチルポチトリは眉をひそめた。


(あんな男……初めて見る顔だ。誰なんだ?)




その瞬間──




空が凍った。


世界が、息を呑む。




ひとすじの蒼い閃光が、空から落ちる。


裁きのように焚き火を貫き、ありえないほどの蒼炎を立ち上らせた。




「こ、これは……」


ケツァルコアトルが呟く。




(まさか……俺だけか?)




フチルポチトリの瞳が見開かれる。


誰にも見えぬものを、彼は見ていた。




──焔の中を舞う、無数の精霊。


古の影。過去の魂。


ただひとり、その存在を認識できるのは──彼だけ。




そのうちのひとりが近づいてきた。




「ど、どうも……」




ぎこちなく挨拶するフチルポチトリを、仲間たちが不思議そうに見つめる。




「誰と喋ってるんだ?」


ケツァルコアトルが尋ねる。




「頭がどうにかなったんじゃないか?」


トラロックが鼻で笑った。




だが、シャーマンの瞳は鋭く光っていた。




「……そうだ。その通り。


お前が選ばれし者だ」




「……は?」




「彼らが、お前を“太陽”として選んだのだ」




「彼ら……? 一体誰が?」




「ま、待ってくれ!!」


テスカトリポカが慌てて叫ぶ。


「俺も……俺も見えてる!!」




その声に、精霊が反応する。


彼をじっと見つめ──低く、不思議な言葉を呟いた。




「atihs nosan」




(いま……何て……?)


テスカトリポカは困惑する。




「残念だが……」


シャーマンの声は冷たく、曇りなかった。




「彼らはお前を“嫌っている”」




膝をつくテスカトリポカ。


その目から、光が失われていく。




「俺は……ずっと努力してきたんだ。


毎日、限界まで自分を追い込んで……


それでも……駄目なのか……」




肩に置かれた、温かな手。




フチルポチトリだった。




「大丈夫さ。次はきっと、お前の番だ」


その言葉は、真っ直ぐで優しかった。




「……兄さん。ありがとう」


微笑みと共に、テスカトリポカは呟いた。


その笑顔には、感謝と悔しさが混ざっていた。




儀式は進む。




シャーマンがフチルポチトリの手のひらを切る。


流れ落ちた血が、青炎へと注がれる。




──そして。




炎は手のように伸び、傷を癒した。


爆発するような力がフチルポチトリを包み、


その身体を蒼い輝きが覆った。




星すらも焼き尽くすような──圧倒的な神光。




遠く離れた場所で、それを見ていたテスカトリポカは静かに息を呑んだ。




(……俺だって、いつかは……)




何度も、何度も、彼は挑んできた。




時が流れ。


儀式は繰り返され。


太陽は代わり続けた。




だが──




その座に立つのは、いつも──“自分以外”だった。




(何年経っても、希望は消えなかった。


訓練だけが、俺の救いだった。


限界なんて意味がなかった。


死んでもいいと思った。


ただ……太陽になりたかった)




痛みに耐え、何度砕かれても諦めなかった。




──そして、その日が来た。




闇の中。


繰り返す敗北を断ち切るような声が聞こえた。




「取引に興味はあるか?」




──ヨサだった。




その瞬間。


すべてが、変わった。




──現代。




テスカトリポカの血が、煮えたぎる。




その声は震えていた。


だが、確かな力で空間を打ち抜いた。




「彼らが……再び俺に機会を与えてくれた。


俺がずっと夢見ていた存在に……この世界の神に、なるための機会を」




その眼には、神々しさすら感じさせる怒りが宿っていた。




「代償なんてどうでもいい。犠牲がなんであろうと構わない……


俺が、この世界の新たなる神となるんだ!」




正面に立つフチルポチトリは、静かに目を伏せた。


その声は、悔恨に裂かれた囁きだった。




「すまなかった」




「……は?」




「すべての元凶は……俺だ」




テスカトリポカが一歩後ずさる。困惑の色を浮かべる。




「何を……言ってやがる?」




「お前が選ばれなかった理由──


それは、何度も何度も……俺が、お前を退けてきたからだ」




世界が止まったようだった。




テスカトリポカの表情には驚愕が浮かび、そしてそれは、激昂へと変わる。




「この野郎ォォ!!」




瞬間、兄の目前に現れ、怒りの一撃を叩き込もうとする。


だが、その拳は震える剣によって止められた。




フチルポチトリが、その勢いを利用して身を翻し、蹴りを放つ。


テスカトリポカは数メートル吹き飛ばされ、地面に転がった。




「何を言ってやがる!? クソ野郎!!」




「新たなる神になれなかったのは、お前のせいじゃない。


俺だ……俺がすべてを妨げてきたんだ」




大地が震える。




テスカトリポカの体から、黒いオーラが噴き出した。


それは、唸るように空気を裂き、咆哮のごとく空間を染める。




「──ナワリ召喚」




影の中から現れたのは、醜悪な獣たち。


夜の獣の姿を模した、闇の造形。


その瞳には、太古の憎悪が宿っていた。




ナワリたちが、嵐のごとくフチルポチトリへと襲いかかる。




神の剣が閃き、聖なる炎が吹き荒れる。


ひとつ、またひとつと獣たちは消え去る。




だが、倒しても倒しても──さらに倍の数が地から這い出してくる。




「クソッ……直接いくしかないか」




「──太陽の抱擁!!」




フチルポチトリの体から、灼熱の衝撃波が解き放たれる。


ナワリたちは絶叫とともに灰と化し、


砂はガラスへと変わった。




だが、その中心に、テスカトリポカが立っていた。




「クッ……クソ野郎……!」




一陣の影が、煙の帳を切り裂く。




──ゴォン!




テスカトリポカの体が地面に叩きつけられる。


地が割れ、血が黒い墨のように飛び散った。




ヨサだった。たった一撃で、彼を沈めた。




その直後──




ヨゲンが現れ、フチルポチトリの頭を片手で掴む。


まるで、壊れた器のように。




「お前らの問題には興味ない。


だが、こっちは時間がねえんだよ」




その声は冷たく、命そのものを凍らせた。


その瞳は──刃だった。




「一度だけ聞く。


“太陽の石”はどこにある?」




フチルポチトリの表情に混乱が走る。




「……何のことか分からない……」




ヨゲンは短く息を吐いた。




「……そうか」




──ボキッ!




何の前触れもなく、拳が振り抜かれた。


右腕が、砕けた。




ガラスのように──粉々に。




「ふざけたこと言うな。時間が惜しい。


だから……お前を殺す」




その言葉に、二人の兄弟が感じたのは──


力ではない。確信だった。




「何本骨を折っても、舌を引き千切っても、


お前が口を割ることはないんだろうな。だから……」




ヨゲンの剣が、テスカトリポカの胸元へ向けられる。




「お前が一番大切にしているものを──消してやる」




「テスカトリポカーッ!!」




──ドォォォン!!!




凄まじい衝撃が建物を襲い、壁も天井も崩れ落ちる。


だが──煙の中から現れたのは、まだ立っているテスカトリポカだった。




間一髪、盾を構えていた。




「……やっぱり、あの盾は厄介だな」


ヨゲンが忌々しそうに舌打ちする。




そして──




それを断ち切るように、遠くで何かが爆ぜた。




圧倒的な熱。


全てを焼き尽くすような、新たな柱が空を貫いた。




全員が振り向いた。




──エデンだった。




ヨゲンの眉が歪む。




「……チッ。


もう時間がねえ。


さっさと終わらせるしかないか」




崩れた部屋に残る、二人の兄弟。


一人は膝をつき、もう一人は血に染まりながらも立ち上がる。




「……まだ、許せたわけじゃない」


テスカトリポカの声は、かすれていた。


「たとえ理由があったとしても──


お前が黙っていたことだけは、絶対に許せない」




その目には、燃え尽きぬ怒りと、微かな誓いがあった。




「だが……あいつを一人で倒すのは無理だ。


一緒にやるか?」




フチルポチトリが立ち上がる。


痛みに顔を歪めながらも──その唇は、微笑んでいた。




「……ああ。


これが最後だとしても、全力でやってやろう」




傷は痛む。


だが、それ以上に……怒りが重かった。




ヒュイツィロポチトリとテスカトリポカは、二つの対極の炎のように、同時にヨゲンへと飛びかかった。


その動きはまさに一心同体──完璧な連携だった。




だが、相手は底なしの深淵。




ヨゲンは、まるで遊ぶように攻撃をいなした。


表情すら変えず、軽やかに身をかわす。




(……くだらん)


心の中で苛立ちを募らせる。


(時間の無駄だ。早く片付けるか)




兄弟は止まらない。




「クソが……速すぎる……」


ヒュイツィロポチトリの拳がヨゲンの顔すれすれを通り過ぎる。


(二人がかりでも当たらないなんて……何者だこいつは……!?)




渾身の連携攻撃。


叫びと共に放たれた拳は──まるで風のように軽く受け止められた。




ヨゲンは、テスカトリポカの腕を掴み、その身体を踏み台にして宙を舞うと、ヒュイツィロポチトリへ強烈な蹴りを放った。




間一髪で防御するも、その衝撃は鈍い音を響かせた。




「……へぇ」


ヨゲンがわずかに驚いた表情を見せる。


「意外と、しぶといじゃねえか」




次の瞬間、テスカトリポカが隕石のように地面に叩きつけられる。


大地が揺れ、砂埃が舞い上がる。




ヒュイツィロポチトリはフラつきながらも、拳に力を込める。


ヨゲンの一瞬の隙を突いて、全力で突進した──




だが──




ヨゲンは、消えた。




──ゴシュッ。




鈍い音。


骨が砕ける音。




ヒュイツィロポチトリの体が吹き飛び、壁を破壊してそのまま瓦礫に埋もれる。




「……さあ、もっと楽しませてくれよ」


ヨゲンがゆっくりと歩く。


「せっかく時間割いてるんだ。少しは価値を見せてくれ」




血まみれで、息も絶え絶えの兄弟。


だが……誰も退かなかった。




「なめんじゃねえぞ……クソ野郎が……」


ヒュイツィロポチトリが歪んだ笑みを浮かべる。




ヨゲンが眉をひそめた。




テスカトリポカも立ち上がる。


その身体から、異様なエネルギーが溢れ始める。




「……全部、賭ける時だ」




神々の体が、輝き始める。




ヒュイツィロポチトリの皮膚が裂け、血と共に聖なる青い羽が溢れ出す。


それはまるで祝福の雨のように、彼の全身にまとわりつく。




一方のテスカトリポカは、黒い斑点に飲まれる。


肌は黒豹のように変化し、牙が伸び、瞳が金に染まる。




(……これは……)


ヨゲンが一瞬だけ目を見開く。


(ラックでも、武器でも、触媒でもない。……生得の力……!?)




目前に現れたのは、二柱の神。


燃える青いハチドリ。


そして、闇に溶ける黒豹。




ヨゲンの口元が、わずかに吊り上がる。




「──へえ、少しはマシになったじゃねぇか」




──ドォォン!!




ヒュイツィロポチトリの口から、聖なる炎の弾が放たれる。


それは彗星のごとく、一直線にヨゲンへ突進した。




ヨゲンは……避けられなかった。




──爆炎が、空間を飲み込む。




「……やった……あれは──」




しかし、パチン──と指が鳴る音と共に、炎が掻き消える。




現れたヨゲンの周囲には、見えない障壁が張られていた。




「……なるほど。死んだかと思ったが……


勝手に発動しやがったな、このバリア」




「てめぇ……ッ!!」




テスカトリポカが跳びかかる。


爪にゼンカのエネルギーを纏い、空気との摩擦で火花を散らす。


野生の連撃。猛烈で、精密で、残虐。




だが、すべてがバリアに阻まれる。




ヨゲンの表情は変わらない。


その瞳だけが──退屈そうに沈んでいた。




「……せっかくの多彩な能力だってのに……。


当たりすらしないんじゃ、意味ねぇな」




その時──




──ピシッ……




かすかな音が、空気を切り裂く。




バリアが、振動する。




──ヒビが、入った。




「……なに?」




ヨゲンの瞳に、ついに驚愕の色が宿る。




テスカトリポカが動く。


狙いは、その亀裂一点。




──ガァァン!!




バリアが──砕けた。




その瞬間、蓄積されたエネルギーが一気に解き放たれる。




逃げる暇などなかった。




──ドォォォン!!!




大地が揺れ、壁が崩れ、世界が裂ける。




「……やった……!ついに……!」




テスカトリポカが息を切らしながら叫ぶ。




瓦礫の下──ヨゲンの姿が、石の山に埋もれていた。




兄弟は、血を吐きながら倒れる。


力を使いすぎた体が、震える。




「……残念だな……」




──その声に、空気が凍った。




「……この衣、気に入ってたんだ。高かったのに」




恐怖が、全身を突き抜ける。




ヒュイツィロポチトリが振り返る。


だが──遅かった。




──シュバァ!!




身体が、縦に裂けた。




「兄さんッッ!!」




テスカトリポカが叫ぶ。


怒りと悲しみに染まり、獣のように飛びかかる。




だが──




ヨゲンは彼の両腕を引きちぎり、その頭を地に叩きつけた。




「もう……遊びは終わりだ」




黒星のように光るその瞳が、全てを終わらせる。




ヨゲンの手が、ヒュイツィロポチトリの壊れた武器の上に伸びる。




──ギリ……




その拳が握られると、武器は塵と化した。




その中から現れたのは、結晶のような石──


そしてその中心には、小さな太陽。


脈打つ、永遠の力。




「……それで何をするつもりだ……?」




ヒュイツィロポチトリが、血まみれの口で問う。




「お前に話す必要はない」


ヨゲンの声は冷たく、平坦だった。




「だが──これは、“真実”への一歩。


そして新しい世界への……始まりだ。


新たなる神の、誕生だよ」




その言葉に、ヒュイツィロポチトリの記憶が揺れる。




(……あの時の……あの違和感……)




「──そうか……やはり、そうだったのか……」




「じゃあ──さよならだ」




ヨゲンは光の粒子となって消える。




静寂が、空間を覆った。




瀕死の兄弟。


失われた太陽の石。




そして──




本当の終焉が、今……始まった。




「……俺たちは、負けたんだな」


ヒュイツィロポチトリがかすれた声で笑った。痛みによじれたその笑みは、どこか穏やかだった。




「……傲慢だった……」


テスカトリポカが、息も絶え絶えに応じた。




「……ああ……」




一瞬の静寂が訪れる。


血が地面に滴る音だけが、沈黙を満たしていた。




「……なあ、どうしてこんなことをしたんだ?」


死にゆくジャガーが、震える声で尋ねた。




ヒュイツィロポチトリは答えなかった。


その瞳は、わずかに動き、かつて自らが支配していた太陽の空を仰いだ。




「……お前が、その座にふさわしいと思ってたんだよ」


やがて、呟くように言葉を紡ぐ。


「何度も何度も、頭の中で繰り返してた……。次の儀式で、お前を推薦しようって……。でもな、ある日を境に……全てが変わったんだ」




その声は、遠ざかる意識と共に、過去の記憶へと世界を染め上げる。




──現れたのは、完璧な装いに身を包んだ男たち。


甘い言葉。腐った笑顔。


暗い部屋に集まり、契約書、印、法、そして……その裏側を差し出す。




「最初はただの政務だと思ってた……税、外交、儀礼……。


でも……次に語られたのは、“真の支配”だった。


王座の裏の王……エルダウッド家の存在……」




それは、地獄への堕落だった。




──血塗られた宴。


──泣き叫ぶ子供たち。


──隠された奴隷制。


──民族の消滅。


──知識の焼却。




「……わかってたさ。全部、おかしいって……でも止められなかった」




彼は背を向け、背中を見せる。


そこには、生々しく残る深い傷跡。




「……これが、最初の“警告”だった」




そして──


「……彼女が……現れた」




──ソチケツァル。


床に横たわる少女。


その小さな命は、すでに絶たれていた。




「……何度も、王国を救おうとした。


でも……無理だった。


奴らはすでに全てを握っていた」




「……今日まで、見てきたんだ……


誰にも見せたくないような地獄を」




「……あの日……選ばれたことを、後悔してる」




涙が頬を伝う。




「一秒ごとに、あの日を呪ってる……


俺が、“太陽神”になった、あの日を──」




テスカトリポカを見つめる。




「……でもな……


だからこそ、お前には……こんな目に、遭ってほしくなかった」




弟の目が、大きく見開かれる。




喉が詰まり、言葉にならない。




「……間違ってたのかもな」


ヒュイツィロポチトリが苦笑する。


「俺は……王国を滅ぼし……


そして、俺たち兄弟の……最期を招いた」




「……守りたかっただけなのに……」




涙が彼の息を奪う。




「ごめんな……弟よ……


愛してるよ……」




「謝るなッ!!」


テスカトリポカが泣き叫ぶ。


「謝るなよ!!謝るべきは俺だ!!」




顔が崩れ落ち、声が震える。




「お前は……俺を守ろうとしてただけじゃねぇか……


俺の方が……俺の方が、謝らなきゃいけねぇんだよ!!」




嗚咽の中で、言葉がちぎれる。




「ごめん……ごめん……ごめんなさい……!」




静寂が落ちる。


彼の嗚咽だけが、世界に響いていた。




──その時だった。




「……ごめんね」


聞き慣れない、けれど……どこか懐かしい声が届いた。




テスカトリポカの心が止まる。




絶望が、顔を塗り潰す。




長い紫の髪を持つ男が、ヒュイツィロポチトリの遺体を静かに見つめていた。




「でも……まだ終わっちゃいない」




「……なに?」




「まだ……できることがある」


男はそう言いながら、ゆっくりと顔を上げた。




わずかに光る、希望の火。




その顔が──明らかになる。




──ゼロ・ヨミ。




「……そのためには、君の力が必要なんだ」




──ドォン!!




二つの巨神がぶつかり合うような衝撃。




場面は戦場の反対側へ。




シュンとヨゲン。


両者が放った拳が空間を裂き、空気が血を流すような衝撃波が吹き荒れる。




「……やけに自信あるじゃねぇか、ヨゲン」


シュンが肩についた埃を払いながら呟く。




「お前もな」


ヨゲンは冷たく笑う。


「でも……パペットにボコボコにされたんだろ?」




「まぁ、そういうことにしとこうか」


シュンが軽く笑った。




ヨゲンの視線が鋭くなる。




「……その仮面、俺の前じゃ通用しない。


本気を出さないなら、殺すぞ、シュン」




シュンは面倒くさそうに頭をかく。




「……お前、本当に……耐えられるのか?」




「……は?」




シュンはため息をついた。




「……ごめんな。


お前は──」




その瞳が、ゆっくりと見開かれる。




「弱いんだよ」




その瞬間──




説明不能の圧が、ヨゲンに襲いかかる。




膝が、勝手に折れる。




肺が、呼吸を忘れる。




──理不尽な、無形の、無限の力。




それは存在してはならない何か。




だが、ほんの一瞬のことだった。




──ドォォォン!!!




大地が悲鳴を上げる音。


シュンが目線をそらす。




「……やっぱり、こうなると思ったよ……


これが、本当の目的か?」




彼方の地平線。




そこには、無数の戦艦が上陸していた。




金色の旗が、風にたなびく。




そして──


そこに現れたのは、光をまとう天使。




長い金髪に、神聖な光を帯びた姿。




その隣には、熾天使ラファエル。




──戦いは終わっていなかった。




始まりにすぎなかったのだ。

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