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第四話 私にできること

「幻惑の森がある限り、ここは外界から隔絶かくぜつされている。時々、運良くここへ到達とうたつする旅人も現れるが、結局は外に帰れず、ここに住むことになっていった。そういうものたちからの情報で、わしらは外の情勢を把握はあくしている。もっとも幻惑の森以外からここにやってきたのは、イーヴァが初めてだけどな」


 はっはっは、と笑うお父さまの前に、香り立つ湯気がおどるティーカップが置かれた。


「ではこの村は、自給自足なのですね?」


 そうくと、お父さまは深くうなずいた。


「ああ。幸い、ここにはなんでもある。肥えた土、魚が住まう湖、良質な木。あさも採れるから縄も服も作れる。暮らしていくには充分じゆうぶんすぎるほどの資源があったんだ。

 ただ困っているのは、学校と医者がないことだな。今の子供たちにはわしや妻が読み書きを教えておるが、なにせここにある本は父のころの商品だったものだ。みなふけるから、だいぶ痛んでしまった」


 本と聞いて、私は頭の中で、とある文章を思い浮かべる。

 ……うん、大丈夫だいじょうぶだ。

 きっと、できる。


「お父さま、その本はどこに?」


「うん? ここにあるぞ。なにせ貴重なものだから、しっかり管理しておかないといけないからな」


「何冊ほど?」


「今あるのは二十六冊。読み書きの指南書から図鑑ずかん、建築や栽培さいばいに関するものまで、一通りはそろっているが――」


 思わずテーブルに手をついて、勢いよく立ち上がる。

 お茶を持ってきてくれたお母さまが、あわててティーカップをおさえた。


「イーヴァ、どうしたんだい!?」


 にっこりとみをたたえて、やさしい父母を交互こうごに見た。


「お父さま、お母さま、ここに白紙の本はありますか?」


「あ、ああ。それなら新しいのが百冊くらい在庫があるが、それが?」


 お父さまへ、自信に満ちた声をおくる。


「ここに蔵書されている二十六冊の写本を、明日一日で作って差し上げます」


「はあ!?」「なんだって!?」


 お父さまとお母さまが、そろって声をあげた。


「私は見ての通り、こんな小柄こがらで力も弱く、この村のみなさんのお役に立ちたいと思っても、きっとままならないでしょう。ならば私はちがった形でご恩返しをしたいのです。自慢じまんするわけではありませんが、この頭には多くの知識がまっています。それをこの村のために役立たせたいと思います」


「そんな、恩返しだなんて」


 お父さまが、お母さまに視線を向ける。


「そうさね。あたしたちは、イーヴァがきてくれたことを、おくものだと思っているんだよ」


「え?」


 お母さまは、お茶を私の前にことり、と音を立てて置いた。


「なにも気にすることはない。イーヴァはここで、心安らかに暮らしてくれればいいんだよ。それが、子を思う親の心情ってもんさ」


「お母さま……」


 そこの言葉に胸がいっぱいになって、お母さまにきつく。

 お母さまは私より身長があるので、その胸にすっぽりもれてしまった。


「ああ、本当に可愛かわいいねえ、可愛い娘だねえ。ねえあんた、このとしになってこんなに可愛い子ができるなんて、思いもしなかったねえ」


 お母さまはかたふるわせて、私をめてくれた。


「ああ、その通りだ。しかし写本を一日で作るなどと、そんな無茶むちやなことはしなくていい。少しずつ、時間をかけてでもやってもらえればがたい。たのまれてくれるか?」


 私はお母さまからはなれ、お父さまに大きくうなずいた。


「お心遣こころづかいはご無用です。一日で写本を仕上げ、その後、幻惑げんわくの森を通ってラミナの街に行こうと思います」


 その言葉にお父さまもお母さまも、そろって身体を硬直こうちよくさせて、険しい顔つきになった。


「だ、だ、ダメだ! それだけはゆるさん!」


 お父さまは立ち上がって前のめりになり、お母さまはより強くめた。


「そうだよ、お前はまだ、あの森のおそろしさがわかっていないんだ!」


 まあ、大反対されるだろうなとは思っていたけれど、父母のいかりは私の予想をえていた。私はお母さまのうでを下ろし、二人に、なるべくやさしげに微笑ほほえんで安心させた。


「ぜんぶ大丈夫なんです。私なら、まぼろしまどわされず、森をけられます」


「どうしてそんなことを断言できる!?」


「わかるんです、お父さま。私はただのむすめではありません。今日、村を案内して頂いて、それを理解しました。きっと私はマールの村と外界をつなはしとなるべく、ここにいるのだと思うんです」


 お父さまは脱力だつりよくして椅子いすすわり、パイプを出して葉をめ、そこに火をつけた。


「ここはとて良い村です。私もすっかり気に入りました。ラミナの街まで行ければ、最新の本や新品の農具などが手に入るでしょう。まずは明日から写本を作らせて下さい。それができなければ、私は口だけのむすめです。幻惑げんわくの森に行くのはあきらめます」


 私の強い決意に、お母さまはくずちてひざゆかにつく。

 お父さまはけむりを浮かばせながら、私に顔を向けた。


「いいだろう。わしもこいつも、まだイーヴァのことを知らん。好きなことをやってごらんなさい。もし本当に、ここにある蔵書の写本を作れたら、この村にとってどれだけ有益か。一日というのは、にわかに信じがたいが、やってもらえるか?」


 私はうれしくて、満面のみを見せた。


「はいっ!」


 そんな私の喜びとは裏腹に、お父さまとお母さまの顔には不安の色がかんでいた。


「じゃああたしは、あんたの部屋を作ってやろう。なんせ今は旦那だんなとあたしの二人暮らしで、部屋が余ってるからねえ」


 お母さまの言葉に、私は破顔はがんした。


「本当ですか!? ありがとうございます!」


「いいんだよう、いいんだよう。本当にうれしいのは、こっちなんだから」


「お母さま……」


 その言葉が本当に胸にみて、私はお母さまの胸にんだ。


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