城下の街より野を越え山越えた、多くの人々が行き交う小さな国境の街は、旅の中継点でもある。
活気に満ちた店が並び、旅の疲れを落とす宿屋が並んで呼び込みも激しく、商魂たくましい。
そしてその街の中央の広場では、美しい少年の鳴らすハープの音色が人々を集めて、皆をうっとりとその世界に引き込んでいた。
演奏が終わり優雅に頭を下げる少年の帽子には、ハッと我に返った観衆が惜しみない拍手と共に気前よくチップを放り込む。
「皆様ありがとうございます。」
「また聞きたいねえ」「すてきだったわあ」
にっこり天使のように微笑む少年に、余韻に浸る人々が口々にそう漏らす。
「終わったの?」
近くにいた、年上の美しい少女がベンチから立ち上がり近づいてくると、客と別れて少年ファルーンが、お金を袋に入れてたすきに掛けたバッグに直した。
「皆様お金を沢山下さるので助かります。さて、これで馬が買えるかどうか。」
「あら、馬なんか買わなくても、今までのようにファルーンが魔法で飛ばしてくれればいいじゃない。
それより服を買って頂戴、こんな薄汚れた格好では殿方に笑われるわ。」
そう言って、薄いシフォンのドレスをヒラヒラとなびかせる彼女、サラ王女がくるりと回ってみせる。
「主様、あなたは旅がしたいと仰られました。
あれは旅ではありません、ただ逃げただけでございます。
人の旅という物は、地を這って行くことで色々な出会いを致します。」
「いいわよ、出会い何かしなくても、うんざりだわ。
ああ、お腹が減った。魔法でご馳走出してちょうだい。」
「私は、無から物は生み出せませぬ。」
「まあ!世を制するって嘘だったのね。」
「私は、主様を騙すことは出来ませぬ。
今はあなた様の願いが散漫で、私に叶えるだけの力が沸き出ないのでございます。」
「でも、城からは逃げ出せたじゃない。」
「あなた様の逃げたいという願いが、それだけ強かったのでございましょう。」
ああ言えばこう返す、ファルーンの冷めた言葉に、次第にサラがカッカと血が上ってくる。
「もうっ、とにかく今はお腹が空いた!」
「承知いたしました、では食事どころへ参りましょう。」
憎らしいほどにっこり微笑んで、美しい少年は王女の手を引いた。
ガヤガヤと騒がしい食堂は、家族連れや騎士もいれば、がさつそうな男達もいる。
昼間から酒を飲んで、ワイワイと騒ぎ立ててやかましい。
しかし王女は、物珍しそうにその様子を眺めて目を輝かせると、フフッと嬉しそうに笑う。
トンと両肘をテーブルについて、足をブラブラさせた。
「楽しそうだこと、これが庶民の暮らしなのね。静かな城とは大違いよ。
食事中をこんなに騒ぐなんて、考えられないわ。」
お腹がグルルッと鳴って、キョロキョロ周りを見回す。
隣のテーブルの料理が、ひどく美味しそうに見える。
「おまたせ!」
運ばれてきた食事を目の前にドンッと置かれて、王女は驚いて目を丸くした。
「まあ、なんて無礼な物の置きよう。私を誰だと思っている!」
「はあ?そらどうも。」
忙しい店員も、変な女だと言った目で一瞥して、相手にもせず去ってゆく。
王女はぷんぷんと腹立たしそうに、傷だらけのスプーンを嫌な顔で持ち、欠けた皿の料理を一匙すくった。
「なんて薄汚い。こんな物しかないのか?」
「これが普通でございます。野へ出ると、もっと普通の物は食べられません。
それにここは国境ではございますが、まだあなたのお国なのですよ。」
クスッと笑うファルーンに、仕方なく恐る恐る口へ運ぶ。
しかし、滅多に空腹を感じない王女には、それがとても美味しく感じられてホッと微笑んだ。
「味はなかなかだわ。さすが我が国の料理よ。」
鼻を高くして喜ぶ王女に、ファルーンも食事を食べ始めた。
「よろしゅうございました。私も旅は数百年ぶりです。
カンを取り戻すのに時間がかかるので、ご迷惑をおかけします。」
「本当のファルーンはどうなったの?」
「私と入れ替わりに、このハープの中で眠っています。」
そう言ってハープを示す。
彼は、城でファルーンがハープを弾いた際、彼と心が入れ替わったハープの精霊なのだ。
「私が逃げたいって言ったの、迷惑だった?ハープで眠っていたんでしょ?
本当のファルーンにも可哀想なことをしたわ。」
うつむいて、サラがフッと溜息をつく。
彼女は隣国の王子との婚姻が近づくにつれ、どうしても嫌でたまらずハープの言い伝えを調べ回ったのだ。
数百年前にハープを手に入れ、この国の王となった自分の先祖の残した記述を。
そしてそれをようやく見つけたとき、彼女はハープの名を捕まえ、名を唱えてハープの主となった。
「名を捕まえるって事が、名を与える事だなんて、フフッ、謎かけよね。
世を制する月がハープ、そのハープ自身の事なんて、そんなたいそうな物とは誰も思わないわ。
兄様なんか役立たずのハープって、あら、ごめんなさい。」
確かに、眠っている内はハープは音を忘れる。
誰が弾こうと、音を奏でない。
そして主が出来ると自らの弾き手を選んで奏でさせ、その身体を乗っ取り主の願いを叶える。
今回それに、ファルーンが選ばれた。まさに彼は、汚れない魂の持ち主だったのだ。
「ええ、ハープに名を付ける者などありませんから。
私は主の願いを聞き入れますが、それはどんなに恐ろしいことでも可能です。」
ファルーンが、冷たい瞳でサラを見る。
サラはそれがどんな意味かわかり、ゾッと背に冷たい物が走った。
「わ、わかっているわ。だから私のご先祖様も、わざとあなたのことを残さなかった。」
「それが賢明でございます。この太平の世を、乱す必要もありますまい。」
微笑む少年は、やはり人を越えた雰囲気を持っている。
サラも息を飲みながら食事していると、その姿をじっと見ている男がいた。