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第88章:傀儡の使命

私たちを動かす糸は、全てが目に見えるわけではありません。恐怖から生まれたものもあれば、罪悪感から生まれたものもあります…しかし、最も危険なのは、私たちが正しいことをしていると思い込み、自ら織りなす糸なのです。


自分の大義が正しいと信じたとき、人はどこまで行けるだろうか?


そして、他者を救うために、自分が滅ぼすと約束した怪物そのものとなった彼は、どこまで堕ちていくのか?


舞台は整いました。


幕が下りた。


そして忘れ去られた過去の闇から、新たな作品が生まれる...


各俳優がすでに自分の役柄を選んでいる演劇では、


そして、あらゆる決断が終わりか再生を意味することになるのです。


これは簡単な任務ではありません。


それは魂の対決です。


壊れた真実の迷宮、


破れたマスクの…


ついに自ら糸を切った操り人形たち


————————————————————————————————————————————————————————————————


空気は、重かった。


死と血の臭いが、肌にまとわりつくように染みついていた。


テノチティトランは、もはや都市ではなかった。




──それは大地に横たわる、燃え尽きた死体だった。




炎はなおも瓦礫を照らし、赤く染まった顔には兵士も民間人も区別はない。


年齢も、立場も、今となっては何の意味もない。


静寂だけが支配するこの場に、時折、足音や呻き声が割り込む。


それすらも神聖な祈りのように聞こえるほどに、沈黙は深かった。




シュンは焦げた遺体を越えて進み、王の前に立った。


その瞳は、未だ消えぬ炎よりも燃えていた。




「……知ってたんだろ?」


その声は静かだったが、震える手が怒りと痛みを代弁していた。


「なぜ、もっと兵を出さなかった? なぜ……こんな地獄を許したんだ?」




最後の言葉は、かすれた。




「……あのとき、すべて話してくれていれば……こんな無駄な死は防げたはずなんだ」




しばしの沈黙。


それは、異なる痛みを背負った者同士だけが共有できる、重い沈黙だった。




エスカトスは、すでにその代償を受け入れた者のように、穏やかに答えた。




「……必要な犠牲だった。お前もそれを理解しているはずだ」




「ブラック・ライツは、すべてを見ている。特務部隊も、十二家も、完全に安全とは言えなかった。


もし大きな動きをすれば……あいつらは絶対に姿を現さなかった」




「奴らを仕留めるには、これしかなかった。


……そしてお前も、それを知っていたからこそ、今ここにいるのではないか?」




シュンは視線を逸らした。


口をつぐみ、喉の奥までこみ上げた罵倒を飲み込んだ。




遠く、応急テントが広がっていた。


雑多な布で作られた仮設の天幕、血に染まった包帯、途切れた悲鳴。




その中をアフロディテが静かに歩く。


まるで自らの責任を確かめるように。




「……本当に、ひどい有様ね」




低く、苦しげな声だった。




ティレシアスは地図と包帯の山に囲まれ、うなずいた。




「兵士も市民も、万単位で死んだ。


そして結局……何も掴めなかった。奴らは逃げた」




近くでアレックスボルトはうつむいていた。


血のにじむ拳を固く握りしめながら。




(……掴んでいたのに)


(あと少しだったのに……)


(俺は、なんて無力なんだ……)




「……あの子は?」とヨーサが震える声で問う。




「大丈夫だ」


ティレシアスが昏睡状態のエリスを示しながら応じた。


「あと一歩遅ければ……助からなかった」




ヨーサは息を吐いた。


その場に崩れ落ちそうになるほど、張り詰めていた身体が崩れた。


そして、涙が一筋、二筋と零れ落ちる。




「……次は、絶対に勝つ」




ティレシアスは黙って微笑んだ。


言葉のいらない、父のような微笑みだった。




少し離れた場所で、ゼフはヨウヘイを見つめていた。


血塗れの制服もそのままに、彼は肩で息をしていた。




「……ズタボロだな」




「……ジパクナに……完敗だった」




二人はロワの包帯だらけの姿を見やった。




「大丈夫かな……?」




「……あの人は、俺たちよりずっと強い。きっと大丈夫だよ」




沈黙のなかに立ち尽くす男がいた。


テスカトリポカ──何も語らない、虚ろな目。




「……何か言ったらどうなんだ」


ケツァルコアトルの声には怒りと、かすかな哀しみが混ざっていた。




「……あいつは、お前を……あんなにも──」




テスカトリポカは、ゆっくりとうなずいた。




「……そうだな」




「俺には……お前を裁く資格はない」


「お前を……憎むことすら、できない」


「……もし俺がお前の立場だったら、きっと同じことをした」




「だから……ただ一つだけ、言わせてくれ」




「兄弟の犠牲を……無駄にするな」




テスカトリポカの顔に、わずかな笑みが浮かんだ。


それは、救いではない。


──諦めか、それとも赦しに似た何かだった。




少し離れたその場所。


エデンは、動かずに立っていた。


その目の前には、瀕死のタカハシ。




暗闇が彼を包んでいた。


心の闇が、形を持ったかのように。




(まただ……)




(また俺のせいで……)




(こんなにも多くの人が……)




(イサク……イース……ゲン……ユキ……シュウ……シュン……テンザク……ヘラ……)




(……俺なんか、いなくなればよかった)




その胸に、黒くて重いエネルギーが巻きつき始めていた。


まるで罪の意識という蛇が、彼を締め上げているかのように。




その時──




誰かが背中に、そっと手を置いた。




それは強くない。


けれど確かな“存在”だった。




振り返ると、そこにはシュンがいた。


真剣さと優しさを混ぜた眼差しで、彼を見つめていた。




「……なんでそんな死にそうな顔してんだよ」




エデンはゆっくりと顔を上げた。


まだ息をすることすら信じられないような表情で。




「……どうして……お前はそんなに……平然としていられるんだ……?」




「さあな」


シュンは軽く肩をすくめた。




「……また守れなかった……」




「夢があって……家族がいて……未来があった人たちを……」




「……俺が、奪ったんだ」




「……お前、成長したな」


シュンは微笑んだ。




「……なに?」




「今のその言葉……初めて“他人”のことを語ったじゃないか」


「それだけで……大きな一歩だよ、バカ」




エデンはまばたきした。


何かが、内側で少しだけ動いた。




「……いつか……みんな、俺を許してくれるかな」




「……誰のことだ?」




「……グレク、ノーク、サンタイ……そして、今日の皆」




「……もう俺の約束なんて、意味がない気がしてきた。


死んでた方が……良かったのかもな……あの日……」




シュンの表情が強張った。




「……それだけは二度と言うな」




エデンは驚いたように目を見開く。




「……本気でそう思ってんのか?」




「……パペットに立ち向かった兵たちは、自分に“力”がないと分かってた。


それでも戦ったのは、“力を持つ誰か”が来てくれると……信じてたからだ」




風が強くなった。




「だから言えよ、エデン」




「──これから、お前はどうするつもりだ?」




風の音が、灰を巻き上げて瓦礫の上をすべっていく。




エデンとシュンは、傷だらけの地平線を前に、ただ黙って立っていた。


沈黙の中、エデンは目を伏せる。罪悪感と空虚感に囚われたまま。




「でも……彼らはもう……」




「まだ終わってない」




シュンの声が鋭く空気を切った。




エデンは顔を上げた。戸惑いを浮かべながら。




「どういう意味だ?」




「外に出ろ。すべて話す」




言葉を交わすことなく、二人は歩き出した。


テノチティトランの廃墟が、大地に刻まれた傷痕のように広がる。


風は強く、誰の声も届かない世界。




そこには、彼ら二人だけがいた。




シュンが立ち止まり、ポケットから何かを取り出した。


金属の光を放つ小さな装置が、かすかに点滅している。




エデンは、それを見てすぐに理解した。




「それは……」




「……追跡装置だ」シュンが静かにうなずいた。


「これは……彼らの死を無駄にしないための、唯一のチャンスだ」




エデンの心臓が激しく脈打った。




「なぜ……もっと早く言わなかった? それがあれば、僕たちは──!」




「言えば、誰かに壊されてた」


「あるいは奪われてた。だから……今この瞬間まで、君以外には誰にも話していない」




その声は、悲痛ではなかった。


すでにすべての代償を覚悟した人間の声だった。




「どんな犠牲があろうと、俺は構わなかった。やらなきゃいけないことだった」


「だが、お前を除いて進むことはできなかった」




「……お前が、どれだけこの戦いに全てを懸けてるか知ってるからだ」




「だから、選んでくれ」




シュンの目が、エデンを見据える。


怒りではない。ただ、深い問いかけ。




「逃げるのか?」


「それとも、まだ戦うのか?」


「──もう戦えない者たちのために」




エデンはごくりと唾を飲んだ。


背中を汗が伝う。


脚が震えていた。




──恐怖。


だが、その奥に、確かにあった。




──決意。




「無理強いはしない」


「だが……迷ってる時間はない」


「奴らはすでに……俺の感知範囲を離れようとしてる」


「そうなれば、追跡も不可能だ」




「ぼ、僕は──……」




───




深い森の中、暗闇が音もなく流れていた。




枝は走る影たちに触れることもなく、ただ後ろに流れていく。


ブラック・ライツの面々は、影に溶け込むように移動していた。




「クソ……あいつら、退路を全部塞ぎやがった……」




ウィロクが唸るように吐き捨てる。


「しかも……追ってきてる」




ヨゲンは後ろを見ずに走っていた。




「構わない。すぐに感知範囲を抜ける。


一度外に出れば、もう誰にも追えない」




「だが……」ビーストが周囲を警戒しながら声を漏らす。


「まるで……俺たちの動きが完全に読まれてるみたいだ」




その言葉が、重く空気に沈んだ。




……そのときだった。パペットが突然、足を止めた。




目を見開き、何かに気づいたかのように。




「……なに?」ヨゲンが目を細める。




パペットは応えない。


ただ、地面を見つめながら、汗を浮かべていた。




「まさか……そんなことが……」




───




【回想】




「ハハハ! もっと! 楽しませてくれよォォ!!」




叫びながら、パペットは糸を狂ったように操っていた。


シュンはその猛攻をギリギリで捌いていた。




ある瞬間、パペットが腕を交差させ、殺傷力の高い一撃を放つ。


シュンはそれをかわし、連続の突きで反撃。一本が命中した。




「この野郎ォ!!」




怒りに叫びながらパペットが後退したその瞬間──




シュンの手から放たれたエネルギーの欠片が、パペットの傷口に命中する。




───




【回想終わり】




「……あれは……」




パペットは、胸に手を当てて呟く。




「殺すための攻撃じゃなかった……」




「……何かを……仕込んだんだ……」




「──センサーだ」




凍りつく空気。




ヨゲンをはじめ、全員の顔色が青ざめる。




「……まさか……俺たち、あんた経由で……追跡されてんのか?」




パペットの顔が、悔しさに歪む。




「……あの野郎……シュンめ……!」




空気を切り裂くような緊張感が辺りを包んでいた。




霧に霞む森の中、ブラック・ライツの一団は音もなく進んでいた。


足跡をほとんど残さず、気配すら感じさせない──だが、それでも彼らは気づいていた。




……追いつかれている。




「クソが……」


ヨゲンが小さく唸るように言った。


「やつら……もう近い」




「リーダー」




不意に、パペットが静かな声で口を開いた。




「……なんだ?」




「ここで別れましょう」




その言葉に、ヨゲンは眉をひそめた。




「は? 何を言って──」




振り向いたそのとき。


ヨゲンは言葉を失った。




そこには、いつも命令に忠実だったはずのパペットが、


まるで"背く"ような……


妙な笑みを浮かべて立っていた。




「このままじゃ、俺たち……任務に失敗する」


「でも、まだ可能性はある。勝ち筋は残ってる」




その声には焦りも迷いもない。


計算され尽くした確信と……奇妙な熱意すら感じられた。




「ふざけるな、パペット。お前──」




「ありがとう、ヨゲン」




パペットは優しい口調で言った。


「でも、ここからは……俺の楽しみの時間だ」




静寂。




手を軽く上げ、ふざけたような笑みを浮かべる。




「夢、叶うといいな。友よ」




ヨゲンは答える声に、かすかに敬意を滲ませた。




「……またな。パペット」




「地獄で会おうぜ、相棒」




次の瞬間、パペットの姿は霧の中に消えていた。




まるで、闇に帰っていく悪魔のように。




───




すぐ近く、偵察隊が茂みをかき分けて駆けていた。


目印を追い、全速力で。




「隊長!!」




一人の隊員がシュンに駆け寄ってきた。




「目標が進路を変更しました! グループから離れたようです!」




シュンの顔に、戦意と確信が混ざったような笑みが浮かぶ。




「……気づいたか」




風が彼の桃色の髪をなびかせる。




拳に力が入る。




「追え。分裂したなら、今がチャンスだ」




「了解ッ!!」




───




遠く離れた野営地──


混乱の痕が色濃く残るその拠点に、息を切らした兵士が飛び込んだ。




「陛下!!」




エスカトスは地図に目を落としたまま、反応する。




「何が起きた?」




「シュン様が……エデンを連れて脱出しました。


ブラック・ライツを追っていると……推測されます!」




エスカトスは、まばたきひとつせず答えた。




「……関係ない」




「は、はい!? しかしシュン様でも──彼らの戦力は尋常では──」




「……」




しばらく黙ったまま、兵士を見つめる。


その瞳にあったのは、哀れみと諦め。




やがて、ぽつりと口を開く。




「……お前は、本当にあいつを理解してないな、シュン」


「……大嘘つきが」




顔を伏せて地図を閉じる。




「やらせてやれ。あの化け物を……鎖で繋ぐことなんてできないさ」




「今は負傷者の救助を最優先しろ。そして……万が一に備えて部隊を一つ動かしておけ」




「か、かしこまりました!」




兵士が敬礼して去った後、エスカトスは深くため息を吐いた。




「やれやれ……本当に、お前は捕まらんな、怪物め」




───




森の奥、根と岩が絡み合う道を


シュンとエデンが全力で駆け抜けていた。




空は葉に覆われ、ほとんど見えない。




二人は、ある洞の前でぴたりと足を止めた。


その入り口は、苔と闇に覆われていた。




「状況は?」


シュンが問いかける。




「ここで感知が止まりました」




特殊部隊の兵が、追跡タブレットを手に近づいた。




「この場所は……政府の旧研究所だと記録されています。


もう何年も前に放棄された場所です」




シュンの表情に、険しい笑みが浮かんだ。




「……クソ野郎め。面白いゲームを用意してくれたな」




隣のエデンが、一歩前へ出る。


その手には剣。




そしてその眼差し──


もう、あの頃のエデンではなかった。




鋭く、覚悟の宿る視線。




「ありがとう、助かった」


シュンは兵に声をかける。


「ここから先は……俺たちだけで行く」




「かしこまりました、隊長」




シュンはエデンのほうを向く。




「覚悟はいいか?」




エデンは唾を飲み込む。




「……多分な」




「……よし。行くぞ、バカ」




「……ああ、ピンク頭」




二人が放つ気が、周囲の葉をざわめかせる。




森の静寂が、破られた。




空気が変わった。




──その洞窟の奥。


誰かが、静かに彼らを見下ろしていた。




その目は、炭のように赤く輝く。




「……覚悟するんだな」




パペットが、口元を歪めて呟いた。




「……最高のショーを始めようか」




不気味な笑い声が、石の壁に吸い込まれていく。




その足元には──




灰色の髪の、動かぬ人形が転がっていた。

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