ソーン音楽団の馬車が動き出し、街道を走る。
やはり徒歩とは違って、まるで風景が流れているかのような速度で進む。
ソーンさんの馬車は団長のものらしく
ユーリエは奥の窓際、僕はその左隣に座る。
目の前には床に固定されたテーブルがあり、対面のソファにはソーンさんと、ヤヒロちゃんが呼ばれて座っていた。
「ようこそソーン音楽団の団長室へ。これらは決して私の趣味じゃないんですが、交渉をする場で優位に話を進めるには、こうしなければならないんですよ」
両手を広げて歓迎してくれるソーンさん。
「あ、ありがとうございます」
一応、そう返しておく。
凄い人なのだろうけれど、どことなく捉えどころがなくて困ってしまう。
「さて、これから私たちはコルセア王都カリーンに向かうため、ジェノアの森に向かいます。この位置からだと天気さえ崩れなければ、カリーンには二週間で着くでしょう」
「二週間ですか! それは助かります」
僕が横を向くと、ユーリエが小首を
最近、こういうのが増えたなあと、顔が熱くなってします。
「カナクとユーリエは、恋人?」
突然、ソーンさんの横にいたヤヒロちゃんが、ぶっ込んできた!
「いいいいや、そんな、僕なんてユーリエにはもったいな――」
「うん、そうだよ!」
即答するユーリエ。
「え~~~~っ!?」
ななな、なんで!?
「そっかー。だったら楽団のみんなに言っておくよ。きっとがっかりする人、いっぱいいると思う」
「はっはっは、さすがはヤヒロちゃん。よろしく頼むよ」
笑顔を見せるソーンさん。
「らじゃー」
ぴし、と手を上げるヤヒロちゃん。
あー、なるほど。
僕らが恋人同士ということにしておけば、僕はともかくユーリエに手を出す団員は諦め――。
「だってカナクってかっこいいからね。楽団の踊り子たちがさ、
「まさかの僕!?」
保護対象が違った!
どん。
僕の右足に、鈍痛が走る。
「いっっつぁあああああ!」
横を見ると、ユーリエはそっぽを向いて、窓の外に目を向けていた。
僕は、なにひとつ悪くない。
「私たちは旅の音楽団ですからね、出会いをとても大切にするんですよ。楽団員は旅の途中で素敵な異性と出会ったとしたら、そこで旅を終えても構わないと言ってあります。旅は、永遠にするものじゃない。どこかに終わりがあって、そこで安らかに過ごすものですからね」
ソーンさんが、まるで僕に向けてそう言った。
「
この問いは、マール信徒がいつも議論することでもある。
ソーンさんは笑顔のまま、僕に視線を向けた。
「マールは特別でしょう。彼女の終着点は、すなわち滅びを意味する。もし私がマールなら、終着点は常にここにあったと思いますよ」
そう言って、右手で胸を押さえる。
僕はその言葉に感動してしまった。
それは、新しい解釈だったからだ。
「カナクくんは暁の賢者と呼ばれたマールを尊崇していると伺いました。なるほど、君はフランツが言っていた以上に
今の人の、想い。
ちら、と横を見る。
ユーリエは相変わらず
でも、僕らは恋人同士とかではないし。
そもそもユーリエが僕を好きとか考えられないけれど、こういう態度って、そういうことなのではないかと邪推したくなる。
もしそうなら、僕に抵抗なく食べられてくれるかな。
……うう、今の考えは最悪だ。
自重しなくては。
うん?
そういえばいま、ソーンさんはフランツって言った?
フランツってセレンディア・マール聖神殿の最高責任者で、司教さまなのだけれど。
「それにしても、カナクとユーリエですか。これもマールのお導きなのでしょうかね」
「どういう、意味でしょうか?」
「う~ん」
ソーンさんが、目を閉じて、
なんだろう、急に雰囲気も変わった。
「まあ、なんていうか、私は幼い頃の君たち二人を知っています」
「「えっ!?」」
さすがにユーリエも、顔をソーンさんに向けた。
「しかしカナクくんにはフランツという父がいて、ユーリエさんにはアイアスという父がいる。彼らがなにも言っていないのなら、私が言うわけにはいきませんね」
「そんな……」
そこまで情報を漏らしておいて、酷い。
「でも口止めされていないことが一つだけあるので、それはお伝えしておきましょう」
ソーンさんは真面目な顔になり……ユーリエに視線を向けた。
「アレンシア南西部イルミナル地方はアイアス・セレンディア公爵が統一し、建国に向かっている国ですが、ほんの二十年前はセレンディア公爵家、エスピカ連合、リヴァルト王国の三勢力が
ユーリエの瞳が
ソーンさんの話から、この先の展開を読んでしまったのだろう。
「私の本当の名はユーリエ・リヴァルト・セレンディア。つまりセレンディアに滅ぼされたリヴァルト王国の……」
「そうです。あなたはリヴァルト王国最後の、王の娘です」
急に重い話になって、僕はユーリエにかける言葉を失った。
ところが。
「やっぱりそうだったんですね。お父様もお兄様もなにも言ってくれなくて。私がセレンディア公爵家に養女として引き取られたのは、おそらく私の一族を殺めてしまった
「レニウスからは?」
僕がつい、口を挟む。
「あれはなにも知らないもん」
あ、あれ扱いなのね……。
「そうですか。全て知っていたんですね、ユーリエさんは」
「知っていたというか、調べました。リヴァルトとはなんなのか。そこから
「えっ!?」
それじゃあ、ユーリエの故郷を滅ぼしたのが養父で、その手助けをしたのが、目の前にいるソーンさんだってこと?
「許してほしいとはとても言えません。あの頃は、ああしなければイルミナル地方は一つになれなかったんです。これから向かうフェーン地方も
「仕方ないと思います。リヴァルト王国もエスピカ連合も、イルミナル地方を統一できる力がなかった。ただ、それだけです」
「……君は、強いですね」
「いえ、とても弱いです」
はー、と息を吐くユーリエ。
その横顔は何故か晴ればれとしていて、美しかった。
「ソーンさんは私を知っていると言いました。ということはリヴァルト王国を攻め滅ぼし、私をセレンディアに連れてきたのは……ソーンさんなんですね」
「もちろん私一人ではありません。ですが、幼かった君の助命を嘆願したのは私です。アイアスはその頼みを受け入れて、君をセレンディアに連れ帰ったのです」
「そうですか……リヴァルトがセレンディアに滅ぼされたまでは調べられましたが、そこから私がどうしてセレンディアにいるのか、ずっとそこが繋がらなかったんです。答えが今、手に入りました。ありがとうございます」
「君がそのように言ってくれると、私は救われた気持ちになります。こちらこそ、ありがとうございます」
ユーリエとソーンさんが、微笑みを交わす。
このルイ・ソーンという人は東の大国フェルゴートの五英雄と呼ばれるだけあって、コルセアやセレンディアにも顔が広いようだ。ということは、僕のこともなにか知っているのだろうか。
訊くのは、怖いけれど。
「カナクくん」
「はい」
ユーリエのことはわかった。
でも、じゃあ僕はなんでセレンディア養護施設に預けられていたのか。
ソーンさんはそれを、知っているのかな?
「君に言えることは一つです」
「え?」
ソーンさんは目を細め、優しげに言葉を紡ぐ。
「あなたは今も昔も、これからも深く愛されている。いずれわかると思いますから、今はユーリエさんを全力で守ることだけを考えて下さい……その秘めたる力で」
「!?」
ぞわわ、と血液が、一気に身体を駆け上っていくのを感じる。
目の前が一瞬暗くなった。
このことはフランツ司教さまにも言ったことがない。
この人、なんで、そのことを知ってるんだ!?
「え、なに、“力”って」
ユーリエが戸惑う。
「今は、まだ、言えないけれど、その時がきたら、必ず言うよ」
「ふ~ん?」
首を傾げるユーリエ。僕は冷や汗が止まらなかった。
そして僕らは他愛のない話をして、なんとか気分を盛り上げた。
鍵になってくれたのは、ヤヒロちゃんだった。
ヤヒロちゃんもソーンさんと同じハーフエルフなので、見た目で判断してはいけないと思ったけれど、十八歳というのには驚きを禁じ得なかった。
僕とユーリエより三歳も年上のお姉さんだったとは。
どう見ても五歳くらい下のお嬢さんにしか見えない。でも、言葉の端々に年相応の心遣いが感じられたので、ヤヒロちゃんと呼びつつも、心の中では“お姉さん”と変換していた。
窓の外を見ると、空が茜色に塗られている。
そろそろ日が落ちて、闇の
「そろそろキャンプしなければなりませんね。ヤヒロちゃん、合図を」
「らじゃー」
ソファから立ち上がったヤヒロちゃんが、ととと、と歩いてドアを開く。
「わわっ!」
猛然と風が吹き込んできて、ヤヒロちゃんのワンピースを胸元までめくりあげてしまった!
「おーい、キャンプのしたくだよーっ!」
裏返ったワンピースで顔を覆ったまま叫ぶヤヒロちゃん。
いろいろ丸見えだった。
どん。
また右足を強烈に踏まれた。
「いいいいたいいいい! やめてよユーリエ! 故意じゃないし。足がぺったんこになっちゃうよ!」
「なっちゃえ」
「……自分だって割とぺったんこなくせに」
「はあ!?」
ドドドドと、右足を連踏みされた。
「痛い痛い痛いです! ごめんなさい!」
「次、そんなこと言ったら責任とってもらうからね!」
責任?
どうやって?
「あははは、君たちは本当に仲がいいですね!」
今のでそう見えますか、ソーンさん!?
「ソーンさん、一つお願いがあります」
ユーリエが僕の右足を、ぎりぎりと踏みつけながら平然とした顔で言った。
「なんでしょう?」
ソーンさんはワンピースが
「私とカナクは旅人ではなく石碑巡りなので、お客様扱いは不本意です。どうか私たちにも仕事をさせて頂けませんか?」
驚嘆して、ユーリエに向かって目を見開く。
それはまさに、僕も言おうと思っていたことだったから。
「これまで何人か石碑巡りを同乗させてきましたが、初日にしてそれを口にしてくれたのは君が初めてですよ。それでこそ石碑巡りです。いいでしょう。馬車が停まったらカナクくんは男性用馬車に、ユーリエさんは女性用馬車に行って、指示を仰いで下さい」
「「はい!」」
ユーリエは僕に顔を向けると、にっ、と笑う。
僕もお返しとばかりに
足は、踏まれたままだったけれど。