時々、呼吸するだけでは生きている実感が得られないことがあります。
生きるということは、ただ殴ったり、動いたりすることではなく、決断の重荷、癒えない傷、そして唇で震えている約束の重荷を背負うことなのです。
生きるということは、すべてが逃げろと叫んでいるときに留まることだ。
虚空を見つめながら…前進するのです。
それは、たとえ世界中が信頼しなくなったとしても、他者を信頼することです。
それは失敗し、壊れ、それでも濡れた目で、しかししっかりとした視線で頭を上げることです。
強さと無敵さを混同する人がいる。しかし、本当の強さは…苦しみから生まれます。
それは、諦めることができたのに諦めないことを選択した瞬間から生まれます。
憎むこともできたのに、愛することを選んだその瞬間から。
あなたを破滅させるかもしれないその記憶を、あなたは受け入れることにします。
生きるということは、多くの場合、自分自身に対する反抗行為です。
それは、あなたがかつて何者だったかを忘れることではなく、それがあなたの将来を決定づけることを許さないことです。
それぞれの傷をしっかりと握りしめながら、「私はまだここにいる」と叫んでいます。
だって、私たちのことを覚えていてくれる人がいる限り…
理由があれば、どんなに小さなことでも…
まだ選択肢はあるのですが…
生きることは私たちにとって最大の勇気の行為となるでしょう。
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「……一体、何が起きたんだ……?」
兵士の一人がつぶやく。
その目は、まだ立ち込める粉塵の中に釘付けだった。
直後に訪れた静寂──
それは、爆発よりも遥かに恐ろしいものだった。
エスカトスは目を細める。
その表情が暗く翳る。
「……まさか……」
「早く探すんだ!!」
シュンが叫ぶ。
獣のように瓦礫へ飛び込んでいく。
「しょ、将軍……!」
兵士の一人が止めようとする。
「今すぐだッ!!」
「は、はいッ!」
シュンの部隊は一斉に動き出した。
手は血で滲み、目は焼けるように赤く染まり、
誰一人、躊躇う者はいなかった。
──痛みも、疑念も、今は不要だ。
シュンの顔が歪む。
怒り、憎しみ、後悔──それらが交錯し、
額には深い皺が刻まれる。
「……どうして……どうしてもっと早く気づかなかった……!」
歯を食いしばる。
「俺は……俺は……!」
呼吸は乱れ、汗が滝のように流れ、
背中を悪夢のような恐怖が這い上がる。
視界が滲み──その時だった。
──手の感触。
柔らかく、けれど力強く、
どこか懐かしい、確かな温もり。
ゆっくりと、首を回す。
そこにいたのは、アフロディーテ。
無言の眼差しに、すべてが詰まっていた。
「私たちも、探すわ」
「だ、だめだ……君たちは……」
声が掠れ、喉が塞がる。
「おい、ピンク髪」
アレクスボルドがニヤリと笑った。
「カッコつけんの、もうやめろって」
「そうだ」
ティレシアスが重い声で続ける。
「今日はもう、十分やっただろう。少しは休め」
シュンは何も言わなかった。
足が震え、呼吸のたびにプライドが崩れていく。
「いつまで、俺たちから逃げ続けるつもりだ?」
アレスの問いに、責める色はない。
けれど、それは真実だった。
もう、立っていることもできない。
膝が崩れ落ちる。
涙はまだ出なかったが、
その身体は限界を超えて震えていた。
「……後は……任せた……」
アフロディーテはうなずく。
「すぐに見つけてみせるわ」
「きっと、戦いの疲れを癒してるだけさ」
アレクスボルドが空を見上げながら言う。
「彼なら、大丈夫だ」
シュウが胸の痛みを押し殺しながら言った。
仲間たちは一人、また一人と静かにうなずく。
その目に映るのは、絶望ではない。
──決意だ。
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少し前のこと──
「全軍、準備せよ!」
65番目の“未知”が声を張る。
「この任務の成否に、世界の未来が懸かっている!」
整列した兵士たちは、まるで戦の像のように背筋を伸ばす。
「一瞬でも失敗すれば……
ブラックライツの力の前に、世界は終わる。
あの少年、エデン・ヨミ……
奴は連中の計画の鍵だ。
彼を奪われれば、我々に勝ち目はない。理解したかッ!」
「はい!!」
だがその時、
65番目の“未知”の視線が横に逸れる。
エスカトス──
(……陛下の本当の狙いは?)
(止める気があるのなら、もっと早く動いているはずだ。
だが、命令は──待て、だった)
(……一体、何を……?)
「──それでは、行け!」
「お待ちください!」
群衆の中から声が飛ぶ。
「……お前は?」
シュウが前へと進み出る。
血に染まった包帯、引きずる足。
「どうか……俺たちを、連れて行ってください」
「何を言ってる? 状況がわかってるのか?
その体で来ても、足手まといになるだけだ!」
「お願いします……」
その瞳に宿る炎は消えなかった。
「エデンは……俺たちの仲間です」
「彼は何度も、命を懸けて俺たちを守ってきた」
「このトーナメントでも……自分を信じられない中で、
それでも俺たちの希望を背負ってくれた」
「お願いです……!」
地面に膝をつく。
鋭い石にぶつかっても、構わず。
「……力にならせてください」
「馬鹿な……」
“未知”が反論しかけたその時──
一人の手が静かに挙がる。
エスカトス。
「いいだろう」
その言葉は、重く、そして温かかった。
「陛下……」
戸惑う将校。
「兵士たちよ。
この若者たちを、命に代えてでも守れ」
「守るべきは、ただ一人の命ではない。
未来そのものだ。理解したか!」
「はい!!」
____________________
現在──
何十という手が動いていた。
仲間。友。兵士──
すべての者が、石を、瓦礫を、一つずつ持ち上げる。
「死なせるもんか……まだ、礼を言ってないんだ……」
シュウの指は血を流しながら、瓦礫を掘り起こしていた。
「俺のことを守ってくれた最初の人間だった……
仲間でもないのに……」
アレクスボルドの動きに迷いはない。
──お前が教えてくれた。
“強さ”とは何かを。
ふと脳裏に浮かぶ。
クラリレオの前に立ちはだかる、エデンの姿。
動じず、決して折れず、恐れを知らない背中。
アフロディーテは、言葉にならない想いを胸に、そっと呟いた。
「出会った時から……ずっと前に進んできたわね」
「誰よりも……努力して、戦って……眠ることさえ惜しんで」
──それは、自慢のためじゃなかった。
──ただ、誰かを守りたかっただけ。
金髪が、優しく風に揺れる。
「気づいてなかったかもしれないけど……
あなたは毎晩、強くなってたのよ」
「愛していたから。救いたかったから」
「……あの日さえも……」
アフロディーテは呟いた。
震える手で、瓦礫をかき分けながら。
____________________
【回想 – グレクの病院、アトランティスとサンタイの出来事の後】
夕陽が病室のカーテンを赤く染めていた。
アフロディーテはベッドの端に座り、ぐったりと肩を落としていた。
その前にいるのは、エデン。
頭を垂れ、包帯に覆われた体。
目の焦点はどこにも合っていない。
「……ごめんなさい」
唐突に、その静けさが破られた。
「え? 何のこと?」
「……救えなかったことを……」
「彼が……俺のせいで死んでしまったことを……」
アフロディーテの眉が寄る。
困惑の色が浮かぶ。
「何を言ってるの、エデン?」
「あなたは……バルドルと、幸せな結末を迎えるべきだった……」
その名を口にした瞬間、彼の声が震える。
女神は凍りついた。
「……もし、俺がノークに行かなければ……きっと、彼は……」
「黙りなさい」
アフロディーテの声が、鋭く切り込んだ。
エデンは顔を上げた。目を丸くしている。
「あなたのせいじゃないわ。何もかも──」
「運命が仕組んだ茶番よ、そうは思わない?」
彼女は窓に目を向ける。
夕陽が彼女の横顔に陰を落とす。
「予言、戦争、流された血──全部、誰かの手のひらの上の戯れ」
「あなたはその中で翻弄された被害者に過ぎない」
次の瞬間、エデンは身を乗り出し、彼女を強く抱きしめた。
アフロディーテは動けなかった。
その突然の抱擁に、言葉を失う。
「エデン……?」
「……本当に、すみませんでした……先生……」
「もう二度と、あなたにあんな思いはさせません……絶対に……」
その声は、子どものものではなかった。
何かを、あまりにも早く失った者の声だった。
アフロディーテは何も言わず、そっと彼の背に手を添え、目を閉じた。
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【現在】
アフロディーテは、粉塵で汚れた自分の手を見つめた。
「いまだに信じられないの……」
「すべてを失ってなお、他人のために生きようとするなんて……」
「あなたを死なせはしない、エデン・ヨミ……
たとえ、この命に代えても」
ティレシアスは瓦礫の上に立ち尽くしていた。
盲目のその目は、虚空を見つめている。
「会えてよかったな、エデン……
君の顔を、一度でも見たかった」
「シュンが弟子を取ったって聞いた時は、正気じゃないと思ったよ」
「こんな子供、あの男の暴力的な訓練に耐えられるわけがないって」
「でも、会ってみて……わかったんだ」
彼の脳裏に蘇るのは──死の島。アレクスボルドの裁きの日。
「君は、自分が罰されることを選んだ。
その少年に未来を掴ませるために」
「裏切られても信じ続けた。敵にさえ、同情を示した」
「……君は、ただの英雄じゃない」
さらに浮かんだ映像──
エデンが港町ポート・ロイヤルの広場に花を手向ける姿。
ティーチの母のために。
「君には、生きていてほしい。世界には、君のような人間が必要だ」
──
ヨヘイは何も言わず、拳を握りしめて瓦礫を掘っていた。
「初めて会った日から、わかってた」
「俺は、君と友達になれないって」
「君の中の“悪魔の力”が、どうしても許せなかった」
「シュンに選ばれたことが、悔しかった。
神々に認められたことが、信じられなかった」
「……弱かったくせに……
それでも、逃げなかった」
血まみれの手で、さらに大きな石を持ち上げる。
「何度も思った。
戦う意志を失ったやつに、何ができるんだって……」
──その時の記憶。
タカハシとの死闘。
エデンの目は、もはやこの世界のものではなかった。
「……ようやく、わかったんだ」
「俺は、嫉妬してたんだ」
「君の目は……燃えてた」
「君は、誰かの希望を背負って戦っていた」
「自分が壊れても、構わずに」
ヨヘイは目を固く閉じた。
「羨ましかった……」
「君みたいになりたかった……」
「命をかけて、世界を変えるような……
そういう存在に……」
「君こそが、“ヒーロー”だよ、エデン」
「だから──絶対に、生きろ」
「君を必要としてる人は……まだ、たくさんいるんだから……」
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アレスは腕を組んだまま、静かに全てを見ていた。
「お前が見せてくれたんだ……
俺が目を背けてきたものを……」
「……アイザックのこと、まだ恨んでるだろうな」
「当然だ。……俺が悪い」
「選んだ道、取った行動……そのすべてに、後悔がある」
「でも、お前のおかげで……娘には、少しだけ“父”らしくなれたと思う」
ため息をひとつ。
「……アイザックにも、同じことが言えたらよかったのに」
「でも、あいつはもう……俺を見ようとしない」
「夜な夜な考えるんだ」
「本当に、あれが正しかったのか? 息子を……引き渡して」
「“善”ってなんだ? それが正義なのか?」
「でも、お前が教えてくれたんだ」
「正しいことが、必ずしも“公平”とは限らないって」
「そして、公平さが……何よりも痛みを伴うってことを」
アレスは汗をぬぐいながら、立ち止まる。
視線の先には、思い出の一場面が浮かぶ。
──ダイナスティ刑務所。
アイザックとエデンが穏やかに語り合っていた。
……アイザックが笑った。
微かに、でも確かに。
それだけで、アレスには十分だった。
「……あいつには、お前のような“友”がいた」
「……今度こそ、守ってみせるよ」
「お前を──俺が、救い出す」
風が吹き抜けるたびに、灰が宙を舞う。
それでも──彼らは探し続けていた。
義務ではない。
愛のために。
そして、ひとつの約束が全員をつないでいた。
エデンは、生きなければならない。
──
少し離れた場所に、シュンは立ち尽くしていた。
その顔は苦痛に歪み、目の下のクマは幾夜もの不眠を物語っている。
「……何を思えばいいのか、もうわからない……」
「お前は、本当にすごいやつだよ、エデン……」
風が舞い上がるたびに、過去の記憶がふと蘇る。
──あの日……
初めて、俺の手を取ったお前が、ここまで来るなんて思いもしなかった。
何も知らずに、その一歩を踏み出した。
それでも、迷いなく進んだ。
【回想】
──タルタロス。
人ならざる獣たち。
血と怒号が渦巻く中──
傷だらけの顔で、叫びながらも地に足をつけて立ち続けるエデン。
決して、退かなかった。
──誰もが震えるほどの“地獄”と戦ったお前の意志は、人の域を超えていた。
そして──
あの日のお前の笑顔。
あまりにも素朴で、あまりにも感謝に満ちていた。
「ありがとう……あなたのおかげでゼロに会えました」
──感謝すべきは、俺の方だったのに。
また別の場面。
暴走するアレクスボルドに立ち向かうお前。
クラリレオの前で、目を燃やしながら叫んだ。
「俺は……絶対に退かない!!」
──怪物に立ち向かい、命を賭けて、
死を恐れるのではなく、「使命」を失うことを恐れていた──
そんな目で戦っていた。
そして最後に見た、あの目。
パペットに挑む直前の、お前の瞳。
それは──
子どもの目でも、戦士の目でもなかった。
信念のために死を受け入れた、「男」の目だった。
──
クライマックス。
その力を解放し、天を割ったお前の“本当の姿”。
その時、俺は理解したんだ──
胸が引き裂かれるほど痛くて、同時に、笑ってしまった。
「もう……お前に、俺は必要ないんだな」
──俺を超えていた。
──
再び現実に戻る。
あたりを見渡すと、何十人もの仲間たちが瓦礫を掘っている。
涙を流しながら、必死に。
希望だけが、まだそこに生きていた。
「……こんなにも多くの人間が、お前のために動いてる」
「お前は……彼らの人生を変えた。俺のも、だ」
日々、その燃えるような意志に驚かされ続けた。
世界が崩れようとしても、俺はお前から目を離せなかった。
「何度倒れても、何度でも立ち上がる……
そんな“意志”を持ってるやつなんて、そういない」
──お前は、全てから拒絶された。
血統からも、神々からも。
それでも、お前はそこにいた。
──世界に否定され、蔑まれ、憎まれながらも、
光を選び続けた。
無数の者が堕ちていったその縁で、お前は……堕ちなかった。
──
心の奥に焼き付いたのは、あの“笑顔”。
その裏に隠された、罪悪感と悲しみを、俺だけは知っている。
「傷だらけで、泣いて、苦しんで……
それでも誰かを支え続けるために、笑ってる」
──
ふっと、笑みが漏れた。
あのテンザクの口が軽すぎて、毎晩のお前の“秘密”をバラしてたな……
──悪夢、うなされる叫び、
祖父の影が追いかけてくる夢……
それでも、お前は進み続けた。
「本当に……お前は、すごい奴だ」
「願いのために、信じるもののために、戦い続けてきた」
──
拳を握りしめ、胸の奥が灼けるように痛む。
「……壊れてもいいはずの時にさえ、お前は戦ってた」
「影に囚われながらも……逃げなかった」
──
「エデン……俺は……
俺は……お前が必要なんだ……頼む……生きてくれ……
生きてくれ……生きてくれ……お願いだ……」
「しょ、将軍ッ!!」
誰かの叫びが、トランス状態のシュンを引き戻す。
振り返った先──
そこに、いた。
エデンが──
粉塵と傷にまみれたまま、立っていた。
ゲンの白き剣を、命綱のように抱きしめながら。
目を見開いたシュンは、堪えていた涙を止められなかった。
考えるよりも先に走り出し、膝をつき、彼の体を抱きしめた。
「生きてる……生きてる……」
声は震え、完全に崩れていた。
少年の胸にある、まだ温かい鼓動を確かめながら。
──
周囲の仲間たちも、涙を抑えきれなかった。
沈黙の歓喜が、瓦礫の天井を突き抜けていく。
「早く、キャンプへ運べ!」
エスカトスが瞬時に指示を飛ばす。
「了解!」
兵たちが一斉に動き出す。
そのうちのひとりが、息を切らしながら近づいてきた。
「陛下、敵の痕跡は見つかりませんでした……パペットのものは……」
「……何?」
「ですが、奇妙な“異常”が──」
「異常?」
「……あの山の頂に、庭園がありました。
信じられないほどのスイセンが咲き乱れている……
あの不毛の地に……あり得ないことです」
エスカトスはしばらく沈黙し、目を細めた。
「この件は……終了とする。勝利だ」
「えっ……? は、はい……陛下……」
──
エデンの搬送を見届けたエスカトスは、静かにシュンを見やった。
その目は、敬意と警告を内包していた。
「今回は──お前の勝ちだ、シュン」
「だが、いつもこうはいかない」
「お前に選択を強いる“敵”が現れるだろう……
お前でさえ、受け入れられないような、決断を迫る者が……」
「なぜなら……
お前が守ってきた“ただの駒”は、今や“危険な塔”となったのだから」
「このゲームは、もう変わってしまった」
「だが──」
「盤の“どちら側”に立っているのか……それは、まだ見えていない」
「いつか──それがわかる日が来るだろう」