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第3話 凌天SS1-3

昼下がりの大学の中庭で司が固まった。

「おっ、来たか」

もう何度目かの司のフリーズに奥村が何事もないようにつぶやく。

「取り合えず座らそうか」

結城が奥村に声をかけ司をベンチに誘導する。大学の中庭と言っても車が進入できるロータリーがあり軽くサッカーができるくらいの広さがある。その片隅に司を座らせロータリーを眺めていた二人はどこか違和感を感じていた。視線の先が靄がかかるというかゆらゆらと揺れているというか、真夏の陽炎のように空気が揺れていた。

「なんかあの辺揺れてない?」

「んー?どこ?」

奥村の言葉に結城が目を移した途端突如として炎が立ち上がった。

 いや、炎――ではない。何か別の“現象”だった。

ロータリーの中心、誰もいなかったはずの芝生の張られた空間に、ゆらりと蜃気楼のようなものが膨らんでいく。  次の瞬間、火柱となって空を貫いた。

「えっ……え、なに……?」  奥村が声を漏らす。喉の奥が熱を帯びたように乾燥し、うまく言葉にならない。

周囲の学生たちは悲鳴を上げて逃げ出している。スマホのシャッター音、ありえないものを見た笑い声、足音、叫び。

 さらに火柱が上がり燃え盛る家々が揺らめきながら姿を現す。

「これって、司……お前が見てたものって……」

 そのすべてが遠かった。水の中で音を聞いているような結城の言葉が聞こえる。

――視界が、揺れる。

まるで夢の中のように、司の目に“別の風景”が重なった。

夜空。月。囲まれた柵。燃える屋根。

 そして、火柱の向こう側に……村があった。

「静香――――ッ!!」

どこからともなく響いた叫びが、司の胸の奥を裂いた。  その声が“誰のものか”はわからない。けれど、 呼ばれた名前には、抗えない熱が宿っていた。

目の前のキャンパスがにじむ。  否、自分が村にいて、大学の風景が遠ざかっていく。

 何人もの倒れた影。

 そして、一人の女性の姿に視線が吸い寄せられた。  白い衣。崩れる体。  振り下ろされる――刃。

次の瞬間、火柱が爆ぜた。

長刀の男が火に呑まれるように燃え上がった。思わず目を背けようとしたが、視線を動かすことができない。 (これは……俺の目じゃない) 燃え上がる肉の匂い。焦げる木。煙。 今までと違う。五感すべてが反応していた。

直感的に感じていたが今は光も音も溢れている。限りなく存在感を感じることができている。

誰かの視線の先に女性がいる。”静香”と呼ばれていた。  倒れたまま、まだ意識があるのかもわからない。  でも確かに、そこにいた。

 静香の周りにいる人たちを助けるように次々と火柱が上がっていく。

(静香……あそこに行けば静香に会える)

根拠はないが確信はあった。

火柱が、司を見返すように揺れた。  まるで招かれるように。

 司は自然と立ち上がりゆっくりと火柱へ歩いていく。

 キャンパス内にどんどんと火の手があがっている。

「奥村、逃げるぞ」

「ああ!」

「おい、山口行くぞ、いや、そっちちゃう。山口どこ行くねん、逃げるぞ」

「司、いくな!」

奥村と結城の声も届かないようにふらふらと進む司に奥村がしがみつくもするりと躱され地面に転がってしまう。

「結城たのむ!」

「司、待て」

関節を取ろうとした結城は投げ飛ばされて受け身をとる羽目になった。

 周囲の声が届かない。

(あそこに行けば……あそこに行けば……)

何か確信めいた思いだけで結果を想像できているわけではない。それでも、歩みは止まらなかった。

そして――一本の火柱に手を伸ばした。


火柱に触れた瞬間、 熱ではなく――重力の向きが変わったような感覚に包まれた。

視界が一瞬で白く染まり思わず目を閉じる。不意に体に重さが戻り五感が働き始める。 焦げた木の煙、湿った土の匂い、遠くで割れる陶器の音――すべてが実在のものとして司に押し寄せてきた。

目を開いた。 最初に認識したのは、火の明滅だった。 崩れかけた家の輪郭、傾いた柱、燃え落ちる梁。 そしてその下に、人が倒れていた。

白い道着。そして黒帯。

(……静香だ)

さっきまで見えなかった静香の顔が見えた。静香の額からは血が流れている。さっきまで誰かの目で“視ていた”はずなのに視点が違う。今、この瞬間、自分の視点に戻っていた。

(俺は今ここにいる!)

確信と同時に足が動いた。

火柱は落ち着いたが炎はまだあちこちで爆ぜていた。

そこら中に人が倒れている。逃げていく者、刃を振るう者、泣き叫ぶ声。

だが、静香のまわりだけが焼け焦げた人たちが転がり、一瞬だけ“無風地帯”のように静まっていた。

 司はそっと近づく。と背後から叫び声が聞こえた。振り下ろされる刀をすっと躱し体重移動のみで肩を当てると男が吹っ飛んでいく。現実から逃げるように柔術に取り組んできた司は大きなモーションがなくても技が効くようになっていた。

 火柱が立ったことで各家に散っていた賊たちが広場に集まってきた最中、いきなり現れた異国の服を着た男に仲間を弾き飛ばされたのだ。火柱の原因も司だと思ったのだろう、視線を交わし司を遠巻きに囲む。


火の粉が降る空の下、司の足元にじりじりと包囲の円が狭まっていく。

(囲まれた……)

刃のきらめきが五方から光り、息を呑む音と土を踏みしめる重みが、空気を締めつける。包囲される前に移動した司は静香のすぐそばに立ったまま、目を伏せる。「フッ」っと息を吐き緊張で上がってしまった意識を腹の下に下ろす。まだ目覚めない彼女が、まるでこの場所そのものの“中心”であるかのように、炎の輪の中で静かに横たわっている。

「お前が……何者か知らんが……」

司のわからない言葉で誰かが低く唸った。 たぶん、一番背の高い男だ。構えているのは剣ではない、古びた槍だった。

「これをお前がやったのか?龍人ってやつか……こいつを助けるために力をつかったってわけか」

もうひとりが、倒れた静香を指差す。そこに込められた嫌悪と恐怖は、火と同じくらい剥き出しだった。

司は何も言わなかった。 言葉がこの世界では通じないことを感じていた。 だが、体は理解していた。相手の視線、武器の角度、足の位置――全部。

(今までに経験したことのない圧だ。これが殺気ってやつか……)

取り囲んだ男たちはだれも司から視線を離さない。少しでも動けば切りかかってくるだろう。

(でも、でも……今は静香を……)

ゆっくりと司が脚を出す。

それを合図に左手の男が先に動く。風を切る気配。 右手の男が連動してくる。右手の男が刀を振り上げるため体を起こした隙に司が一歩中へ踏み込んだ。

 柄の短い片手剣を持った男の右手首をとらえ、体を崩し息を吸ってがら空きになった鳩尾に当身の突きを入れる。周囲で見ていた者には軽く殴られたようにしか見えなかったが 男の体が捻じれ、先に切りかかってきていた左手の仲間にぶつかる。

「なっ……!」

飛ばされてきた男を支えきれず二人が転倒する。

男たちは転倒した者たちを無視して槍を横から突き出す。

 司はすっと右足を出し、一歩入り繰り出された槍に手を置いた。もうそれだけで槍が動かなくなる。司が両手を槍に沿わせ少し身震いすると、槍を持った男の顎が上がる。それでも闘争心を捨てなかった男は槍をしっかりと握ったままだった。

 膠着したかのような二人の様子を見てさらに男が司に切りかかる。切りかかってきた男にチラリと意識を向けた司は右手を軸にして槍で円を描くと槍を持った男が鉄棒で前回りをするように槍を持ったまま顔から地面に打ち付けられる。男の手から自由になった槍をすっと引き寄せ、切りかかってきた男の刀を止め、左右の手を持ち替え足を払う。

 背中から派手に落ちた男は息を詰まらせ、体が固まる。そこにすかさず石突が打ち込まれ吐しゃ物をまき散らし意識を刈られてしまった。

 「誰だ、あれは。静香に手を出すのか?」

 縛られ身動きの取れない凌天は静香を守ろうと、何本もの火柱を立てた。なんの力もないと思っていた自分に与えられた唯一の静香を守る力。その力を使って静香に近づく者たちを退けてきた。だが、その力が今は出せな。まだまだ賊がいて、さらに見慣れない男が静香に近づいているのに。流れる汗が目に入りながらも必死に力を振り絞ろうとする凌天の目の前で新たに表れた男--司はバタバタと賊を倒していった。





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