皆が部屋へと集まる途中、部屋の中に腰を下ろしていた椿に芹沢が話しかけてきた。山崎は、少し後ろに控えて同じく腰をおろしていた。
「……何を描いてやがる。巫女の呪いか、それとも男除けの印か」
しばしの間、付き合ってあげようと口を開いたのがいけなかった。
「いいえ。風の抜け道を探しているだけ」
「風なんざ、気まぐれだ。探すより、巻き込まれる方が早ぇんじゃねぇか?」
「巻かれるほど軽ければ、舞はできても立ってはいられません」
「ほう……巫女は舞っても倒れねぇと?」
「ええ。足を取られるような風の下では、花も咲けませんもの」
「……まるで、誰かの話だな。誰とは言わねぇが」
「言わずとも、蛇は匂いで察します」
「ははっ……面白ぇ女だ。だが、蛇ってのはな、花よりも根っこを食い荒らすもんだ。気をつけな」
「蛇が土を這うなら、私は空に問いましょう。咲くのは私でも、実をつけるのは風次第ですから」
「風次第……か。ならば、お前はまだ、どこに咲くか決めちゃいねぇ」
「決めかねているんじゃなくて、選ばせてるの。誰が手折るかを、ね」
「……こりゃ怖ぇな」
芹沢と椿の言葉遊びが終わると、微かな沈黙が落ちた。
庭先にいた浪士たちが、ぽかんとした顔で二人を見ている。
「……なんや今の、詩か?」「はあ?何の話してたんだ……」
誰ひとりとして、やり取りの意味を掴めていない。ただ空気だけが妙に張り詰めたまま、誰も口を開こうとしなかった。
そんな中——
山南敬助が、静かに眼鏡の奥を細めた。
軽く唇を結び、まるで「そこまで言うか」と言わんばかりの目で芹沢を見やる。新見錦もまた、目を伏せ、口元に薄い笑みを浮かべた。
言葉を交わさずとも理解している。
この場で会話をしていたのは、椿と芹沢だけではない。策と策、眼と眼が交錯していたのだ。
そして少し離れた場所で山崎烝が、黙って椿の後ろ姿を見ていた。姫が笑った。芹沢と互角にやりあい、勝ったとも言える笑みだった。
——風の抜け道を探しているだけ。
その言葉を思い出した山崎の口元が、静かに釣り上がる。
(せや。……あんたはもう、吹かす側や)
誰よりも椿の“芯”を知る者だけが、その背に宿る静かな炎を見ていた。
「言葉遊びがお好きか?」
椿が問えば、芹沢は「あぁ。」そう言った後に言葉を続けた。
「俺は、馬鹿が嫌いでな。」
芹沢はそう言って、煙管をくゆらせた。
ゆらゆらと昇る煙が、淡く夕の空気を裂いていく。
「馬鹿はな、怖がる。分からぬものを。読めぬ顔を。計れぬ女を」
「それは、貴方が“分かる”側でいたいから?」
椿の返しに、芹沢の目がわずかに細くなる。
「——そういうこった」
そして少しだけ笑った。
だがその笑みにも牙はあった。
「ですが、己の尺でしかモノを図れない男もいかがなものかと………」
椿が微笑の奥に、鋭さを滲ませた。
その眼差しは、まるで白磁に差す月のように冷ややかで美しい。
しばしの沈黙。
火鉢の灰がぱち、と弾けた音が妙に大きく響く。
芹沢の目が細まり、口元だけがゆるんだ。
「……なるほどな。やっぱり、ただの飾りじゃねぇ」
煙管の煙を、芹沢はわざと遠くへ吐き出した。
まるで、自らの動揺を誤魔化すかのように。
「けどよ。……尺を持つ奴ってのは、責任も背負ってんだぜ?」
「もちろん。だからこそ、測られる側は、ただの“重さ”では測れません」
椿の声は、静かでまっすぐだった。
風も立てずに刺すような言葉に、芹沢が一瞬だけ目を逸らす。
——その刹那。
「……ふっ」
小さく、誰かが笑った。
それは、隅に座っていた山南敬助だった。
「これは一本取られましたね、芹沢さん。……いや、二本目、でしょうか」
芹沢が山南を睨むが、その目は本気ではない。
その隣では新見錦が、扇子で口元を隠しながらも、確かに笑っていた。
「……まったく、口の立つ女ってのはややこしい」
芹沢はそう呟いて立ち上がり、煙管をくるりと懐に戻した。
遅れてやってきた数名の幕臣たちが、廊下の向こうから姿を現した。
裃姿ではなく、旅装に身を包んではいたが、明らかに浪士たちとは異なる立ち居振る舞い。
鼻につくほどに整った装束と、周囲を下に見るような目線は、彼らが「外の権威」から来たことを強く物語っていた。
「役目より地位を重んじている」ことが見て取れる。
彼らの視線は、明らかに値踏みだった。
そのひとりが、椿に視線を向けた。軽く、見下ろすように。
「貴女が、巫女とかいう娘か。……ふむ。若すぎるな。それで、殿方を率いるおつもりか?」
言い方は丁寧だった。だが、その口ぶりには疑念ではなく“決めつけ”が滲んでいた。
椿はその言葉に、眉ひとつ動かさずに答えた。
「……お言葉を返すようですが、私は率いてなどおりません」
「ほう?」
「皆さまが、自ら歩かれているだけです」
そう言って椿は、男たちの方へと視線を向けた。
庭の片隅で立っていた試衛館の者たち、そして浪士たちが、何人かこちらを見ていた。
「肩書きや出自で人がついてくるのなら、今ごろこの国に迷いなどございませんでしょう」
「……つまり、我々のような“形”の者には、誰も従わぬと?」
相手の声が、わずかに刺を帯びた。
椿はその問いに、ふっと笑って首を横に振る。
「いいえ。形には、役割があります。意味も、責も。ただ、“形ばかり”で中身が伴わぬのは、器の不備です」
言葉は穏やかだった。けれど、沈黙が部屋を支配する。
一瞬、誰も声を発せず――やがて芹沢がくつくつと笑い出した。
「よう言うわ、ほんと。お前みてぇな娘が一番、手強ぇってんだ……」
「姫は口よりも、ちゃんと手ぇも動くんで。そこがえらいとこですわ」
と、ぼそりと山崎が呟いた。
椿は振り返らず、それを聞こえぬふりでやり過ごした。
幕臣の男は、なおも肩肘張ったまま口を開いた。
「……とにかく、我々のような立場の者からすれば、浪士を預けるにしても、それなりの“筋”というものが──」
「ええ。お立場は重々、理解しております」
椿が遮るように言葉を挟んだ。
その声音は柔らかく、けれど冷めていた。
「ですが、理解するのと納得するのは別の話。……まして、それで前に進めぬとなれば、やはり時間ばかりが過ぎていきますね」
幕臣たちが一瞬、言葉を失った。
「私にとって、“役割”とは動くためのもの。動かずして語るのは、少々勿体ない気がいたします」
椿はそう言って、静かに立ち上がった。
「それより。班の確認がまだ済んでおりません。出発も迫っておりますし――この場の用は、それでよろしいですね?」
たった一言で、場の空気が変わった。
幕臣たちの背筋が、わずかにこわばる。
「……ふん、勝手にやるといい」
一人が小さく毒づいたが、椿はそれに振り向きさえしなかった。
代わりに山南が、穏やかに一礼し、場を収めるように後を継ぐ。
幕臣たちは、明らかに不快そうな顔で踵を返した。
誰もが椿の返答に納得したわけではない。ただ、彼女の言葉の先に、これ以上踏み込むべきではないという“何か”を察したにすぎない。
場が収まり、空気が静まりかけた頃。
部屋の隅に立っていた土方歳三が、わずかに目を細めた。
(……媚びねぇな)
年若く見える巫女が、これだけの人数を前に、言葉ひとつで空気をねじ伏せた。
誰にも頭を下げることなく、しかし誰の顔も潰さず、ただ「言うべきこと」を言っただけ。
——ああいう女は、強ぇ。
そんな思いが胸の奥に浮かんだとき、土方の口元がふっと緩む。
わずかに片方の口角が上がっていた。
「……なるほど。」
誰にともなく漏れた呟き。
だが、近くにいた沖田がそれを聞き取り、目を丸くする。
「え、土方さん、いま笑いました?」
「笑ってねぇ」
「口角、あがってましたよ」
「気のせいだ」
そっぽを向いた土方の横顔は、どこか嬉しそうで、それを見て沖田はくすりと笑った。
椿は台帳を手に、静かに全員を見渡す。
部屋の一角には、土方、沖田、山南ら試衛館の面々。そして、ざわつく浪士たちの顔。芹沢の視線も、じっとこちらを捉えていた。
「これより、浪士組の班構成をお伝えします。番号はありますが……ひとつ、初めに申し上げておきます」
ぴたり、と場が静まる。
椿の声音は柔らかくも凛としていた。
「班の“番号”は、強さの序列ではありません」
ざわり、と小さな波が起きる。
「それは、私が最も避けたかったことです。武の腕前で順を決めるのは、いずれ誤解と争いの種になります」
視線をあげる。浪士たちの中には、納得がいかぬ顔を浮かべる者もいる。
「この番号は、あくまで“動きの指針”と“伝令の経路”のために設けたもの。戦となれば、誰が先に立つかなど、番号では決まりません。現場の判断がすべてです」
沈黙の中、椿は穏やかに続けた。
「ですから、この班構成は“責任”を分けるものだと思ってください。誰かを上に置くのではなく、誰かが何かを背負うための分担です」
しばしの沈黙の後、山南がふっと笑った。
「……なるほど。そういうことですか」
「はい。各々が、どれだけ“背中”を預けられるか。それだけの話です」
その言葉に、土方の眉がわずかに上がった。
そして沖田が、おもしろそうに口笛を鳴らす。
沖田総司が肩を竦め、ぽつりと漏らす。
「……なんだか、村の組頭が、祭りの役割を割り振ってるみたいだねぇ」
それを聞いた原田が吹き出す。
「ははっ、確かに。誰が神輿を担ぐか、誰が餅を焼くかってか?」
「なら、俺は酒番がいいな」
「お前は黙っとけ」
冗談混じりの会話に場がやや和んだその隙に、芹沢が苦々しげに唸った。
「冗談じゃねぇ……子供の使いみてぇにされてたまるか」
だが、そんな言葉にも椿は揺らがない。
「“子供の使い”で終わるかどうかは、ご自分次第です」
あくまで穏やかに、けれど真っ直ぐな眼差しでそう返した彼女に、誰も口を挟めなかった。