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第22話


皆が部屋へと集まる途中、部屋の中に腰を下ろしていた椿に芹沢が話しかけてきた。山崎は、少し後ろに控えて同じく腰をおろしていた。


「……何を描いてやがる。巫女の呪いか、それとも男除けの印か」


しばしの間、付き合ってあげようと口を開いたのがいけなかった。


「いいえ。風の抜け道を探しているだけ」


「風なんざ、気まぐれだ。探すより、巻き込まれる方が早ぇんじゃねぇか?」


「巻かれるほど軽ければ、舞はできても立ってはいられません」


「ほう……巫女は舞っても倒れねぇと?」


「ええ。足を取られるような風の下では、花も咲けませんもの」


「……まるで、誰かの話だな。誰とは言わねぇが」


「言わずとも、蛇は匂いで察します」


「ははっ……面白ぇ女だ。だが、蛇ってのはな、花よりも根っこを食い荒らすもんだ。気をつけな」


「蛇が土を這うなら、私は空に問いましょう。咲くのは私でも、実をつけるのは風次第ですから」


「風次第……か。ならば、お前はまだ、どこに咲くか決めちゃいねぇ」


「決めかねているんじゃなくて、選ばせてるの。誰が手折るかを、ね」


「……こりゃ怖ぇな」


芹沢と椿の言葉遊びが終わると、微かな沈黙が落ちた。

庭先にいた浪士たちが、ぽかんとした顔で二人を見ている。


「……なんや今の、詩か?」「はあ?何の話してたんだ……」


誰ひとりとして、やり取りの意味を掴めていない。ただ空気だけが妙に張り詰めたまま、誰も口を開こうとしなかった。


そんな中——


山南敬助が、静かに眼鏡の奥を細めた。

軽く唇を結び、まるで「そこまで言うか」と言わんばかりの目で芹沢を見やる。新見錦もまた、目を伏せ、口元に薄い笑みを浮かべた。

言葉を交わさずとも理解している。

この場で会話をしていたのは、椿と芹沢だけではない。策と策、眼と眼が交錯していたのだ。


そして少し離れた場所で山崎烝が、黙って椿の後ろ姿を見ていた。姫が笑った。芹沢と互角にやりあい、勝ったとも言える笑みだった。


——風の抜け道を探しているだけ。


その言葉を思い出した山崎の口元が、静かに釣り上がる。


(せや。……あんたはもう、吹かす側や)


誰よりも椿の“芯”を知る者だけが、その背に宿る静かな炎を見ていた。


「言葉遊びがお好きか?」


椿が問えば、芹沢は「あぁ。」そう言った後に言葉を続けた。


「俺は、馬鹿が嫌いでな。」

芹沢はそう言って、煙管をくゆらせた。

ゆらゆらと昇る煙が、淡く夕の空気を裂いていく。


「馬鹿はな、怖がる。分からぬものを。読めぬ顔を。計れぬ女を」


「それは、貴方が“分かる”側でいたいから?」


椿の返しに、芹沢の目がわずかに細くなる。


「——そういうこった」


そして少しだけ笑った。

だがその笑みにも牙はあった。


「ですが、己の尺でしかモノを図れない男もいかがなものかと………」


椿が微笑の奥に、鋭さを滲ませた。

その眼差しは、まるで白磁に差す月のように冷ややかで美しい。


しばしの沈黙。

火鉢の灰がぱち、と弾けた音が妙に大きく響く。


芹沢の目が細まり、口元だけがゆるんだ。


「……なるほどな。やっぱり、ただの飾りじゃねぇ」


煙管の煙を、芹沢はわざと遠くへ吐き出した。

まるで、自らの動揺を誤魔化すかのように。


「けどよ。……尺を持つ奴ってのは、責任も背負ってんだぜ?」


「もちろん。だからこそ、測られる側は、ただの“重さ”では測れません」


椿の声は、静かでまっすぐだった。

風も立てずに刺すような言葉に、芹沢が一瞬だけ目を逸らす。


——その刹那。


「……ふっ」


小さく、誰かが笑った。

それは、隅に座っていた山南敬助だった。


「これは一本取られましたね、芹沢さん。……いや、二本目、でしょうか」


芹沢が山南を睨むが、その目は本気ではない。

その隣では新見錦が、扇子で口元を隠しながらも、確かに笑っていた。


「……まったく、口の立つ女ってのはややこしい」


芹沢はそう呟いて立ち上がり、煙管をくるりと懐に戻した。


遅れてやってきた数名の幕臣たちが、廊下の向こうから姿を現した。

裃姿ではなく、旅装に身を包んではいたが、明らかに浪士たちとは異なる立ち居振る舞い。

鼻につくほどに整った装束と、周囲を下に見るような目線は、彼らが「外の権威」から来たことを強く物語っていた。


「役目より地位を重んじている」ことが見て取れる。

彼らの視線は、明らかに値踏みだった。


そのひとりが、椿に視線を向けた。軽く、見下ろすように。


「貴女が、巫女とかいう娘か。……ふむ。若すぎるな。それで、殿方を率いるおつもりか?」


言い方は丁寧だった。だが、その口ぶりには疑念ではなく“決めつけ”が滲んでいた。


椿はその言葉に、眉ひとつ動かさずに答えた。


「……お言葉を返すようですが、私は率いてなどおりません」


「ほう?」


「皆さまが、自ら歩かれているだけです」


そう言って椿は、男たちの方へと視線を向けた。

庭の片隅で立っていた試衛館の者たち、そして浪士たちが、何人かこちらを見ていた。


「肩書きや出自で人がついてくるのなら、今ごろこの国に迷いなどございませんでしょう」


「……つまり、我々のような“形”の者には、誰も従わぬと?」


相手の声が、わずかに刺を帯びた。


椿はその問いに、ふっと笑って首を横に振る。


「いいえ。形には、役割があります。意味も、責も。ただ、“形ばかり”で中身が伴わぬのは、器の不備です」


言葉は穏やかだった。けれど、沈黙が部屋を支配する。


一瞬、誰も声を発せず――やがて芹沢がくつくつと笑い出した。


「よう言うわ、ほんと。お前みてぇな娘が一番、手強ぇってんだ……」


「姫は口よりも、ちゃんと手ぇも動くんで。そこがえらいとこですわ」


と、ぼそりと山崎が呟いた。


椿は振り返らず、それを聞こえぬふりでやり過ごした。


幕臣の男は、なおも肩肘張ったまま口を開いた。


「……とにかく、我々のような立場の者からすれば、浪士を預けるにしても、それなりの“筋”というものが──」


「ええ。お立場は重々、理解しております」


椿が遮るように言葉を挟んだ。

その声音は柔らかく、けれど冷めていた。 


「ですが、理解するのと納得するのは別の話。……まして、それで前に進めぬとなれば、やはり時間ばかりが過ぎていきますね」


幕臣たちが一瞬、言葉を失った。


「私にとって、“役割”とは動くためのもの。動かずして語るのは、少々勿体ない気がいたします」


椿はそう言って、静かに立ち上がった。


「それより。班の確認がまだ済んでおりません。出発も迫っておりますし――この場の用は、それでよろしいですね?」


たった一言で、場の空気が変わった。


幕臣たちの背筋が、わずかにこわばる。


「……ふん、勝手にやるといい」


一人が小さく毒づいたが、椿はそれに振り向きさえしなかった。

代わりに山南が、穏やかに一礼し、場を収めるように後を継ぐ。


幕臣たちは、明らかに不快そうな顔で踵を返した。

誰もが椿の返答に納得したわけではない。ただ、彼女の言葉の先に、これ以上踏み込むべきではないという“何か”を察したにすぎない。


場が収まり、空気が静まりかけた頃。

部屋の隅に立っていた土方歳三が、わずかに目を細めた。


(……媚びねぇな)


年若く見える巫女が、これだけの人数を前に、言葉ひとつで空気をねじ伏せた。

誰にも頭を下げることなく、しかし誰の顔も潰さず、ただ「言うべきこと」を言っただけ。


——ああいう女は、強ぇ。


そんな思いが胸の奥に浮かんだとき、土方の口元がふっと緩む。


わずかに片方の口角が上がっていた。


「……なるほど。」


誰にともなく漏れた呟き。

だが、近くにいた沖田がそれを聞き取り、目を丸くする。


「え、土方さん、いま笑いました?」


「笑ってねぇ」


「口角、あがってましたよ」


「気のせいだ」


そっぽを向いた土方の横顔は、どこか嬉しそうで、それを見て沖田はくすりと笑った。


椿は台帳を手に、静かに全員を見渡す。

部屋の一角には、土方、沖田、山南ら試衛館の面々。そして、ざわつく浪士たちの顔。芹沢の視線も、じっとこちらを捉えていた。


「これより、浪士組の班構成をお伝えします。番号はありますが……ひとつ、初めに申し上げておきます」


ぴたり、と場が静まる。


椿の声音は柔らかくも凛としていた。


「班の“番号”は、強さの序列ではありません」


ざわり、と小さな波が起きる。


「それは、私が最も避けたかったことです。武の腕前で順を決めるのは、いずれ誤解と争いの種になります」


視線をあげる。浪士たちの中には、納得がいかぬ顔を浮かべる者もいる。


「この番号は、あくまで“動きの指針”と“伝令の経路”のために設けたもの。戦となれば、誰が先に立つかなど、番号では決まりません。現場の判断がすべてです」


沈黙の中、椿は穏やかに続けた。


「ですから、この班構成は“責任”を分けるものだと思ってください。誰かを上に置くのではなく、誰かが何かを背負うための分担です」


しばしの沈黙の後、山南がふっと笑った。


「……なるほど。そういうことですか」


「はい。各々が、どれだけ“背中”を預けられるか。それだけの話です」


その言葉に、土方の眉がわずかに上がった。

そして沖田が、おもしろそうに口笛を鳴らす。


沖田総司が肩を竦め、ぽつりと漏らす。


「……なんだか、村の組頭が、祭りの役割を割り振ってるみたいだねぇ」


それを聞いた原田が吹き出す。


「ははっ、確かに。誰が神輿を担ぐか、誰が餅を焼くかってか?」


「なら、俺は酒番がいいな」


「お前は黙っとけ」


冗談混じりの会話に場がやや和んだその隙に、芹沢が苦々しげに唸った。


「冗談じゃねぇ……子供の使いみてぇにされてたまるか」


だが、そんな言葉にも椿は揺らがない。


「“子供の使い”で終わるかどうかは、ご自分次第です」


あくまで穏やかに、けれど真っ直ぐな眼差しでそう返した彼女に、誰も口を挟めなかった。


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