私たちを動かす糸は、全てが目に見えるわけではありません。恐怖から生まれたものもあれば、罪悪感から生まれたものもあります…しかし、最も危険なのは、私たちが正しいことをしていると思い込み、自ら織りなす糸なのです。
自分の大義が正しいと信じたとき、人はどこまで行けるだろうか?
そして、他者を救うために、自分が滅ぼすと約束した怪物そのものとなった彼は、どこまで堕ちていくのか?
舞台は整いました。
幕が下りた。
そして忘れ去られた過去の闇から、新たな作品が生まれる...
各俳優がすでに自分の役柄を選んでいる演劇では、
そして、あらゆる決断が終わりか再生を意味することになるのです。
これは簡単な任務ではありません。
それは魂の対決です。
壊れた真実の迷宮、
破れたマスクの…
ついに自ら糸を切った操り人形たち
————————————————————————————————————————————————————————————————
空気は、重かった。
死と血の臭いが、肌にまとわりつくように染みついていた。
テノチティトランは、もはや都市ではなかった。
──それは大地に横たわる、燃え尽きた死体だった。
炎はなおも瓦礫を照らし、赤く染まった顔には兵士も民間人も区別はない。
年齢も、立場も、今となっては何の意味もない。
静寂だけが支配するこの場に、時折、足音や呻き声が割り込む。
それすらも神聖な祈りのように聞こえるほどに、沈黙は深かった。
シュンは焦げた遺体を越えて進み、王の前に立った。
その瞳は、未だ消えぬ炎よりも燃えていた。
「……知ってたんだろ?」
その声は静かだったが、震える手が怒りと痛みを代弁していた。
「なぜ、もっと兵を出さなかった? なぜ……こんな地獄を許したんだ?」
最後の言葉は、かすれた。
「……あのとき、すべて話してくれていれば……こんな無駄な死は防げたはずなんだ」
しばしの沈黙。
それは、異なる痛みを背負った者同士だけが共有できる、重い沈黙だった。
エスカトスは、すでにその代償を受け入れた者のように、穏やかに答えた。
「……必要な犠牲だった。お前もそれを理解しているはずだ」
「ブラック・ライツは、すべてを見ている。特務部隊も、十二家も、完全に安全とは言えなかった。
もし大きな動きをすれば……あいつらは絶対に姿を現さなかった」
「奴らを仕留めるには、これしかなかった。
……そしてお前も、それを知っていたからこそ、今ここにいるのではないか?」
シュンは視線を逸らした。
口をつぐみ、喉の奥までこみ上げた罵倒を飲み込んだ。
遠く、応急テントが広がっていた。
雑多な布で作られた仮設の天幕、血に染まった包帯、途切れた悲鳴。
その中をアフロディテが静かに歩く。
まるで自らの責任を確かめるように。
「……本当に、ひどい有様ね」
低く、苦しげな声だった。
ティレシアスは地図と包帯の山に囲まれ、うなずいた。
「兵士も市民も、万単位で死んだ。
そして結局……何も掴めなかった。奴らは逃げた」
近くでアレックスボルトはうつむいていた。
血のにじむ拳を固く握りしめながら。
(……掴んでいたのに)
(あと少しだったのに……)
(俺は、なんて無力なんだ……)
「……あの子は?」とヨーサが震える声で問う。
「大丈夫だ」
ティレシアスが昏睡状態のエリスを示しながら応じた。
「あと一歩遅ければ……助からなかった」
ヨーサは息を吐いた。
その場に崩れ落ちそうになるほど、張り詰めていた身体が崩れた。
そして、涙が一筋、二筋と零れ落ちる。
「……次は、絶対に勝つ」
ティレシアスは黙って微笑んだ。
言葉のいらない、父のような微笑みだった。
少し離れた場所で、ゼフはヨウヘイを見つめていた。
血塗れの制服もそのままに、彼は肩で息をしていた。
「……ズタボロだな」
「……ジパクナに……完敗だった」
二人はロワの包帯だらけの姿を見やった。
「大丈夫かな……?」
「……あの人は、俺たちよりずっと強い。きっと大丈夫だよ」
沈黙のなかに立ち尽くす男がいた。
テスカトリポカ──何も語らない、虚ろな目。
「……何か言ったらどうなんだ」
ケツァルコアトルの声には怒りと、かすかな哀しみが混ざっていた。
「……あいつは、お前を……あんなにも──」
テスカトリポカは、ゆっくりとうなずいた。
「……そうだな」
「俺には……お前を裁く資格はない」
「お前を……憎むことすら、できない」
「……もし俺がお前の立場だったら、きっと同じことをした」
「だから……ただ一つだけ、言わせてくれ」
「兄弟の犠牲を……無駄にするな」
テスカトリポカの顔に、わずかな笑みが浮かんだ。
それは、救いではない。
──諦めか、それとも赦しに似た何かだった。
少し離れたその場所。
エデンは、動かずに立っていた。
その目の前には、瀕死のタカハシ。
暗闇が彼を包んでいた。
心の闇が、形を持ったかのように。
(まただ……)
(また俺のせいで……)
(こんなにも多くの人が……)
(イサク……イース……ゲン……ユキ……シュウ……シュン……テンザク……ヘラ……)
(……俺なんか、いなくなればよかった)
その胸に、黒くて重いエネルギーが巻きつき始めていた。
まるで罪の意識という蛇が、彼を締め上げているかのように。
その時──
誰かが背中に、そっと手を置いた。
それは強くない。
けれど確かな“存在”だった。
振り返ると、そこにはシュンがいた。
真剣さと優しさを混ぜた眼差しで、彼を見つめていた。
「……なんでそんな死にそうな顔してんだよ」
エデンはゆっくりと顔を上げた。
まだ息をすることすら信じられないような表情で。
「……どうして……お前はそんなに……平然としていられるんだ……?」
「さあな」
シュンは軽く肩をすくめた。
「……また守れなかった……」
「夢があって……家族がいて……未来があった人たちを……」
「……俺が、奪ったんだ」
「……お前、成長したな」
シュンは微笑んだ。
「……なに?」
「今のその言葉……初めて“他人”のことを語ったじゃないか」
「それだけで……大きな一歩だよ、バカ」
エデンはまばたきした。
何かが、内側で少しだけ動いた。
「……いつか……みんな、俺を許してくれるかな」
「……誰のことだ?」
「……グレク、ノーク、サンタイ……そして、今日の皆」
「……もう俺の約束なんて、意味がない気がしてきた。
死んでた方が……良かったのかもな……あの日……」
シュンの表情が強張った。
「……それだけは二度と言うな」
エデンは驚いたように目を見開く。
「……本気でそう思ってんのか?」
「……パペットに立ち向かった兵たちは、自分に“力”がないと分かってた。
それでも戦ったのは、“力を持つ誰か”が来てくれると……信じてたからだ」
風が強くなった。
「だから言えよ、エデン」
「──これから、お前はどうするつもりだ?」
風の音が、灰を巻き上げて瓦礫の上をすべっていく。
エデンとシュンは、傷だらけの地平線を前に、ただ黙って立っていた。
沈黙の中、エデンは目を伏せる。罪悪感と空虚感に囚われたまま。
「でも……彼らはもう……」
「まだ終わってない」
シュンの声が鋭く空気を切った。
エデンは顔を上げた。戸惑いを浮かべながら。
「どういう意味だ?」
「外に出ろ。すべて話す」
言葉を交わすことなく、二人は歩き出した。
テノチティトランの廃墟が、大地に刻まれた傷痕のように広がる。
風は強く、誰の声も届かない世界。
そこには、彼ら二人だけがいた。
シュンが立ち止まり、ポケットから何かを取り出した。
金属の光を放つ小さな装置が、かすかに点滅している。
エデンは、それを見てすぐに理解した。
「それは……」
「……追跡装置だ」シュンが静かにうなずいた。
「これは……彼らの死を無駄にしないための、唯一のチャンスだ」
エデンの心臓が激しく脈打った。
「なぜ……もっと早く言わなかった? それがあれば、僕たちは──!」
「言えば、誰かに壊されてた」
「あるいは奪われてた。だから……今この瞬間まで、君以外には誰にも話していない」
その声は、悲痛ではなかった。
すでにすべての代償を覚悟した人間の声だった。
「どんな犠牲があろうと、俺は構わなかった。やらなきゃいけないことだった」
「だが、お前を除いて進むことはできなかった」
「……お前が、どれだけこの戦いに全てを懸けてるか知ってるからだ」
「だから、選んでくれ」
シュンの目が、エデンを見据える。
怒りではない。ただ、深い問いかけ。
「逃げるのか?」
「それとも、まだ戦うのか?」
「──もう戦えない者たちのために」
エデンはごくりと唾を飲んだ。
背中を汗が伝う。
脚が震えていた。
──恐怖。
だが、その奥に、確かにあった。
──決意。
「無理強いはしない」
「だが……迷ってる時間はない」
「奴らはすでに……俺の感知範囲を離れようとしてる」
「そうなれば、追跡も不可能だ」
「ぼ、僕は──……」
───
深い森の中、暗闇が音もなく流れていた。
枝は走る影たちに触れることもなく、ただ後ろに流れていく。
ブラック・ライツの面々は、影に溶け込むように移動していた。
「クソ……あいつら、退路を全部塞ぎやがった……」
ウィロクが唸るように吐き捨てる。
「しかも……追ってきてる」
ヨゲンは後ろを見ずに走っていた。
「構わない。すぐに感知範囲を抜ける。
一度外に出れば、もう誰にも追えない」
「だが……」ビーストが周囲を警戒しながら声を漏らす。
「まるで……俺たちの動きが完全に読まれてるみたいだ」
その言葉が、重く空気に沈んだ。
……そのときだった。パペットが突然、足を止めた。
目を見開き、何かに気づいたかのように。
「……なに?」ヨゲンが目を細める。
パペットは応えない。
ただ、地面を見つめながら、汗を浮かべていた。
「まさか……そんなことが……」
───
【回想】
「ハハハ! もっと! 楽しませてくれよォォ!!」
叫びながら、パペットは糸を狂ったように操っていた。
シュンはその猛攻をギリギリで捌いていた。
ある瞬間、パペットが腕を交差させ、殺傷力の高い一撃を放つ。
シュンはそれをかわし、連続の突きで反撃。一本が命中した。
「この野郎ォ!!」
怒りに叫びながらパペットが後退したその瞬間──
シュンの手から放たれたエネルギーの欠片が、パペットの傷口に命中する。
───
【回想終わり】
「……あれは……」
パペットは、胸に手を当てて呟く。
「殺すための攻撃じゃなかった……」
「……何かを……仕込んだんだ……」
「──センサーだ」
凍りつく空気。
ヨゲンをはじめ、全員の顔色が青ざめる。
「……まさか……俺たち、あんた経由で……追跡されてんのか?」
パペットの顔が、悔しさに歪む。
「……あの野郎……シュンめ……!」
空気を切り裂くような緊張感が辺りを包んでいた。
霧に霞む森の中、ブラック・ライツの一団は音もなく進んでいた。
足跡をほとんど残さず、気配すら感じさせない──だが、それでも彼らは気づいていた。
……追いつかれている。
「クソが……」
ヨゲンが小さく唸るように言った。
「やつら……もう近い」
「リーダー」
不意に、パペットが静かな声で口を開いた。
「……なんだ?」
「ここで別れましょう」
その言葉に、ヨゲンは眉をひそめた。
「は? 何を言って──」
振り向いたそのとき。
ヨゲンは言葉を失った。
そこには、いつも命令に忠実だったはずのパペットが、
まるで"背く"ような……
妙な笑みを浮かべて立っていた。
「このままじゃ、俺たち……任務に失敗する」
「でも、まだ可能性はある。勝ち筋は残ってる」
その声には焦りも迷いもない。
計算され尽くした確信と……奇妙な熱意すら感じられた。
「ふざけるな、パペット。お前──」
「ありがとう、ヨゲン」
パペットは優しい口調で言った。
「でも、ここからは……俺の楽しみの時間だ」
静寂。
手を軽く上げ、ふざけたような笑みを浮かべる。
「夢、叶うといいな。友よ」
ヨゲンは答える声に、かすかに敬意を滲ませた。
「……またな。パペット」
「地獄で会おうぜ、相棒」
次の瞬間、パペットの姿は霧の中に消えていた。
まるで、闇に帰っていく悪魔のように。
───
すぐ近く、偵察隊が茂みをかき分けて駆けていた。
目印を追い、全速力で。
「隊長!!」
一人の隊員がシュンに駆け寄ってきた。
「目標が進路を変更しました! グループから離れたようです!」
シュンの顔に、戦意と確信が混ざったような笑みが浮かぶ。
「……気づいたか」
風が彼の桃色の髪をなびかせる。
拳に力が入る。
「追え。分裂したなら、今がチャンスだ」
「了解ッ!!」
───
遠く離れた野営地──
混乱の痕が色濃く残るその拠点に、息を切らした兵士が飛び込んだ。
「陛下!!」
エスカトスは地図に目を落としたまま、反応する。
「何が起きた?」
「シュン様が……エデンを連れて脱出しました。
ブラック・ライツを追っていると……推測されます!」
エスカトスは、まばたきひとつせず答えた。
「……関係ない」
「は、はい!? しかしシュン様でも──彼らの戦力は尋常では──」
「……」
しばらく黙ったまま、兵士を見つめる。
その瞳にあったのは、哀れみと諦め。
やがて、ぽつりと口を開く。
「……お前は、本当にあいつを理解してないな、シュン」
「……大嘘つきが」
顔を伏せて地図を閉じる。
「やらせてやれ。あの化け物を……鎖で繋ぐことなんてできないさ」
「今は負傷者の救助を最優先しろ。そして……万が一に備えて部隊を一つ動かしておけ」
「か、かしこまりました!」
兵士が敬礼して去った後、エスカトスは深くため息を吐いた。
「やれやれ……本当に、お前は捕まらんな、怪物め」
───
森の奥、根と岩が絡み合う道を
シュンとエデンが全力で駆け抜けていた。
空は葉に覆われ、ほとんど見えない。
二人は、ある洞の前でぴたりと足を止めた。
その入り口は、苔と闇に覆われていた。
「状況は?」
シュンが問いかける。
「ここで感知が止まりました」
特殊部隊の兵が、追跡タブレットを手に近づいた。
「この場所は……政府の旧研究所だと記録されています。
もう何年も前に放棄された場所です」
シュンの表情に、険しい笑みが浮かんだ。
「……クソ野郎め。面白いゲームを用意してくれたな」
隣のエデンが、一歩前へ出る。
その手には剣。
そしてその眼差し──
もう、あの頃のエデンではなかった。
鋭く、覚悟の宿る視線。
「ありがとう、助かった」
シュンは兵に声をかける。
「ここから先は……俺たちだけで行く」
「かしこまりました、隊長」
シュンはエデンのほうを向く。
「覚悟はいいか?」
エデンは唾を飲み込む。
「……多分な」
「……よし。行くぞ、バカ」
「……ああ、ピンク頭」
二人が放つ気が、周囲の葉をざわめかせる。
森の静寂が、破られた。
空気が変わった。
──その洞窟の奥。
誰かが、静かに彼らを見下ろしていた。
その目は、炭のように赤く輝く。
「……覚悟するんだな」
パペットが、口元を歪めて呟いた。
「……最高のショーを始めようか」
不気味な笑い声が、石の壁に吸い込まれていく。
その足元には──
灰色の髪の、動かぬ人形が転がっていた。