翌朝。
草原にしては珍しく、緑よりも青いマナの方が多く浮遊していた。
雨にでもなるのかな、と、草洞を出てみると、完全に視界を奪うほどの霧が草原を覆い尽くしていた。
「おお~」
霧のお陰で、
「よし!」
僕は気を引き締めて、昨日の失態を繰り返さないよう反省した。
もし僕がユーリエのことを好きだとばれてしまったら、ユーリエは僕から離れて石碑巡りをするか、セレンディアに帰るか、どちらかだろう。
自分の
始まりは無理矢理ユーリエを連れて行く流れになってしまったけれど、今は違う。
僕はユーリエと一緒に、石碑巡りをやり遂げたい。
そのためにも、昨日みたいな失敗はだめだ。
元々、僕はマールを尊崇していて、立派な聖神官になるために石碑巡りをしたかったけれど、今ではユーリエへの想いを断ち切るためのほうが大きな目的になってしまっている。
でも、この想いを抱いたまま聖神官を目指す道も、あるのかもしれない。
この旅で、答えを見つけていこう。
そう心新たにしていた時。
「カナクおはよ~。外にいる?」
草洞の中から、ユーリエの声がした。
「おはよう。僕はここにいるよ。今からそっちに戻ろうと――」
「あ、ごめん。今は少し、恥ずかしいかも」
「え?」
「着替え中だから」
ええええええ!?
「じゃ、じゃあ、後にするよ」
「見たければどうぞ」
「どうぞなの!?」
そりゃ見たいけど。
って、そうじゃない!
やっぱりユーリエって、なにを考えているのかわからない……。
僕はしばらく霧の中、その場に座って待っていた。
「おまたせ~!」
草洞から、すみれ色の髪を
「おはようユーリエ」
僕が
ユーリエは、にっ、と満面の笑顔になった。
「おはよっ! カナク!」
くっ……めちゃくちゃ
それに
……ぐっ!
さっき考えていたことと、いきなり逆をいってるぞ!
ダメだダメだ!
「さ~て、今日も張り切って歩きますか~!」
ユーリエがのし、と僕に背中から体重を預けてきた。
大好きな人の顔が、すぐ横にある。
これから先、この距離で旅をするのか。
たった数ミン前に行った決意が、早くも
それから。
僕らは草洞の中で朝ご飯を食べ、ユーリエが使った寝袋を丸めて鞄の上に縛り、荷物を持って外に出る。
そして魔法を解いて、ただの草原に戻した。
僕はユーリエと視線を交わし、霧の中を歩き出した。
まだ石碑巡りの旅の二日目だ。
昨日はいきなり色々あったけれど、今日からはきっちり旅をしよう。
「それにしてもカナクの魔法、本当に
「そう?」
あの魔法の天才ユーリエが心底感心していることに、僕のほうが驚かされた。
「今夜もこの魔法を使うの?」
「うん。きっと今日中にこの草原は抜けられないだろうからね」
「そっか」
「なんで?」
「その魔法、盗ませてもらうね」
「え、そんなことができるの?」
「簡単よ」
うわぁ。こういうところが天才たる
でも、ユーリエにも知ってもらったほうがいいかもしれない。
「盗むっていうか、ちゃんと教えるよ。僕になにかがあった時、草洞を作ってもらいたいし」
「大丈夫。カナクにはなにも起きないっ! だって私が守るっていったでしょ?」
「あれ、本気だったんだ」
「当たり前じゃん」
ユーリエは真剣な表情でワンドを腰から抜く。
その愛らしい動きに、笑みが
今は朝の六ハル。徐々に霧も晴れてきて、見通しも良くなってきた。
「ねえ、カナクってセレンディアから出たこと、あるの?」
ユーリエの問いに、僕は頭を
「実は恥ずかしながら、ないんだ。僕の知識は全部、セレンディアの酒場で出会った旅人や音楽団、商人からの情報だよ」
「学校に行きながら、そんなことをしていたの?」
「それだけじゃないかな。聖神殿の掃除とか、司教さまのお手伝いとか。やることはたくさんあったよ」
「確かカナクって魔法学校の試験の成績、一五二人中、十五~二十位くらいだったよね?」
「え、そうだけど」
「旅に必要と思われる魔法を自分で学んで、それだけのことをして、上位に食い込めるなんて……凄いね」
「いつも一位だったユーリエに言われてもね」
「だって私は勉強しかしてないもん」
それにしても、よく僕の順位を知っているなあ。
やっぱり頭がいいんだ。
「そういえばさ、どうしてユーリエはずっと一位を目指してたの?」
魔法学校で主席となれば、その領主から認められて公爵家に仕えるという道が開ける。でもユーリエはなにもしなくてもセレンディア公爵家の一族なのだから、そんなに真剣に学ばなくてもいいはずだ。
現にレニウスの成績は、下から数えた方が早かった。
「あー、それはねー……め、目立ちたかったの!」
「目立つ?」
「カナク、学年二位と三位の人って覚えてる?」
「それは――」
あ、本当だ。
確かに一位のユーリエは覚えているけれど、それ以下は友達の成績しか覚えていない。
ユーリエの名前はクラスが違っても覚えているのに。
「なるほど……目立つ
「ん~。まあ、そんなところかな」
ユーリエが、目の前にあった小石を蹴りながら言った。
「それにしても、ユーリエと一緒に歩いていると石碑巡りって気がしないなあ」
「そう? なんで?」
僕は天を仰ぎ、目を閉じる。
誰も通っていない道だから問題ない。
「一〇〇〇年前、まだ紅の魔女と呼ばれていたマールは、尊い行いをしながら旅を続けたけれど、いつも孤独だった。たった一人でアレンシア中を巡って、
「ホント!?」
ユーリエが叫ぶ。
「本当だよ。僕は思い違いをしていた。どんなに頑張ったって、僕はマールになれない。ユーリエと一緒に歩いているだけで
「…………」
ととと、と、僕の隣にくるユーリエ。
「手、
「いやいや、そそ、そうじゃなくてね!?」
「カナクって照れ屋さんだよね」
「そんな、こと、ないよ……」
ふふっ、と顔を
顔が熱い。
「私も楽しいよ、カナク」
「そうだといいけど。もし辛かったり、つまらなかったら、いつでも戻っていいからね」
次の瞬間。
ユーリエはぴた、と足を止めた。
「カナク」
「うん?」
「カナクはセレンディア・マール聖神殿の前で言ったこと、覚えてるよね?」
声が太い。
お、怒ってる!?
「覚えて、ます」
「ちゃんと私を石碑巡りに連れて行ってくれるっていったよね!」
「はい」
「今の言葉は、優しさじゃないよ」
いつの間にか、ユーリエの頬に涙が伝っていた。
「ユーリエ・セレンディアは、カナクと石碑巡りをしたいです。最後までやり遂げたいです」
急な敬語と涙が、ユーリエの真剣さを物語る。
「ごめんなさい」
僕はユーリエの前に立ち、抱きしめた。
「完全に僕が悪かった。まだどこかに君を石碑巡りではなく、旅のともだという意識があったんだと思う。どうか、許してほしい」
「……ばかかなく」
「うん。僕がバカだった」
ユーリエの温もりを感じながら、言葉には気をつけようと猛省した。
なんだかこの日は、反省してばかりの日だった。