「母さん。あたしニーサンに行ってくるわね」
翌朝ナナはギルドの前に立っていた。
「本当に行くのかい?」
アーロンは娘をギルドに送り出すことがどういうことなのか分かっていた。ナナは普通の人間ではないのだ。
「ナナ、あなたに言っておきたいことがあるの」
ゆうべ母のアーロンから訊かされた話。
ナナは物心ついたころからすでに魔法が使えたのだという。怒りに満ちたときカーテンに火がついた。何かで泣いたときナナの周りに風が吹いた。空を見上げたとき雲の隙間から竜が姿を現した。
ギリスとアーロンはナナの能力の発覚を恐れ封印した。それが皮革で出来たミサンガの結界だ。結界を結んでから今日までのあいだ、ナナはごく普通の女の子として育てられてきた。
その封印が解かれるときがきたのだ。
目の前のニーサンは三階建ての洋館だった。玄関はまるで西部劇の酒場に出てきそうなスイングドアだ。そこを流れ者が出たり入ったりしている。ドアは異様に大きかった。きっとモンスターの出入りがあるからなのだろう。
ナナは思いきってドアを押し開けた。ギイという乾いた音がする。ザワつきと異様な臭い。思わず胸が悪くなった。
「あの・・・・・・」大きなフロアに薄暗い照明。誰ひとりとしてナナを気にとめる者などいない。
正面に大きなカウンターが四つある。そこに大勢の人々が並んでいる。
左右の壁にはなにやらたくさんの貼り紙。そこに群がる人々。剣を持つ者。ヤリを抱える者。斧を携えている者。背中に頑強なクロスボウと矢筒を背負っている者。全身濃紺のローブに身を包んでいる修行者風の者たち。
その時ひとつのカウンターから怒号が響いた。
「話がちがうじゃねえか!」
頭が薄くて体格のいい野人と思える男が受付嬢に噛みついていた。
「ですから、この
「ふざけるな。ネーチャン、これを取りにいくのにおれがどんな怖い目にあったか分かってんのか」
「それは大変お気の毒です。ですが・・・・・・」
「テメエいい加減にしろ!」野人は受付嬢の首に丸太ん棒のような腕を伸ばした。
「おやめください!」暴漢は駆けつけたギルド員たちに取り押さえられて連行される。
そのうちのひとりのギルド員と目が合う。
「やあ、あなたでしたか」無表情だったパレスに笑顔が戻る。仲間から離れたパレスは足早にナナのもとに走り寄ってくる。「お待ちしておりました。さっそく来てくれたのですね」
「ええ」ナナは野薔薇のように小さく微笑みをつくる。「パレスさん。あの、この列に並べばよろしいのですか?」
ナナは受付から伸びる長蛇の列を指差す。
「いいえ、どうぞこちらに」
ナナが案内されたのはギルドの最上階の部屋だった。どうやら応接室のようである。
ナナの知らない騎士の油絵やドラゴンの調度品がところ狭しと並んでいた。ナナは初めて見るものに目を奪われるばかりだ。いままでのナナの生活範囲といえば、家と学校の往復に限られていたから。
ドアがノックされてひとりの貴婦人が姿を現わした。マリーアントワネットのようなドレスに身を包み、品良く銀髪を結い上げていた。卵型の小さな顔。歳の頃なら母のアーロンと同じぐらいだろうか。
パレスは紅茶を載せた銀のお盆を掲げて貴婦人の後に従っている。
「ナナ・プロバレンと申します」
ナナはすかさずソファーから立ち上がり、両手でスカートをたくし上げ、膝を折って正式な挨拶をする。
「どうぞお気楽になさって」優雅で柔らかい声が降りてきた。
ナナは
「ソフィーさまはニーサンのサブマスターです」パレスが言った。「ギルド職員の面接はすべてソフィーさまが行います」
「は?」このひとは何を言っているのだろう。ここの冒険者はギルド職員扱いになるというのだろか。
「どうぞお座りください。さきほどナナさんもご覧になったでしょう?」パレスが銀の茶器に紅茶を注ぎながら苦笑いをする。「ここは荒くれ者が多いですからね。受付嬢が次々と辞めてしまうんですよ」
「受付嬢。あの、受付嬢ってわたしがですか?」
「もちろんですよ。ナナさんはギルド受付嬢の条件を兼ね備えていらっしゃる。受付嬢の第一条件はまずとびっきりの美人であること。笑顔を絶やさないこと、そうですよね?」
パレスがソフィーに同意を求める。
「そ・・・・・・そうですわ。まさに・・・・・・その通り。受付嬢はギルドの顔ですもの。冒険者は受付嬢を求めてギルドに集まってくる、言わば昆虫と同じです。ナナさんとおっしゃいましたよね。あなた、お生まれはどちらかしら?」
「産まれも育ちもここソドムです」
「ソドム・・・・・・」
「ナナさんは行方不明になったギリスの娘さんなのです」
「そう、あの勇者ギリスの・・・・・・」
「あのソフィーさま。わたしを冒険者に登録していただけませんでしょうか?」
「え、なにをおっしゃるの」
「父の仇を討ちたいのです。そしてその報酬で父の残した借金を返済したいのです」
「いくらなの。その借金というのは?」
「三万ギャザーです」
「無理ね」ソフィーはいかめしい顔をした。「ナナさんいいかしら。報酬はランクによって違うのよ。ランクはブロンズのF、DからはじまってシルバーのC、ゴールドのB、Aランクはブラック。そしてプラチナがSからSSSまであります。一万ギャザー以上の報酬であれば最低Sランク以上の仕事になるのよ。あなたのお父上はたしかSランクだったはず」
「ランクを上げるにはどうすればよいのでしょうか?」
「実績をあげることと、ランク認定試験に合格することね。どんなに早くてもSランクになるには三年以上はかかるわ」
「試験を受けさせてください」
「それよりもあなたにもしものことがあったらあなたの母さまはどうなるのです?」ソフィーがバインダーに目を落とす。「ご病気とお伺いしましたよ。肺がお悪いのでしたね。小さな弟さんと一緒に路頭に迷わすおつもりですか?」
「・・・・・・」
「そうですよナナさん」パレスが言った。「まずは受付嬢になって家賃を払わなくっちゃ」
そうだ、まずは家族を優先しなくてはならない。お金が必要なのだ。それにギルドの職員になったらなにか父の情報が得られるかもしれない。
「よろしくお願いします」ナナは頭を下げた。