「記憶が、ない、だって?」
「はい。私がどこから来て、
「それはそれは、
ボーナさんが、我がことのように同情して下さり、私を抱きしめてくれた。
こういうのは素直に
「それでマールは、これから
「とにかく大都市に行こうと思いました。そこなら自分のこともなにか、わかるのではないかと」
「となると、あたしたちと同じ、フェイルーンかね?」
「ええ。そのつもり、だったんですが……やめました」
「やめた? やめて何処に行くつもりなのさ?」
「フェイルーンの北、レゴラントへ」
「レゴラント!?」
ボーナさんらは、私の話を聞いて顔を見合わせていた。
「うーん、やっぱりよくわからないねえ。調べ物なら間違いなくフェイルーンの方がいいのに」
「ええ、わかっております。ただ少し、思うことがありまして……」
私が十日間ほど滞在した場所には、災いが訪れる。
そんなことを口にしても、信じてもらえないだろうから。
「まあ、いいやね。人にはそれぞれ事情がある。でも、なにかの縁で同じ長椅子に座ってるんだから、ここでは楽しくやろうさね!」
はっはっは、と、高笑いするボーナさん。
その
その日の夜。
ボーナさんとルチルさんは、今日、商隊のキャンプで過ごさないかと言ってくれた。
それは
「そんな、ここまで馬車に乗せていただいただけでもありがたいのに――」
「いいんだ、いいんだ。ウチの商隊は十人いる。それだけの食料も水もある。一人増えたって、どうということはないんだ」
ルチルさんが笑顔で言ってくれる。
「それにねぇ、いつも食べ物は次の町に着く頃には余るんだよ。どうだいマール、食料の調整、手伝っちゃくれないかい?」
ボーナさんの、ぶっきらぼうだけど心温かな言葉に、私は恐縮しながら
「うん、決まりさね! ここから先は山道で、そこを下れば森に入る。およそ五日程度の間だけど、そこまできっちりマールを送ってやるさ!」
「えっ、えええ!?」
そんな、そこまでしてもらうのはいくらなんでも……。
「なんだい、文句でもあるのかい?」
「いたいいたいいたい!」
私よりも、横も縦も大きなボーラさんが、私の頭を
「こういう時に口にする言葉は、一つだけだろ?」
にこにこしながら、ルチルさんが言う。
「あいい、あい、ありがとうございますっ!」
「いい子だ。それでいいのさ。ほらそこ、ぼさっとしてないで働きな!」
私の頭から手を離し、エランさんらの
「まあ、その、なんだ。悪く思わんでくれ。あれは口は悪いが、根は優しい女なんだ」
「はい、存じております」
ルチルさんがフォローしてくれたけど、私はちゃんとわかっている。
私だけが感知できる、悪意がない証拠だもの。
「さあ、メシにしよう。今日は
『も、桃ですか!?』
思わず、歓喜の声が出てしまった。
なんでだろ?
「ふっ、はっはっは! マールは桃が好きなのだな!」
「は、はいっ! たぶん……!」
「わかったわかった、今晩はデザートつきだ!」
「わああ、嬉しいです!」
ぱああっ、と明るい笑顔になる。
ここ最近、沈むことが多かったので、心の底から
そしてこの日の
この商隊で働く人たちは陽気だけれど、商隊主のルチルさんと、その奥さんのボーラさんがきっちりと引き締めていて、お酒を飲んでも、私に警戒心を抱かせるようなことはなかった。
「そうかぁ……ぐすっ、親も兄弟もわからず、一人で旅を……おおおおん」
エランさんが私を同情して涙を流す。
泣き上戸なのね。
「全くこの子は、情けないねえ。まあ、こういう時こそ、あたしら商隊の出番なのさ。今は闇種族と陽種族が争う時代だからねぇ。この商隊で働くもんたちも、みんな、あんたみたいに戦で親を亡くして、ひとりぼっちだったんだよ」
「そうなんですか?」
私は甘美極まる桃を両手に持って大事にかじりながら、ボーラさんに
「ああ、闇種族は強い。トロルやフロージアなどは一体で人間十人を相手にできるほどの巨体だし、ログナカンの剣術を見破れる剣士も少ない。そこにきてダークエルフの戦術と、弓矢による遠距離攻撃だ。しかも陽種族と違って統制もとれている。今はまだ陽種族の方が数で勝っているからなんとか均衡を取れているが、数年後はどうかな」
ルチルさんが、
「そんなことを言ったって、どうしようもないじゃないか。しかし、陽種族とか言われてる人間らよりも、闇種族らの横のつながりが強いっていうのは、皮肉なもんだけどねぇ」
ボーラさんがルチルさんを
私は商隊が持つ最新の情報を、少しでもかき集めようと専心した。
「とはいえ闇種族も一枚岩ではない。先陣を切るトロルは知能が低いし、大食らいだから
「ルチルさんは、将校とも
温厚そうな商隊の主が、軍と関係があるとは思わなかった。
「こんな時代の商売だからね、マール。俺たちが売るのは食材や武器防具だけじゃない」
「各地の情報も、立派な商材ということですね」
「そういうことだ。本当に賢いな、マールは」
そう言いながら、私になにかを投げてきた。
慌てて受け取ると、それは桃だった。
「もう一個なんて……いいんですか!?」
「いいんだいいんだ。マールと話をしていると、楽しい!」
にっ、と笑顔を向けるルチルさんには、
「あれまあ、本当にあんたはマールを気に入ったんだねぇ。全く、こんな高級品をあたしらに振る舞うなんて。いつもなら絶対、みんなに食べさせるようなことはないのに」
「うるさい。マールが食べたがっておったんだ。それに楽しいものは楽しい。いいだろ?」
「はいはい」
ルチルさんとボーナさんの言い合いに、周りの人たちが笑った。
ああ、本当に優しい人たちだ。
久しぶりに沸き起こる笑いを抑えず、感情に身を委ね、ありがたく桃にキスをした。